第40章 孤独な闘いと代償
沖縄の海とドライブを満喫していた僕たちは、途中、ショッピングモールのようなアメリカンチックなお店に立ち寄った。
最初は美咲と二人でいろいろなお店を回っていたが、そのうち4人で合流して食事をとった。
僕はトイレに行こうと立ち上がり、
「ちょっとトイレ行ってくるわ。待ってて」
と言って店を出た。
店内にはトイレがなく、ショッピングモールのトイレしかなかったので、館内マップを確認し、1階にあるトイレへ向かった。
トイレはいかにも沖縄らしい造りで、入口の両側にはシーサーが立っていた。
大の方だったので、個室に入った。
個室に入っても、造りの関係なのか、外の声が丸聞こえだった。
僕は用を足し、ウォシュレットのボタンを押した。
……これが間違いだった。
ウォシュレットが止まらない。
とりあえずタバコに火をつけ、さて……どうしたものかと一服した。
このままでは立ち上がれない。
何度も「停止」ボタンを押す。しかし、止まらない。
焦った。
その間もずっと、ウォシュレットは僕の肛門を直撃し続けている。
何分経ったのだろうか……。
5分は経っている。
僕は、このままここで一生を終えるのか……。
ちょっと前にアニメで、ウォシュレットのボタンを押したら顔に水がかかるというシーンを見たことがある。
立ち上がった瞬間、背中に水がかかってびしょびしょになるのはごめんだ。
こんなショッピングセンターで、背中だけびしょびしょなんて恥ずかしすぎる。
しかし、何とかこの状況を打開しなければならない。
僕の未来がかかっている。
なぜか兄貴の顔が浮かんだ。
(兄貴……お前なら、この状況をどう乗り切る?)
そうだ。思い切って立ち上がり、一瞬でフタを閉めるか?
……ダメだ!
絶対に間に合わない!
冷静に考えた。
これは確か、センサーのはず……。
立ち上がったらセンサーが働いて止まるかもしれない。
いや! もし止まらなかったら?
タバコも3本目に突入していた。
その頃、外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
美咲だ。
「トイレって、ここしかないよなぁ〜」
りなと話している声が聞こえる。
続いて、
「お腹でも壊したんかな? 昨日、りなが無理やりゴーヤ、ダーに食べさせたから(笑)」
と、笑いながら話していた。
僕はトイレの中で思った。
いや、違う!確かにゴーヤは嫌いだがそうではない!
お腹なんて壊していない!
健康そのものだ!
なんなら、まだお腹も満たされていないくらいだ!
すると、りなが、
「どんだけ長いねん!」
と笑っている。
違う!
トイレが長いんじゃなくて、ウォシュレットが長いんだ!!
くそっ!
すると外から、けんじの声が聞こえてきた。
「まだ出てこんの?」
どうやら、二人と合流したようだ。
美咲がけんじに、
「うん……お腹壊したみたいやで」
と言っている。
違う!
お腹は壊していない!
壊れているのは、ひたすら僕の肛門を狙い続けるウォシュレットだ!
タバコも4本目に入った。
外の声が聞こえなくなった……。
そのとき、コンコンとドアを叩く音がした。
僕は、
「は、入ってます」
と答えた。
すると、
「やっぱ、まだクソしてんや」
けんじの声だった。
僕は必死に叫んだ。
「違う! クソはもうとっくに終わってる! ウォシュレットが止まらんくて立てんのや!!」
ところが、けんじは何を思ったのか、そのままトイレの外へ出ていった。
しばらくすると、今度は美咲の声が聞こえてきた。
「笑える! ウォシュレットが止まらんって!」
何やら3人で大爆笑している。
けんじのやつ……。
僕の状況をネタにして報告しやがった!
さらに、りなが、
「ほっといて買い物続けようや」
と言い出した。
美咲も、
「そやな……そっと一人の時間を過ごさせてあげよう。一人の時間も大切、大切!」
と言っている。
そして、みんなの声が遠ざかっていった……。
くそ〜、あいつら〜!
薄情なやつらめ!
