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完結済『あの時のように』  作者: かわなかいっぱん


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第36章 神戸の夜

三宮の喧騒から少し離れた、北野坂へと続く神戸の飲み屋街。

石畳の入り組んだ路地には、異国情緒の漂う古い洋風建築や、ジャズが流れる隠れ家のようなショットバー、洒落た赤提灯を揺らす大衆酒場がひしめき合っていた。

大阪の賑やかさとはまた違う、大人びた雰囲気が漂う街だった。

そんな街角にある、こぢんまりとした居酒屋のテーブル席で、僕たちは賑やかにグラスを交わしていた。

「乾杯〜〜!!」

威勢のいい掛け声とともに、生ビールとハイボールのグラスが中央でぶつかり合った。

テーブルには、明石焼き、神戸牛のすじコン煮込み、刺身の盛り合わせなど、おいしそうな料理が所狭しと並んでいる。

「うわぁ〜! この明石焼き、出汁が効いててめっちゃ美味しい!」

美咲は熱々の明石焼きをフーフーしながら口に運び、嬉しそうに目を細めていた。

その隣では、美咲の友達のりなが、ガハハと豪快に笑っている。

このメンバーで飲みに来るのは、今回で二回目だった。

そもそもの始まりは、僕の中学時代の同級生・けんじが、

「誰か女の子紹介してくれへん?」

と言い出したことだった。

そこで美咲が連れてきたのが、りなだった。

二人は思った以上にいい感じになった。

そこで今回、僕と美咲は、ある作戦を立てていた。

名付けて――「強引にくっつけよう作戦」!

