第18章 墓地の夜
ある転機が、僕を迎えようとしていた。
僕が勤めていた興信所でのことだ。
少し前、とある依頼が入った。
依頼人は、不倫関係にあるカップル。夜な夜な家を抜け出し、カーセックスの名所と言われる場所で行為を重ねていたらしい。
車にはカーテンを閉めていたのだが、ある日、その隙間から行為の様子をビデオカメラで撮影されたという。
いわゆる「デバガメ」だ。
撮影した奴らは、
「テープを両方の家族にバラされたくなかったら、指定する日時にいつもの場所で言われた通りにやれ」
と脅迫してきた。すでに3回も撮影を強いられているという。
(てか、その前にホテル行けよ!)
と、誰もが思うだろう。
だが、それは素人考えだ。車内というスリルが逆に興奮してやめられないパターンの依頼人なのだ。
見られるスリルはOKでも、それをネタに色々と強要され、脅されるとなれば話は別である。
今回の依頼は、「犯人を捕まえて、今までのビデオテープを取り返してほしい」というものだった。
現場は、とある市内にある巨大な霊園。
東京ドーム10個分が軽々入る広大な墓地で、敷地内には孤立した駐車場が点在し、あらゆるところで行為が行われている場所だった。
調査日当日、指定時間は午前2時。
僕たち調査員は総勢5名。2名は犯人の逃亡を防ぐため、車両班として2台の車で待機。僕を含む残り3名は、午前0時頃から墓地の墓石の影に身を潜め、周囲を警戒しながら待機していた。
現場は、左右と後ろを墓地に囲まれた、車1台分ほどの駐車スペース。行為にも、そして盗撮にも絶好の場所だ。
僕は運転席から3メートルほど離れた墓石の影に伏せた。他の2人も車を囲むように潜んでいる。
(……それにしても、気味が悪い……)
よりによって丑三つ時。
僕は犯人よりも「霊」の方が気になっていた。
昔から心霊スポットにはよく行っていたが、一度も見たことはない。先日も美咲と行ってきたが、ご対面はなかった。
「まあ今回もないやろ。代わりに犯人とご対面や」
僕は昔からキックボクシングと柔道をやっていたので、男の一人や二人なら余裕で抑え込める自信があった。
時間は刻々と過ぎていく。
あたりは不気味な静寂に包まれていた。
午前1時半を過ぎた頃、1台の車が入ってきた。
依頼人の黒いバンだった。
バックでゆっくり停まり、車内でゴソゴソと動きがある。打ち合わせは済んでいるので、このまま待機だ。
作戦はこうだ。
指定の時間に現れる犯人たちがプレイの指示を出した後、車外の3方向に三脚でカメラを設置して撮影を始める。カーテンは閉めるなと言われているらしい。
僕たちは、犯人が三脚を設置し終わった瞬間に飛び出して取り押さえるという手はずだった。
ちなみに、こちらの装備は何もない。素手で捕まえろということだ。
車には捕獲用のロープ、ガムテープ、業務用ラップが用意されていた。
(※余談だが、人の全身を縛るにはラップが一番強度が高いらしい。どうでもいい話だが……)
腕時計が午前2時を指した時、黒ずくめの服に目出し帽を被った男3人が歩いて現れた。
どこか別の場所に車を停めたのだろう。
1人目は170cm前後で、三脚2つとビデオカメラ2台。2人目は180cm前後の大柄な男で、右手にサバイバルナイフ。3人目は165cm前後で僕と同じくらいの身長、三脚1個とカメラ1台を持っていた。
よく見ると、全員、腰のベルトにナイフが挿してあった。
一番大柄な男が運転席へ近づき、サバイバルナイフの柄で窓ガラスを「コンコン」と叩く。
手で叩けばいいのに、わざわざナイフで叩くあたり、ビビらせるのが目的だろう。
依頼人の男性がパワーウィンドウを開け、何やら指示をされている。時折、「お!」とか「コラァ!!」と荒々しい声が聞こえる。
もっと会話を聞き取るため、僕はひとつ前の墓石へとそっと移動した。
犯人との距離は、わずか2メートル。
だが、その頃には指示も終わり、依頼人は窓を閉めた。カメラのセッティングも、もうすぐ終わりそうだ。
合図は、車両班の調査員が依頼人の車の前に横付けすること。
それにより道路への退路を断ち、焦った犯人が墓地側――僕たちが潜む場所――へ散り散りに逃げてきたところを捕まえるのだ。
(もうセッティングが終わるぞ……早く来い! 車両班! おい! 大丈夫か、車両班……)
と思った、その時!
