第12章 ゲレンデの出会い
けたたましい目覚ましのベル音で目が覚めた。
直樹が持ってきた目覚まし時計だ。
車のシートを倒し、両足をハンドルの上にポンと乗せて眠る。これが当時の日帰りスノーボーダーたちの定番スタイルだった。
ゆっくりと起き上がり、目覚ましを止める。直樹は助手席を目いっぱいまで倒した状態でまだグーグーと寝ていた。
とりあえず、そっとしておこう。
自分だけ先にトイレと歯磨きに向かう。これが僕のルーティンだ。
サーフのドアを開けた瞬間、恐ろしく冷たい強風が容赦なく身体を包み込んだ。
小走りでトイレを済ませ、歯を磨いて急いで車へ戻ると……あれ?
直樹がいない。
どこへ行ったのだろう。
まあいい。自分のペースで準備を進めよう。
僕のゲレンデスタイルは、車内でできるだけインナーを着込むことだ。下はボード用のパンツを履くが、上は普通のパーカーしか着ない。
……だって、僕は転んだことがないからだ。
上に着るものは、雪が降っているときにウィンドブレーカーかポンチョを羽織る程度だった。
サーフのリヤゲートを開け、腰をかけてブーツを履いていると、隣の駐車車両がなにやら騒がしかった。
ちらりと横を見ると、女の子が二人、トランクを開けて準備をしていた。車内にも二人いるようだ。
同い年くらいだろうか。女の子四人で滑りに来たらしい。
普段の僕なら、速攻で「お姉さんたちどこから来たん〜?」と声をかけるところだ。
だが、なぜか今回は、自分の潜在意識がそれを強力に阻止していた。
(……きっと、昨日の美咲のせいだな)
急に、ナンパに対する罪悪感のようなものが芽生えていた。
美咲に「考えとく!」と言われ、返事ももらえないまま、胸を焦がしている自分がいたのだ。
「じゃ〜今度は京子ちゃん! やったるわ!」
「わ〜ありがと〜!」
……ん?
隣の車から、やけに聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「いやいや〜! 京都から来てはるんや! 京都の子は可愛い子ばっかりやからな〜!」
声の主が助手席から降りてきた。トランクの前で準備している女の子の肩を馴れ馴れしく抱き寄せながら、こちらへやってくる。
……直樹だった。
見当たらないと思ったら、いつの間に隣の女の子たちに声をかけ、車内にまで乗り込んでいたらしい。
トランクの前に立つ直樹と、バチッと目が合った。
僕は一旦、無視した。
「おいおいおいおい!」
直樹がドヤ顔で向かってきた。
「お! こいつ紹介するわ! 武人、みんな同い年やで! これも何かの縁なんちゃう?」
女の子たちと楽しそうに喋っている。
僕は「あ、どうも」と頭だけ下げ、静かにブーツの紐を締め続けた。
(……ナンパって、こんなにバカっぽいものなんか?)
遠くから客観的に直樹のナンパ風景を観察していると、なんだか無性に恥ずかしくなってきた。
(僕は……今までこんな感じだったんか……? 引くぜ、直樹……)
冷ややかな視線を送る僕を放っておいて、直樹は女の子たちと雑談している。
僕は一人で先にリフト乗り場へ向かった。
あたり一面、眩しいほどの白銀の世界!
「くぁ〜っ!」
大きく伸びをして、リフト券売り場でゴンドラの一日券を購入した。
今日は平日なので、ゴンドラ待ちも少なく、すぐに乗れた。
ゴンドラの良いところは、何といっても寒くないこと。そして、頂上まで一気に連れて行ってくれることだ。
少し前までは、リフトを何本も乗り継いで、ようやく頂上にたどり着いていた。スキー場も進化していた。
頂上に着くと、数人のスキーヤーやボーダーが雪の上に座り込んで板を装着していた。
僕のギアは「ステップイン」というタイプ。足をボードに乗せてカチッと踏み込むだけでロックされるため、いちまながんでビンディングを締める必要がない。
そのため、ゴンドラを降りると誰よりも早く滑走を開始できるのだ。
頂上からの景色は、雲一つない快晴だった。
(……美咲にも見せてあげたいな)
ふと、そんなことを考えている自分に気づいた。
(なんか気持ち悪っ!)