けんじは、まだ学生だった有名な国立大学の学生だ。僕とは違って頭もよかった。

ちなみに美咲も学歴はよかったが……まあ、今はそんなことはどうでもいい。

大事なのは、けんじとりなをどうにかしてくっつけることだ。

酒が進むにつれて、昔話や他愛もない冗談が飛び交う。

美咲の横顔を見ると、店の温かな照明に照らされた表情は、心底楽しそうだった。

時折、僕と目が合うと、悪戯っぽく微笑みかけてくる。

……こいつ、何か考えてるな。

もちろん、僕も同じことを考えていた。

しばらくして店内のひと騒ぎも落ち着くと、誰からともなく、

「ドライブでも行こうか」

という話になった。

僕たちは店を出て、車へと向かった。

夜の北野坂を通り抜け、車は神戸の街へと走り出す。

異人館街の洋館群をあとにして坂を下ると、目の前には神戸の夜景が広がっていた。

山側には市章山や錨山の電飾が輝き、港へ向かえば、ライトアップされた真っ赤なポートタワーと神戸海洋博物館が目に入る。

潮風がフロントガラスをかすめ、車内にはどこかロマンチックな空気が漂っていた。

助手席の美咲が、バックミラー越しに後部座席のけんじとりなをチラッとうかがった。

そして、僕の隣でニヤリと笑った。

……始まったな。

僕は何気ない口調で、けんじに尋ねた。

「そういえば、けんじ。住んでるとこって、このへんじゃなかった?」

「うん! こっから十五分くらいかな?」

けんじが神戸で一人暮らしをしていることは知っていた。

よし。ここで一手だ。

「それやったら、お前んちで二次会しようや!」

「いいね〜! 男の一人暮らし〜! 汚くないん?」

りなも乗り気だった。

けんじは、ちょっと焦ったように答えた。

「汚いと言うか……狭いで? ええの?」

「とりあえず、コンビニかどっか寄ってから行こうよ?」

美咲の提案で、まずはコンビニに寄ることになった。

……よし。

作戦は、順調に進んでいる。

この時点では、僕もそう思っていた。

コンビニに到着すると、車を停め、僕は真っ先に降りてタバコに火をつけた。

三人は店内へ入っていく。

美咲が、

「何飲む?」

と聞いてきたので、

「コーラ買っといて!」

と答え、夜風にあたっていた。

その時、ふと湘南での出来事を思い出した。

ひなたちゃんも、あの時は酔っていて、コンビニに寄ったんだったな……。

今頃、何をしているんだろう。

芸能活動、うまくいっていたらいいな……。

神戸と横浜は、どこか似ている気がしてならなかった。

街の雰囲気も、海風も……。

何もかもが、あの時の記憶を呼び起こす。

そんなことを考えていたら、突然、横から、

「わっ!」

と声がした。

「うわっ!」

飛び上がりそうになって振り向くと、美咲がニヤニヤしながら立っていた。

……危なかった。

一瞬、ひなたちゃんの名前を口にしそうになった。

「ダー、この後の計画は?」

美咲が小声で尋ねてきた。

もちろん、僕には考えがあった。

「当然、考えてのコンビニや! 美咲! 酒! 日本酒とビール、いっぱい買っといて!」

美咲は不思議そうに首をかしげた。

「なんで?? ダー、車やし飲まれへんやん」

「俺のじゃない……りなのや!」

「ん?」

美咲は目を大きく見開いた。

まだ分かっていない。

……よし、説明してやろう。

「りなとけんじを酔わせて、りなをけんじの部屋に置いて帰るの!」

美咲は一瞬、目を丸くした。

そして、すぐにニヤリと笑った。

「まじで!……それおもろいかも!」

そう言うと、美咲はコンビニへ戻っていった。

……話が早い。

けんじはまだ学生で、そんなにお金もない。

りなも、自分で酒を買って飲むようなタイプではなかった。

だから、ここは社会人の僕たちが、二人のきっかけくらい作ってやろうというわけだ。

もちろん、僕と美咲が出すお金は、二人で貯めている貯金から。

清算は、いつも美咲がしてくれている。

……こういう時、しっかりしているのは美咲だ。

しばらくすると、けんじが先にコンビニから出てきた。

「気持ちいいなぁ〜。この時期の外、特に夜っていいよな〜」

けんじは、しみじみと夜風を楽しんでいる。

……こいつ、昔からこういうやつだった。

高校生くらいの頃、僕とけんじは郵便局で年末年始の年賀状配達のアルバイトをしたことがある。

面接のあと、担当が発表された。

なぜか僕が配達で、けんじは内勤だった。

僕は寒い中、自転車で決められたルートを走って年賀状を配らなければならない。

一方、けんじは暖房の効いた部屋で年賀状の仕分け作業。

普通に考えれば、けんじのほうが恵まれた仕事だった。

ところが、あいつは仕分け作業がつまらなかったのか、いつも僕の配達についてきた。

二人でバカみたいに騒ぎながら、年賀状を配っていたのだ。

しかし、ある日、それが局員にバレた。

当然、けんじはクビになった。

……ところが。

あいつは翌日も、そのまた翌日も、なぜか僕の配達についてきた。

もちろん、もう給料は出ない。

働いてもいないのに、寒い中、わざわざ自転車でついてくるのだ。

今でも、あの行動の意味は分からない。

金にもならないのに、何が楽しくて来ていたのか。

……まあ、けんじとは、そういう変なやつなのだ。

そんなことを思い出しているうちに、美咲とりなもコンビニから出てきた。

美咲が持っているビニール袋は、パンパンに膨れ上がっていた。

そして、袋を僕に掲げて、

「やってやったぜ!」

とでも言いたげなジェスチャーをした。

……おお。

本当に買ってきた。

しかも、かなりの量だ。

僕は思わず笑いそうになった。

僕たち四人は車に乗り込み、けんじの部屋へ向かった。

その道中、後部座席のりなが、ふと尋ねてきた。

「なぁ〜、美咲と武人さんは、なんで付き合ったん?」

「え〜、なんでやろう?」

僕は、特に深く考えずに答えた。

すると、横から美咲が口を挟んだ。

「ダーが『付き合ってください!』って言ってきたから付き合ってん。な〜!」

「そっか……そやったかな?」

僕がそう返すと、美咲はすかさず突っ込んできた。

「そう! 『付き合ってください!』ってお願いしてきたやん!」

……いや、そこまで強調せんでも。

後部座席からは、二人の、

「ラブラブやね〜、お二人は〜」

という空気が、ひしひしと伝わってきた。

なんやねん、この空気は……。

しかし、これ、一生言われ続けるんやろな……。

そんなことを思いながら、僕たちはけんじの部屋に到着した。

部屋は、思っていた以上に片付いていた。

「綺麗にしてるやん!」

りなは感心しながら、部屋の中を見渡した。

間取りは一DK。

机の上には参考書のようなものが山積みになっている。さすが学生だ。

部屋の中央には、こたつのようなテーブル。

壁際にはシングルベッドがあり、その向かい側にテレビが置かれていた。

僕と美咲はテレビ側に並んで座り、けんじとりなはベッドに腰掛けた。

りなはベッドの上で、胡座をかいている。

そして美咲は、コンビニで買ってきた飲み物や食べ物を、テーブルの上に一気にぶちまけた。

その瞬間だった。

「あ〜〜! みー! あかん! 割れる割れる!」

けんじが叫んだ。

テーブルの上を転がっていく日本酒の瓶。

けんじは慌てて瓶を追いかけ、そのまま部屋から出ていった・・。

……何してんねん!

