↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
完結済『あの時のように』  作者: かわなかいっぱん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/63

第37章 愛しのスティード

田島家の夜の食卓には、いつものメンバーが揃っていた。

……いや、最近は少し変化があった。

美咲が、おかんと一緒に台所に立ち、料理を教わるようになっていたのだ。

二人で楽しそうに話しながら、食事の準備をしている。

そして、食卓にはもう一人、メンバーが増えていた。

長男の彼女、あかりちゃんだ。

何度か顔を合わせたことはあったが、美咲とは初対面だった。

ところが、そんなことはまったく関係ないらしい。

二人は初対面とは思えないほど普通に話している。

……なんか、僕だけ置いてけぼりやな。

しかも、いつもと同じ食卓のはずなのに、僕の椅子だけが格下げされていた。

背もたれも何もない、ただの硬い椅子。

どうやら、しわ寄せは僕に回ってきたらしい。

まあ、そんなことはどうでもいい。

近々、長男はあかりちゃんと結婚するらしい。

僕は、あかりちゃんに聞いてみた。

「こいつのどこがいいん? こんな、何やらせてもちっちゃい男やで。なんか知らんけど、小指の爪だけめっちゃちっちゃいねんで」

すると、あかりちゃんは、

「爪ちっちゃいのは知ってるけど……(笑)」

と、大爆笑した。

そうなのだ。

長男はなぜか、小指の爪だけ異常に小さい。

普通の人の四分の一くらいしかないのだ。

それを聞いた美咲が、興味津々で食いついてきた。

「え? どんなん? 見せて見せて!」

長男は慣れた様子で、

「はい」

と手を差し出した。

美咲は、その小指をじっと見つめた。

そして――。

「ちっさ!!」

大爆笑。

それを見ていた次男が、すかさず一言。

「やることも小さいから、こうなってもうてんや」

……お前、何を根拠に言うとんねん。

それからしばらく、食卓では小指いじりが続いた。

そして美咲は、長男の手を見るたびに、

「ちっちゃ!」

と言うようになった。

もはや条件反射である。

小指いじりがひと段落すると、今度は長男の結婚の話になった。

式は来月に決まっているらしい。

あかりちゃんが美咲に言った。

「みーちゃんも来てね!」

すると美咲は、食い気味に答えた。

「行く行く行く!」

……うん。

ここまでは、本当に楽しい夜だった。

このあと、あんな大惨事が起こるとは、誰も思っていなかった。

食事が終わると、おかん、美咲、あかりちゃんの三人は後片付けをして、お茶を飲んでいた。

オヤジは、まだ未払いのNHKを見ている。

次男は自分の部屋に引っ込み、僕はタバコを吸いに外へ出た。

うちの実家は門を入ると、すぐ玄関へ続く階段がある。玄関は地面よりかなり高い位置にある造りだ。

そこから下を眺めると、いつも停めっぱなしになっている愛車のスティードが目に入った。

……そういえば、横須賀から帰ってきてから、全然乗ってないな。

ちょっと乗ってみようかな?

そう思ったことが、すべての始まりだった。

僕は玄関からバイクの鍵を取り出し、スティードにまたがってエンジンをかけた。

……当然、かからない。

そりゃそうだ。

もう二年近く乗っていないのだから、バッテリーが上がっている。

仕方がない。

押しがけをすることにした。

幸い、うちの前は緩やかな坂道になっている。

この坂を利用すれば、エンジンをかけられるはずだ。

僕はギアを入れ、クラッチを握り、バイクを一気に押し出した。

スピードが乗ったところでアクセルをふかし、クラッチをつなぐ。

……かからない。

もう一度。

……かからない。

仕方なく、来た道をバイクを押して戻る。

この、ほんのわずかな坂道が地味に体力を奪っていく。

もう一度、押しがけ。

……かからない。

さらに、もう一度。

……かからない。

おいおい。

いつになったらかかるねん。

そんなことを繰り返していると、家から美咲が出てきた。

「ダー! なにしてんの?」

僕はハァハァ言いながら答えた。

「バイク押しがけしてるねん……」

「押しがけ??」

美咲は、こいつは何をしているんだ、という顔で僕を見ている。

説明するのも面倒だったので、僕は無視して作業を続けた。

……しかし、かからない。

ふと気づくと、美咲は家の花壇の縁に座り、ずっと僕を眺めていた。

そして、気の抜けた声で一言。

「なんか知らんけど……がんばれ〜!」

……うるさい!

どっか行け!

そう思ったが、言い返すのも疲れる。

こっちは必死なのだ。

……待てよ。

こいつにやらせたらどうやろう?

いや、押しがけをやらせるわけではない。

その時、ふと思いついた。

そうだ。車で引っ張らせたら……?

……いけるかもしれない!

僕は倉庫からロープを取り出した。

そして、車とバイクをロープでつないだ。

美咲に向かって言った。

「お前、ちょっと車でこれ引っ張って!」

美咲は、何の疑いもなく、

「いいよ〜!」

と答え、車に乗り込んだ。

……よし。

うちは住宅街にある。車通りはほとんどない。

家の前から突き当たりの公園まで、百メートルあるかないか。

これだけの距離があれば、絶対にエンジンがかかる!

僕は、なぜか確信していた。

今思えば、その自信はいったいどこから来たのだろう。

僕はバイクにまたがり、美咲は車の運転席に座った。

準備完了。

「いいか、美咲! 『よっしゃ!』って言ったら、ゆっくり走って!」

車の中から返事が聞こえた。

「りょ〜か〜い!」

よし。

僕はクラッチを握り、ギアを入れた。

そして、大きな声で叫んだ。

「よっしゃ!!」

車が動き出した。

ロープがピーンと張られる。

その勢いで、スティードも動き始めた。

よし!