……と思いながらも、僕は何とかこの状況を打開しなければならなかった。
考えた。
思いつく限り、頭をフル回転させる。
絶対にセンサーのはずだ。
ケツが便器自体から遠くなれば、センサーが反応しなくなって水も止まるんじゃないか?
僕は意を決して、ゆっくりと立ち上がってみた。
ゆ〜っくりと、できる限り膝を伸ばして立ち上がる。
しかし、これ以上立つと服に水がかかってしまう。
その直前で、
「あかん! 無理や。このセンサー、どこ感知してんねん!」
と思い、また考え直した。
一つ分かったことがある。
このセンサーは、かなり広範囲だ。
立ったところで、ウォシュレットが止まるとは思えない。
故障だったら大惨事だ。
コンセントを抜くことも考えたが、手が届かない。
けんじ……来てくれ……。
しかし、あいつらは今頃、ショッピングを満喫している。
そうだ!
立つのが無理なら、少しずつ前に出ればいい。
便座についている黒いセンサーから遠くなれば、止まるかもしれない。
僕は、少しずつ慎重に、お尻だけをずらすようにして前へ進んだ。
ウォシュレットの水が、ギリギリ肛門を直撃する微妙な状態を保ちながら、数ミリずつ、前へ、前へ……。
すると、なんと!
ウォシュレットが止まった!!
「よっしゃあああ!!」
心の中で歓喜の声を上げた。
僕はすぐに、握りしめていたトイレットペーパーできれいに拭き取り、トイレとおさらばした。
脱出成功だ!
トイレから出ると、すぐそばにあったベンチに腰を掛け、タバコに火をつけた。
なんだ! この達成感と充実感は!
僕はやった!
脱出できた!
そんなことを物思いにふけっていると、美咲が心配そうに声をかけてきた。
「お腹、調子大丈夫?」
このやろーー!
僕はすべて聞いてたぞ!!
僕の状況を知って、みんなでバックれたことを!
そこへ、りながやってきた。
「アイス食べすぎたんちゃう?」
キターーーー!
お前も共犯やろ!
そう思いながらも、
「全く問題ないで」
と、何もなかったかのように振る舞った。
そこへ、けんじが戻ってきた。
「お〜、ウォシュレット止まったか!」
その瞬間、みんなが大爆笑!
こいつら……僕をおちょくってやがったな……。
僕は心の中で、復讐を誓った。
それから僕たちは、ショッピングセンターを後にした。
そのあとは、当時の国営沖縄記念公園の水族館に寄り道し、そのまま車を走らせて古宇利島のハートロックや万座毛へ向かった。
どこまでも透き通るエメラルドグリーンの海を見つけるたびに、車を停めて飛び込んだ。
美咲とりなは、シュノーケリングで色鮮やかな熱帯魚を追いかけて大はしゃぎ……のはずだった。
しかし、泳げない美咲は、浅瀬で膝まで海に浸かったままシュノーケルをくわえ、海面に顔をつけてバシャバシャやっていた。
「ダー! 青い魚おる! 青い魚!!」
大興奮で海から顔を上げた、その瞬間だった。
シュノーケルの筒から勢いよく逆流した海水が鼻に入った。
「ぶふぁッッ!! 痛いーーっ!!」
美咲は鼻を押さえて撃沈。
もう、何をやってもコントにしかならない。
首里城では鮮やかな赤瓦を眺め、国際通りの屋台では、出来たて熱々のサーターアンダギーを口いっぱいに頬張った。
夜は窓を全開にし、波の音を聞きながらドライブを楽しんだ。
ドライブ中も、美咲は車内のラジオから流れる知らない曲に合わせて、適当なハミングで熱唱していた。
助手席のけんじに、
「それ、何の歌なん?」
と突っ込まれていた。
4人で過ごす一瞬一瞬が、まばこころ夏の光の中に溶けていくようだった。
――しかし、楽しすぎる代償は、旅の後半に容赦なく牙をむいた。
「いっ……痛ったぁぁぁぁぁぁッ!!! ひー! 触るな! 誰も俺に近づくな!!」
ホテルの部屋で、僕は悶絶していた。