すごいスピードで黒のスカイラインGT-Rが突っ込んできて、依頼人のバンのバンパーすれすれのところに急ブレーキで横付けされた!
「はい、そこの3人ストップ!!」
覆面仕様のGT-Rから、拡声器の声が響き渡った。
その瞬間、予想通り3人は別々の方向へ墓石をかわしながら、一目散に逃げ出した!
大柄な男だけ反応が少し遅れ、僕が隠れている墓の方へ走ってきた。
僕の横を通り過ぎようとした瞬間、僕は横から体当たりをかました。
思った以上に犯人は吹っ飛んだ!
だが、男はすぐに立ち上がり、僕にナイフを向けて構えてきた。
(おいおい……こいつ正気か……これ、やばくない?)
冷や汗が流れる。
応援が来るのを待とうと、僕は間合いを測りながら犯人と睨み合った。
遠くで何人かの叫び声が聞こえる。
(あ……これ、みんなあっち行ってもうとるな……)
僕は覚悟を決めた。
依然として犯人との睨み合いが続き、硬直状態になっていた。
すると犯人が、
「なんや! 警察ちゃうんか。このチビのクソガキが……」
と鼻で笑いながら、堂々と近づいてきた。
(あっ、完全に舐めてるな)
犯人との距離が1メートルになるかならないか。
ここが僕の絶対領域だ。
一撃で仕留めるには、パンチやキックより「投げ」。
男は左手にナイフを持っている。おそらく左利きだ。
なら、この技しかない。
――「逆袖釣込腰」!
相手が持つナイフを完全に無効化できる技だ。
男は舐め腐った足取りで近づいてくる。僕が恐れて動けないと思っているのだろう。
(甘いな! おっさん。こっちは待っとんねや!)
ナイフを持った左手が間合いに入った、その瞬間!
僕はその腕の袖を掴んで引き寄せ、左回りに高速回転して男を背負い、墓石に向かって思い切り投げつけた!
「グハッ!」
男は驚いたようだったが、すぐに立ち上がり、先ほどとは違う必死の形相で飛びかかってきた!
すぐに組み合いになる。
身長では負けている。
でも……柔よく剛を制す!
――「巴投げ」一閃!
男は綺麗な放物線を描いて背後に吹き飛んだ。
今度はなかなか立ち上がらない。
僕は間髪入れずに「送襟絞」でトドメを刺した。
男の意識がスッと落ちた。
……だが、誰も助けに来ない。
(あれ……みんなどこ行ったの?……)
「おーい!」と大声を上げると、車両班の先輩が走ってきた。
先輩:「おい! お前! 大丈夫やったか!!」
心配そうに駆け寄ってきた先輩は、失神している大男を見て一言。
先輩:「……大丈夫やったみたいやな」
そう言って、僕の頭を優しく撫でてくれた。
その後、二人でその巨体を車まで運び、軽トラの荷台に乗せた。
目が覚めないうちに、先輩が業務用ラップで男の身体中をグルグル巻きにして完全拘束した。
先輩:「こいつ大丈夫か? 目覚めへんで……」
僕:「大丈夫ですよ。ショック与えたら起きますから」
先輩:「いや〜、お前が無事で良かったわ。実は松さんが……あっちで一人のやつに岩で頭かち割られて大量出血してもうて、今救急車呼んでんねんやわ」
僕:「えっ!?」
驚愕した。
松さんは僕の指導役で、一番面倒を見てくれている先輩だった。口は悪いけれど、すごく後輩思いの頼れる存在だ。
先輩:「とりあえず、俺らはここで待と」
心配でたまらなかった。
しばらくすると、所長が一番小柄な犯人の首根っこを掴んでやってきた。覆面を脱がされた犯人は、ひどく殴られた様子だった。
僕:「こいつですか? 松さんやったの?」
所長:「こいつは違う。やった奴には逃げられたわ」
そこに、車両班のもう一台のGT-Rが滑り込んできた。
「武人! 乗れ! 周辺探すぞ!」
と言われ、僕は助手席に飛び乗った。