いい感じだ!

バイクはロープに引っ張られ、どんどん進んでいく。

そして、五十メートルほど走った頃だった。

ブォン!

ついに、エンジンがかかった!

「よっしゃ!!」

僕は思わず、大きな声で叫んだ。

……ところが。

車が止まらない。

それどころか、加速している。

しかも、道に沿って左に曲がろうとしているではないか!

……おいおいおい!

ちょっと待て!

「止まれーーー!!」

僕は必死に叫んだ。

しかし、美咲には聞こえていない。

バイクのアクセルを回して車についていくことも考えた。

だが、車が急ブレーキを踏んだらどうなる?

車とバイクの距離は、わずか三メートルほど。

このまま曲がられたら、内輪差で巻き込まれる!

……やばい!

「止まれ!!!!」

叫んだ。

しかし、すでに遅かった。

美咲は、何を思ったのか――。

よりによって、左ギリギリの最小限の小回りで角を曲がった。

その瞬間。

ガシャーーーン!!

僕とスティードは横転した。

ガガガガガガガーーーッ!!

すさまじい音を立てながら、僕は側溝にはまったまま引きずり回された。

……終わった。

僕の人生ではない。

僕のスティードが。

そして、僕の左足も。

異変に気づいた美咲が、ようやく車を止めて降りてきた。

「ダー!! どうしたん!!!」

……お前がやったんじゃい!!

そう叫びたかったが、声が出ない。

美咲は僕の姿を見ると、少し笑いながら尋ねた。

「まじで? 大丈夫?」

大丈夫なわけあるかい!!

ジーンズの左足部分は、ほとんど破れていた。

足からは血がにじんでいる。

スティードの左側は傷だらけ。

おまけに、タンクまでペコリとへこんでいた。

僕は、ボロボロになった自分とバイクを見つめた。

……何が大丈夫やねん。

殺す気か!

僕は黙って立ち上がり、美咲に言った。

「大丈夫なわけないやろ! なんで止まらんねん!」

すると美咲は、笑いながら答えた。

「いや〜、『よっしゃ!』って途中でまた聞こえたから、もっとかなって思ってアクセル踏み込んだんよ!(笑)」

……は?

途中で、また?

……あ。

そういえば、エンジンがかかった時、僕は思いっきり叫んだ。

「よっしゃ!!」

……僕か。

僕が原因か。

いやいやいや!

だからといって、なぜ加速する!?

美咲は顔には出さないようにしているつもりらしいが、声が笑いで震えている。

……絶対、笑ってるやろ。

僕はなんとかスティードを側溝から引き上げた。

そして、結局、家の前まで約百メートル、バイクを押して帰ることになった。

その後ろを、美咲が車でゆっくりとついてくる。

……こいつ。

絶対に楽しんでやがる。

家の前にスティードを停め、改めて状態を確認した。

ボロボロだった。

僕の思い出のスティード。

ひなたちゃんと乗った、あのスティード……。

僕はショックを受けた。

そんな僕とバイクを見ながら、美咲が言った。

「どっちもボロボロですなぁ……(笑)」

……こいつ!

僕は怒りをこらえながら、家の中に入った。

すると、おかんが僕の姿を見て叫んだ。

「あんた、どないしたん! ボロボロやないの!」

僕は美咲を指さした。

「こいつが……!」

事情を説明した。

おかんが言った。

「それはあんたが悪いわ! あほや!」

……え?

美咲も、すかさず乗っかってきた。

「そうじゃ! お前が悪い!」

続いて長男。

「あほの極みやな!」

たまたま下に降りてきた次男まで、

「あんな道路でスライディングしたらあかんわ……」

……おい。

お前ら、僕のケガより、そこか?

最後にオヤジまで、

「ほんま、お前はいろいろするな〜(笑)」

……完全に僕が悪者になっている。

「いや! こいつが悪い!」

僕がもう一度、美咲を指さすと、美咲はおかんの陰に隠れながら言い返してきた。

「こいつっていうなや! ぼけ!」

さらに、おかんが追い打ちをかける。

「あんた、美咲に『こいつ』とか……偉そうに! 何様のつもりや! あんたは神様にでもなったつもりか! あほか! 美咲に謝り!」

……くっ!

あかん。

ここには、僕の味方が一人もいない。

何を言っても無駄だ。

僕は諦めた。

今日は、本当に最悪な一日だった。

……スティードが。

そう思いながらも、大怪我ではなかったことは不幸中の幸いだった。

僕はズボンを履き替え、もう今日は美咲を送って、すべて忘れてしまおうと思った。

そして、美咲を車に乗せて送っていった。

道中、美咲が申し訳なさそうに言った。

「スティード、ボロボロなったね……ごめんね」

……おっ。

ようやく反省したか。

僕は答えた。

「もうしゃーないよ……。別に、もう乗ってなかったしね……」

すると美咲は、さっきまでの申し訳なさそうな表情を一変させた。

「そやろ? おもろかったからいいやん!(笑)」

……やっぱり、反省してへん!

美咲は笑いをこらえながら、さらに続けた。

「じゃ〜今日は……お詫びに、ダーの好きなコスプレで一緒に寝てあげる!」

……あっ。

それ、いい。

不覚にも、僕はニヤけてしまった。

ついさっきまで、あれほど怒っていたのに。

……僕って、なんて単純な男なんだ。

そう改めて思い知らされた一日だった。

カーステレオからは静かな旋律が流れ、エアコンの風がかすかに車内を満たしていた。

街明かりが一定の間隔で車内を橙色に照らしては、後方へと流れていく。

窓から入り込むぬるい夜風が、車内を優しく包んでいた。

季節は、確かに新しいページへと移り変わろうとしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。