一人で照れくさくなった。
そのまま、1キロのコースを一気に滑り降りる。
このスキー場はコンパクトなので、あっという間に下まで着いてしまう。だが、大阪からの交通の便が良いので、よく来ていた。
ほかには岐阜や長野まで足を伸ばすこともあるが、長野はさすがに泊まりがけだ。
何本か滑り終えると、時間はすでに13時を回っていた。
お腹が減ったので、軽く食べようとセンターハウスの食堂へ向かった。
ピークを過ぎていたため、食堂は空いていた。トレイを持って欲しいメニューの窓口へ行き、最後にレジで会計するセルフシステムだ。
僕はカレーのコーナーで「カツカレー」を注文した。
軽く済ませるつもりだったが、あまりにも美味そうだったので、ついガッツリいってしまった。
そのとき、横の麺類コーナーから怒鳴り声が聞こえてきた。
「だから! そばやなくて、うどんやっちゅうねん! ここ『うどんコーナー』やろ!? じゃあうどんだしてえや!」
……見るまでもない。
声の主は誰だか分かっていた。
どうやら、さっきの女の子たち三人を引き連れて、食堂に乗り込んできたらしい。親分にでもなったつもりなのだろうか。
できれば関わりたくない。
カツカレーを受け取り、レジへ向かう。
そのためには、揉めている直樹のすぐ横を素通りしなければならない。
僕は気配を極限まで消し、そーっと通り過ぎようとした。
(よし……! あいつは気づいてへん……!)
あと一歩でレジ、というところで、後ろから声をかけられた。
「タケさん? タケさんですよね!?」
振り返ると、駐車場で見かけた女の子たちだった。
「直樹さんがずっと探してたんですよ、私たちも!」
「一人で滑ってたんですか〜?」
「えっ、もしかして上級者!?」
一瞬で質問攻めに遭ってしまった。
仕方なくレジで会計を済ませると、直樹に「一緒に食べようや!」と言われ、同じテーブルに座ることになった。
話を聞くと、彼女たちは完全な初心者らしく、直樹が午前中ずっと付きっきりで教えていたらしい。
(……ん?)
席に座って周りを見渡したとき、僕は息をのんだ。
女の子の中に、一人だけ、とんでもなく可愛い子が混ざっていたのだ。
ダボついたボードウェアの上からでもはっきりと分かる、抜群のスタイル。ミニスカートやへそ出しルックが完璧に似合いそうな、きゅっと引き締まったくびれ。
そして……何より、その顔!!
ZARDの坂井泉水に激似なのだ!!
(これは……!! 久々の『Sクラス』出たーーー!!!)
当然のように、その坂井泉水似の子の横には直樹が陣取り、デレデレしながら楽しそうに喋っている。
ほかの二人は……正直、良く言っても「Dクラス」。
坂井泉水の引き立て役として連れてこられたのだろうか。
そして、そのDクラスの女の子がやたらと喋る。
「タケさんはどこから来たんですか〜?」
「出身はどこですか?」
「お仕事何してるんですか〜?」
僕が完全に素無視を決め込んでいると、直樹がフォローに入った。
「こいつ人見知りやから、あまり喋らへんねん。みんなごめんな〜! 京子ちゃんもごめんね!」
(ほう……あの坂井泉水は『京子ちゃん』っていうんかいな……)
ちなみに、その京子ちゃん本人からは一言も話しかけられていない。
ガヤガヤと、Dクラス同士のどうでもいいトークが弾む。
(頼むから静かにしてくれ……ねぇやん登場して『黙れ!』って一発かましてくれへんかな……こいつらと喋るくらいならねぇやんの方がマシや。ねぇやんはおっぱいデカいし……)
そんな最低なことを考えながら、カツカレーを速攻で平らげた。
食べ終えた僕は、そそくさと立ち上がり、その場を去ろうとした。
すると、Dクラスの女の子がすがってきた。
「一緒に滑りましょうよ〜! てか教えて〜!」
「いや、俺はちょっと……」
断ろうとした、そのときだった。
「……私も教えてほしい! ちょっとくらいなら滑れるから、一緒に滑りません?」
透き通るような声で言ってきたのは、あの坂井泉水――京子ちゃんだった!!
(……っ!!)