僕たちは一斉に大爆笑した。

しばらくして、けんじが戻ってきた。

「も〜〜、みー、危ないやん!」

両手には、あちこちに転がっていった物が抱えられている。

その姿を見て、また全員が大爆笑した。

……こういうやつやねんな、昔から。

怒ったりしない。温厚というか、なんというか。

そして、僕は思った。

……こいつの部屋で、これから何をしようとしているのか。

僕たちのほうが、よっぽど悪いやつなのかもしれない。

いや、今さら作戦を中止するわけにはいかない。

そう思った僕は、手に持ったビールを思いっきり振った。

そして――。

プシュッ!

ビールが勢いよく噴き出した。

部屋中に飛び散るビール。

参考書は濡れる。

ベッドも濡れる。

りなまで濡れる。

……大惨事だ。

それでも、けんじは怒らなかった。

「も〜、あかんよ〜、そんなん〜」

そう言いながら、タオルを持って部屋中を拭き回っている。

……ほんま、ええやつやな。

いや、ええやつやからこそ、今回の作戦が成立するのかもしれない。

そんなこんなで、楽しい時間は二時間ほど過ぎていった。

作戦は、ほぼ予定どおりに進んでいた。

りなは、かなり酔っている。

けんじも、いい感じに酔っていた。

美咲も、ほろ酔い。

そして僕だけは、運転があるので素面だった。

りなは、今にも眠ってしまいそうだった。

……今や!

僕は美咲に目配せし、りなの様子を伝えようとした。

「りな! もう寝そうやん! やばくない?」

美咲にバトンを渡す。

……ところが。

美咲は、すでに座ったまま寝ていた。

……は?

なんでやねん!

お前が寝てどうすんねん!

「美咲!」

僕が大きな声を出すと、

「ハッ!」

と飛び起きた。

そして一言。

「ねむ!」

……え、それだけ!?

いやいやいや!

今が一番大事なところやから!

僕は美咲の膝を叩いた。

美咲は、ようやく状況を思い出したようだった。

僕はもう一度、りなを見ながら合図を送った。

「りな、めっちゃ眠そうやで!」

すると美咲は、ようやく空気を読んだ。

「あ〜、これはもう泊まっていくしかないなぁ〜」

……直球!

直球すぎるぞ、美咲!

もう少し自然な流れはないんか!

僕は、りなの様子をうかがった。

りなは壁にもたれかかりながら、

「そうしよかな〜〜」

と、独り言のようにつぶやいている。

……まじか?

どんな流れや?

僕たちが考えていた作戦より、話が早い。

いや、これでうまく収まるなら、それでいい。

僕はけんじに向かって言った。

「泊めてやれよ!」

すると、けんじはあっさり、

「いいよ〜」

と答えた。

……あ、そうなんや。

もっと戸惑うとか、照れるとか、何かあるやろ。

僕は拍子抜けしながらも、美咲に目で合図を送った。

僕たち二人は、そそくさと撤収することにした。

……作戦成功!

その後、けんじとりながどうなったか。

それは、言うまでもない。

二人は関係を持つことになった。

後日、僕はけんじに聞いてみた。

「どやった?」

すると、けんじは真顔で答えた。

「うん。下着が赤い下着やった……」

……いや。

そこじゃないのよ、聞きたいのは!

僕は心の中で突っ込んだが、口には出さなかった。

まあ、何はともあれ。

お幸せに……。

その後、僕たちはホテルへ直行した。

車の中で、美咲が甘えた声を出した。

「早く〜〜! 一緒にお風呂入りた〜〜い!」

……おお。

これは新しい発見だ。

これからは、酔った美咲とホテルに行くのもありかもしれない。

そんなことを考えながら、僕は夜の街を走らせた。

車の窓を少し開けると、夜風が優しく吹き込んできた。

さっきまでの冷たい春の風とは違う。

ぬるくて心地よい潮の香りが混ざっていた。

いつの間にか季節は静かに巡り、春から夏へと移り変わろうとしていた。

街灯の光が新緑の街路樹を照らし、夜の闇の中には、湿り気を含んだぬくもりが満ちている。

「ダーぁ、早く行こ? ねぇってば〜♡」

助手席で、美咲がろれつの回らない声で甘えてくる。

お酒の熱と初夏の気配を含んだ頬は、ほんのりと赤く染まっていた。

季節が少しずつ熱を帯びていくように、僕たちの距離もまた、夜の深まりとともに近づいていく。

僕は美咲の声を聞きながら、ホテルへと車を走らせた。



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