第17章 春風とカップラーメン
冬の冷たさが和らぎ、柔らかな春の気配がそっと街を包み込み始めていた。
僕はハンドルを握っていた。車内で流れるZARDの曲を聴きながら、
(京子ちゃん、どうしてるんかな……会いたいな……)
なんて思いつつ、あのスキー場での出来事を思い出していた。
(あ〜、楽しかったな〜……)
そんなことをぼーっと考えていると、横から声が聞こえてきた。
「ダー!」「ダー!」
助手席に座って、こっちをじっと見つめている美咲だった。
美咲:「さっきから呼んでんのに、なんなん?」
僕:「ごめんごめん、ちょっと考え事しとった」
美咲:「何考えてんの?」
僕:「なんでもええやろ。てか、ちゃんと道言ってや!」
美咲:「あっ! そっか!」
そう言いながら、美咲は姿勢を座り直した。
あれから数ヶ月が経ち、美咲とは頻繁に出かけるようになっていた。買い物に行ったり、映画を観に行ったり、海へドライブに行ったりと、色々な場所へ行った。
最近、美咲は僕のことを「タケ」と呼ぶのが嫌だと言い出した。理由は、少し前に聞かれた、ある質問だった。
『前の彼女には、なんて呼ばれてたん?』
ミキには「タケ」と呼ばれていた。
正直に答えると、美咲的にはそれがどうにも許せなかったらしい。それ以来、僕の呼び名は「dar(ダー=ダーリンのダー)」になった。
(まあ、何でもええのだが……そんなこと気にするところなんかな? 女心はわからん……)
また少し前の話になるが、美咲に改めて探られたことがある。
美咲:「……まだ前の彼女と連絡取ってるん?」
正直に「取ってるで」と答えると、美咲は不満そうに「へ〜」と呟いた。
だが、正直なところ、美咲と付き合い出してからはミキとは一回も会っていない。会ったところで何も起きないのだが。
美咲:「どんな人やったん? かわいい?」
すっごい追い込んでくる。
僕:「かわいい……というか、綺麗な感じかな? すごく優しくて、怒ったこともなかったかな……」
そう答えると、美咲の対抗心に火をつけてしまったらしい。
美咲:「どんな人か見たい!!」
当時は19歳(※平成初期)。スマホなんておろか、写メすら存在しない時代だ。写真など撮ったこともなかったので、見せるのは物理的に不可能なのだ。
だが、美咲は食い下がらない。
美咲:「見たい! 絶対に見たい!」
かなりしつこく言ってくる。すると、美咲はとんでもない提案をしてきた。
美咲:「じゃあ、そのミキって人に会ったところで、何もないんやろ? じゃあ、その会ってる姿をあたしが遠くから見たい! 確認したい!」
(なんだ? 探偵か? そこまでして元カノが見たいんかお前は……)
僕:「……マジで言ってんの?」
美咲:「マジ! ゲロマジ!」
(ゲロマジってなんやねん……)
と思いながらも、僕は答えた。
僕:「いいよ。じゃあ会ってるところ観察する?」
美咲:「うん! 観察する!」
そこまで言うなら……と、僕はポケットから携帯電話を取り出し、ミキに電話をかけようとした。
その瞬間――
美咲:「ちょ・ま・ちょっと待って!!」
美咲が顔を真っ赤にして、大慌てで止めてきた。
美咲:「やっぱり……ダーが、他の女の人といるとこ見たくない……」
気持ちはわからないでもないが、その無駄な抵抗がなんとも可愛らしく見えた。
すると突然、美咲が叫んだ。
美咲:「次の信号! 右!」
ふと我に返り、慌てて右車線に入って何とか曲がることができた。
僕:「もっと早く言えよ! あぶないやろ!」
美咲:「やってよく覚えてないんやもん! 前に一回来ただけやからー!」
ほっぺたを膨らませながら言い訳をする。いつもこの調子である。
今日は美咲おすすめのカフェがあるというので、そこへ向かっている途中なのだ。かれこれ、もう50分くらい車を走らせている。
僕:「これ……いつ着くん?」
美咲:「そのうち着くやろ〜」
呑気に答えていた次の瞬間、美咲が声を張り上げた。
美咲:「あ! ここーー! あーーっ!」
叫んだ時には、すでに店の横を通り過ぎていた。
(何しとんねん……分かるやろ……)
仕方なく、先に見えたローソンでUターン。
やっとの思いで目的のカフェに到着したのだが……駐車場の入口に車を停めた瞬間、僕は唖然とした。
『本日、4日・5日は臨時休業いたします』
ドアには、可愛らしい丸文字でそう書かれたホワイトボードが掲げられていた……。
「なにこれ?」という表情で隣を見ると、美咲は「てへっ」と笑って、そのまま車へ戻っていった。
(も〜……腹減ったのに!!)
と言いたい言葉をぐっと抑え、車に乗り込んだ。
僕:「で、どうすんの!?」
美咲:「ん〜、どっかあるやろ? ダーの好きなラーメンとかは?」
確かこの周辺には、ラーメン屋どころか、ほとんど店がない。というか、ここは山だ。
まともな飲食店がある場所までは、車で30分以上かかりそうだった。
僕:「もう……コンビニでええか!?」
美咲:「ダーがそれでいいなら!」
美咲は笑顔で答えた。
さっきのローソンに戻り、結局二人でカップ麺を買った。
駐車場の車止めに二人並んで腰を掛け、3分間無言で待つ。
(なにこれ? 高校生か!?)
と一人で心の中にツッコミを入れていると、美咲が割り箸を割って僕に手渡してくれた。
それを受け取ると、美咲がしみじみと言った。
美咲:「空気気持ちいいなぁ〜。来てよかった……うん。」
僕:「まぁ……コンビニでカップラーメンやけどな。しかも外で(笑)」
二人で顔を見合わせて笑った。
確かに肌寒さは残っていたけれど、そこには春の訪れを感じさせる、とても爽やかな風が吹いていた。
二人を包む空気はどこまでも優しく、微かに訪れた春の匂いが、二人の距離をいっそう縮めていくようだったのだが……。