一瞬、ニヤけそうになる顔を必死でこらえた。
それを見逃さなかった直樹が、横で「ぶふっ!」と一人で爆笑している。女の子たちは、何が起きているのか分かっていない様子だった。
直樹がニヤニヤしながら、コンタクトを送ってきた。
「ほら! せっかく京子ちゃんも誘ってくれてるねんから、一人で寂しく滑らんと、みんなで楽しもうや! 初心者コースで! ソリもあるぞ!」
(くっ……! 坂井泉水には勝てん……!!)
僕は一瞬で前言を撤回した。
「喜んでお供させていただきます。」
Dクラスも含めて、ビシッと挨拶をした。
食堂を出て、みんなで初心者コースへ向かう。
Dクラスの女の子たちは、ボードとソリを用意していた。京子ちゃんはボードのようだ。
初心者コースは斜度が緩やかすぎて、ボードでは滑りにくい。だが、だからこそソリが活躍するらしい。
しばらく様子を見ていると、直樹が手招きしてきた。
「こっち来いよ! 京子ちゃんがソリ乗ろって!」
(なんと……!! 坂井泉水と僕がソリに乗る……!? たまらんっ!!)
僕は自分のボードを雪山にブスッと突き刺し、ダッシュで向かった。
直樹と京子ちゃんは、もうすっかり仲良しのようで、「次はどっちが前に乗る〜?」なんて話している。
(くそが、直樹のやつ……!)
直樹が僕らに聞いてきた。
「次は京子ちゃんと武人! どっちが前がいい?」
僕は脳みそをフル回転させた。
どちらに乗る方が、より彼女と密着できるか? 接点となる部位はどこか?
高度な弾道計算と解剖学(?)を駆使して導き出した答えは――『前』だった!
このタイプのソリは、前の人間がロープを持って舵を取る。そして後ろに乗る人間は、前の人間の腰に両腕を回して、しがみつくような格好になる。
(ってことは……前しかないやろがい!!)
僕は紳士的な顔を装い、ゆったりと前に座った。
そして、僕の後ろに京子ちゃんがちょこんと腰掛けた。
「いずみちゃん! しっかり抱きついてね!!」
そう叫んだ瞬間、ソリが勢いよく斜面を滑り出した!
「きゃあぁぁっ!」
京子ちゃんが後ろから、僕の腰にぎゅっと抱きついてくる!
背中に当たる、柔らかい胸の感触……!
そして、風に乗って漂ってくる、甘く爽やかな良い匂い……!!
(な、なんだこの匂いは……!? いい匂いすぎる……! もうこのまま死んでもいい……!!)
スピードが加速するにつれて、京子ちゃんの吸着力が増していく。
たまらん……!
た、楽しすぎる……!!
(……結婚して。)
本気でそう思ってしまうほどの多幸感だった。
ソリが滑り終わり、息を整えていると、後ろから京子ちゃんがクスッと笑いながら言ってきた。
「あの……出発する前『イズミちゃん』って言わなかったですか?(笑)」
(あっ……!!)
やばい。興奮しすぎて、思わず口から『イズミちゃん』と漏れていたらしい!
「あっ! いや、それは何と言いますか……自分の中で、京子ちゃんを最初に見た時に『ZARDの坂井泉水にそっくりだな』と思って……つまり、僕の中では京子ちゃん=イズミちゃんになってしまってたと言いますか……分かる?」
焦って言い訳すると、京子ちゃんは口元に手を当てて、楽しそうに笑った。
「分かる! それ、めっちゃ言われます! 『ZARD、ZARD』ってみんなに言われるんです〜(笑)」
「やっぱり!? 似てるよね! ほんとそっくり!」
僕が興奮ぎみに言うと、彼女は言われ慣れているのか、不意に歌い出した。
「♪ 負けないで〜 もう少し〜 最後〜まで走り抜けて〜」
(……!!? 声まで似てる!! マジでやばい!!)
「ちなみに歌は練習しました。ZARDに寄せるために(笑)」
そう言って、京子ちゃんは悪戯っぽく笑った。
そんなソリ遊びを、僕たちは二人きりで何回も楽しんだ。
僕が後ろに乗って抱きついたり、抱きつかれたり……。
幸せいっぱい、夢いっぱいだった。
僕は何を隠そう、ZARDの大ファンだった。アルバムもシングルも、CDはすべて持っていた。
僕からしてみれば、今日の京子ちゃんは、もはや「神様」と同義だった――。
こんなに幸せな日々が毎日続いてほしい……。
そう願う武人だった。