僕:「松さん、大丈夫ですよね!?」
先輩:「大丈夫や! 今は逃げたおっさん探せ!」
墓地の中をGT-Rで探し回ったが、結局見つからず、犯人一人を取り逃がす結果となった。
しかし、主犯格のデカい奴を捕まえたため、結果的にはまずまずで、後にビデオテープもすべて回収できたらしい。
3日後、松さんが入院から復帰して会社に顔を出した。
開口一番、
松さん:「もうこんな仕事やってられん! 見舞金も出しやがらん! クソ所長め!」
(マジか……)
と僕は呆然とした。
松さんは僕に向かって吐き捨てた。
松さん:「お前もこんな会社おらん方がええぞ!」
周りの調査員たちもシーンとしている。ここでは松さんが一番ベテランで上だからだ。
松さん:「でも、お前が無事でよかったわ……あいつらナイフ持っとったやろ? 俺、一人取り押さえてるときに、後ろからもう一人にゴッツい石で頭割られたわ(笑)」
ケラケラ笑う松さんに、僕は尋ねた。
僕:「警察連れて行ったんですか?」
松さん:「アホか! 警察なんか連れて行くか! 所長が野木さんのとこ連れて行って処理したわ」(野木さんとは所長の知り合いで、事務所によく顔を出す人なのだが、どっからどう見てもこちら側の人には見えない人だ。50メートル離れててもやばい人ってわかるくらいの・・。)
(処理……? え? どういうこと……?)
僕が困惑しているのを見て、近くの先輩がそっと耳打ちしてくれた。
先輩:「大丈夫や! 魂は取ってないから。ちょっと金に換えただけや」
まだ世間を知らない当時の僕には、その言葉の意味が完全には理解できなかった。
その日の夜、松さんが僕を飲みに誘ってくれた。
ビールを煽りながら、松さんは真剣な目で僕に問いかけてきた。
松さん:「お前、いつまでこの仕事するつもりなん? 続けるんか?」
僕:「いや……特に何も考えてないです」
松さん:「俺はもう辞めようと思ってんねん。嫁も子もおるし、危ない橋も散々渡ってきたし。そろそろ店でも出そうかなって思ってな」
僕:「店ですか?」
松さん:「ショットバーやりたかったから、やろうかなって」
僕:「あ〜、松さんなら似合いそうですね!」
松さん:「お前も、これからもっとヤバいことやらされるから、早めに辞めた方がええぞ。下手したら懲役やぞ」
僕はグラスを持つ手を止め、「懲役……?」と繰り返した。
松さん:「そうや。うちの所長、相当ヤバいことに頭突っ込んどるから巻き込まれるぞ。それを今日は、まだ未来があるお前に言いたかったんや」
僕は絶句した。
この世界は、そんなにヤバいのか……。
松さん:「ハッキリ言って、うちは普通の興信所ちゃうからな。お前には何も言わんけど……なんや、最近女もできたんやろ? 尚更や」
僕は言葉が出ず、ただ黙って聞き入るしかなかった。
松さん:「お前、なんかやりたいことないんか? まだ22か23やろ? 俺なんかもう39や。今は好きなこといっぱいして、色んな経験積んで、世間勉強した方がええぞ」
いつもはオラオラ系の松さんが、本当に真剣な表情で僕の将来を思って話してくれている。
……真剣に考えるべき時が来たのかもしれない。
僕が深く思い悩んでいると、松さんは急に表情を崩して笑った。
松さん:「しかしお前、よくあのでかい奴一人でやったな! 感心するわ! 柔道とキックボクシングやってたって聞いたけど、やっぱりやってる奴は違うな!」
(いや……今回はキック関係ないんやけどな……)
と思いながらも、僕は笑って誤魔化した。
松さん、本当に辞めるのかな……。
もし松さんが辞めるなら、その時は僕も――。
僕はグラスに残ったビールを、一気に飲み干した。