連日のドライブとマリンスポーツで、日焼け止めを塗るのを完全に怠った結果、僕の肌は見るも無惨なコゲ茶色……というか、赤を通り越して完全に「真っ黒焦げ」の状態になっていた。
けんじもりなもそれなりに焼けていたが、僕の焦げ方は桁違いだった。
特に肩から背中、太ももにかけては重度の火傷レベルで、Tシャツの繊維が触れるだけで激痛が走る。
「ダー、大丈夫?(笑) ほんまに黒焦げやん! 焼きすぎたシチューの具みたい!」
美咲がニヤニヤしながら、意地悪そうに指先を近づけてくる。
「アホ! ほんまに押すなよ!? 死ぬ! マジで命に関わるから!!」
僕が本気で腰を引いて逃げ惑う姿に、けんじもりなも、
「小学生のノリやん(笑)」
と大爆笑していた。
その日の夜、お風呂に入るのは、まさに地獄の拷問だった。
湯船なんて絶対に無理。
シャワーの温度を一番低い「水」に設定しても、降り注ぐ水滴が皮膚に当たるたびに、万本の針で刺されたような激痛が全身を襲う。
「ぐおぁぁっ……!」
「ひいぃッ……助けて……っ!」
浴室から響き渡る僕の情けない絶叫に、部屋からは、
「武人くんが叫んでるで(笑)」
「絶叫マシン乗ってるみたいやな」
と、容赦ない笑い声が漏れていた。
お風呂から上がっても、当然、服なんて着られない。
パンツ一丁で上半身裸のまま、冷房の風が一番当たるベッドの端っこで、じっと固まっていた。
そんな僕の背中に、美咲が、
「はいはい、じっとしててや」
と言いながら、冷やしたアロエローションを持ってやってきた。
「いくで〜、そーっと塗るからな」
美咲が、そっと冷たいローションを背中に乗せた。
「ひゃぁッ! 冷た!! ……あ、でも……いっ……痛った! でも気持ちええ……」
「ほんま子供なんやから。調子乗って海で浮かれて泳ぎすぎるからやで」
呆れながらも、僕の痛みを気遣い、そっと指先で優しくローションを伸ばしてくれる美咲。
その手の温もりに包まれていると、昼間のみっともないガターやシュノーケルでのマヌケな姿が思い出され、痛みの合間に思わず吹き出しそうになった。
「何笑ってんの?」
「いや……美咲、ボウリングで隣のレーンに投げ込んでたなと思って」
「むかっ! あれは指がぬめっててん! 塗ってあげへんで!?」
「嘘嘘! ごめん! 頼むから最後まで塗って!!」
日焼けで真っ赤になった身体を気にしながら部屋で過ごしていると、初日に一緒にプールで遊んだ子供たち、はるとくん、カイトくん、まなちゃんが遊びに来た。
「お姉ちゃんたち、遊びに来たよー!」とドアをノックして入ってきた。
元気な声とともに部屋に入ってくるはるとくん、カイトくん、まなちゃんたち。僕たちはさっきまで疲れていたはが、子供たちはまだまだ元気いっぱいだ。
せっかく来てくれたんだから、みんなで遊ぼうということになった。
何をして遊ぶか考えた末、トランプをすることにした。
大人も子供も関係なく、みんなで輪になってカードを囲む。単純な遊びなのに、誰かが勝ったり負けたりするたびに声が上がり、部屋の中は笑い声でいっぱいになった。
はるとくん、カイトくん、まなちゃんたちの無邪気な笑顔を見ていると、こっちまで自然と笑顔になる。
沖縄の綺麗な海で遊んだことも、みんなで観光したことも楽しい思い出だけど、こうして旅先で出会った子供たちと一緒に過ごす時間も、また違った楽しさがあった。
気がつけば、部屋の中はすっかり賑やかになっていた。
こういう何気ない時間こそ、あとになって振り返った時に、忘れられない思い出になるのかもしれない。
ベランダの向こうからは、静かな波の音が届いていた。
真っ黒に焦げて激痛に悶絶した、この皮膚の痛みすらも、美咲たちと駆け抜けた最高の夏の思い出を刻み込むための、何より愛おしい勲章だった。
この最高の4日間を、僕は一生忘れることはないだろう。




