第31章 決断
僕は工場長と、例の管理棟の長テーブルを挟んで向かい合っていた。
管理棟の事務所内には、パイプ椅子やスチールデスクが整然と並び、壁には「安全第一」の標語や、ラインの稼働状況を示す掲示物が無機質に貼られている。
窓の向こうには、夕刻の赤く染まり始めた空を背に、巨大な煙突やプレス機が並ぶ広大な工場が広がっていた。インパクトレンチの重低音も、途切れることなく響いている。
この場所に来ると、どうしても半年前の春のことを思い出してしまう。
横須賀駅から、不安と期待の入り混じった気持ちでやってきた。そして、ここで初めて、ショウと一緒に工場長から説明を受けたのだ。
あの時、隣で落ち着きなくキョロキョロしていた金髪のヤンキー、しょうの姿が目に浮かぶ。
あの騒がしかった日々が、まるで遠い昔のことのように懐かしかった。
工場長は、少し寂しげな表情で切り出した。
「そうか……武人君がそういうなら仕方がないね……」
「残念なんだよ。賑やかだったあのラインも寂しくなるね……」
僕はまっすぐ工場長の目を見つめて言った。
「お世話になりました。工場長に初めにここで色々教わったこと、今も忘れていません。本当にありがとうございました」
僕が立ち上がって深く頭を下げると、工場長もつられて慌てて立ち上がり、笑顔を浮かべた。
「いやいや! こちらこそだよ」
そして、どこか気遣うような眼差しで尋ねてきた。
「武人くんはこれからどうするの? こんなに急に大阪に帰るなんて、何かあったの?」
僕には、もう迷いはなかった。
あの日、美咲へのメッセージと木彫りのステアマンを込めた封筒をポストに投函してから、三日ほどは自問自答を繰り返した。
けれど、最終的に分かったのだ。
もう、僕がここに留まる理由は何一つない、と。
僕はまっすぐ工場長の目を見つめた。
「いえ。大したことではないんですが……早く帰ってこいってうるさくて……」
「あ~~、お母さん? まぁ、そりゃそうだよね……」
工場長は納得したように頷いた。
完全に勘違いしているな……と思いながらも、僕はあえて訂正しなかった。
すると工場長は、ふっと目元を緩め、ぽつりぽつりと語り始めた。
「実はね……私の娘もちょっと前に仕事で福岡に行っちゃってさ。うち、一人娘だからもう……寂しくて、心配でねぇ……」
そこから工場長の身の上話が始まった。
どこに住んでいるのか、僕の家族のことなど、退職手続きにはおよそ関係のない穏やかな雑談が三十分ほど続いた。
話の区切りに、工場長は僕の顔をじっと見つめて言った。
「私もこれまで色んな若い子たちを見てきたけど、武人くんの仕事に向き合う姿勢、周りの人への接し方……何か大きな未来が待っているような気がするんだよね」
「どっかの社長になってるとかですかね?」
僕が笑いながら聞くと、工場長もニヤけながら、
「そうかもね~」
と冗談っぽく答えた。
そして、少し真顔になってこう付け加えた。
「まぁ、これから長い人生だ! 悔いのないようにね」
「決して、誤った選択はしないようにね!」
その時は、先に青森へ帰ったしょうの武富士事件のことを言っているのだろうとばかり思っていた。
だが、後に僕自身が大きな「誤った選択」をしてしまうことになるとは、この時の僕は知る由もなかった。
「ありがとうございました」
僕と工場長はしっかりと握手を交わした。
僕は管理棟のドアを押して外へ出た。
時刻は、夕方の五時を少し回ったところだった。




