初仕事
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翌朝、沙羅は早蕨に手伝ってもらいながら、采女装束のような服に着替えた。昨日は「いいなあ」と思っていたその衣装に身を包んだ沙羅は、身の引き締まる思いで帯を締めた。
「さて、これから沙羅のことはなんて呼ぼうかねぇ」
巫女婆の言葉に、沙羅ははっきりと言った。
「私の真名は隠す必要がありません。両親がつけてくれた沙羅という名前をそのまま使いたいと思います」
「でもね、真名は隠しておくべきもの。そうしないと鬼や妖怪に操られることがあるんだよ?」
「それでも、私は私でありたい。我儘だとは思いますが、名乗る名前を変えてしまったら、今までの私を否定するようで、それが逃げているとしか感じられないんです」
「わかったよ。神祇官に登録する名前も沙羅になるが、それでいいんだね?」
「はい」
確かに、名前を変えれば生まれ変わったのと同じように新しい気持ちで出発できるだろう。だが、それでは今までいろんな理不尽に耐えたり、解決のために努力したりしてきた自分を捨てることになるのではないか。沙羅にはそう思えてならなかった。生まれてから様々な経験をして、その中で学んだこと、覚えたこと、感じたこと、それらの全てが沙羅という一個の人格を形作っている。
ならば、己の今までを全てひっくるめて、新しい環境で生きたい。
昨晩自分なりに考えて「巫」になると言ったが、夜中に自分の心に自分の思いを何度も、いろんな角度から問い直した。その結果出た答えだ。
「巫、沙羅。そなたに与えられた力は『怪我を治す』もの。その力で多くの人を救いなさい」
巫女婆の言葉に、沙羅は深く首を垂れた。
・・・・・・・・・
最初の仕事はね、と巫女婆が説明しようとした時、外が騒がしくなった。
「誰だい、朝から騒がしくしているのは」
「金雀枝様、周辺の里の元たちが、沙羅さんを出せと押しかけてきました!」
巫女見習いの少女が息せき切ってやってくると、大きな声で巫女婆にそう言った。
「周辺の里? もう、猪俣の里から話が伝わったって言うのかい?」
「そうらしいです。重傷者がとか、子どもが死にそうとか、もうてんやわんやです! みんなで鳥居の内側に入れないようにしていますが、もう限界です!」
沙羅は巫女婆と、自分の付き人になった早蕨を見た。
「今日は慣らしで、黒鉄隊に行ってもらうつもりだったんだがねえ」
巫女婆は大きなため息をついた後、「ついておいで」と言うと、鳥居の方に向かって歩き始めた。
本殿より裏の方の建物にいてさえ聞こえた喧騒である。本殿の表側まで来てみれば、騒動としか言いようのないほど怒号が飛び交っている。
「うちの婆さんが先だ!」
「やめてくれ、うちの爺さんは熊に襲われたんだよ!」
「こっちは鍜治場で大火傷したのがいるんだよ!」
呆然とする沙羅の隣で巫女婆はしばらく人々の声に耳を傾けていたが、大きくゆったりと息を吸った後、「鎮まれ!」と一喝した。
巫女婆の声は、その小さな体から出たとは思えぬほどに大きく、一瞬にして静けさが広がった。
「あんたたちが助けを求めに来たのは理解した。まず、病人を抱えている者は帰りな。新しい巫は、怪我の治療はできるが病の治療はできないよ」
そんなあ、という声があちこちから上がったが、「薬なら出してやれるよ?」と巫女婆が言った途端にすごすごと引き換えしていった。
「どうしてお薬はいらないんですか?」
「だって、薬師が出す薬なんて、毒と同じじゃないですか。飲んで治るよりも、死ぬ方が多いんですから」
薬学が未発達であるがゆえに、分量などについての知識がまだ足りないらしく、ある人物に薬効があったからと同じ症状の他の人に同じ薬を与えても、治るとは限らない。それどころか、薬を飲んだ後に死ぬものが後を絶たないのだと隣にいた早蕨が教えてくれた。
鬼族の里にも薬師はいた。彼らが与える薬は外科的な薬のみで、内服薬の存在を初めて知った沙羅は、薬の研究をするのもいいかもしれないと思った。
「それから! あたしたちを騙して新しい巫を連れていき、閉じ込めて自分たちのためだけに利用しようとしている者もいるだろう。あたしの目でそれを指摘される前に帰りな!」
沙羅は驚いて巫女婆を見た。
「巫はお国の管理下にある。その巫を奪おうとすれば、兵部が動く。兵部が摘発した場合は、里の者全員が責任を取らされるってわかっているね?」
里の者が責任ってどういうことなのか、そう沙羅が思っているのが顔に出ていたのだろう。早蕨が沙羅の耳元でそっと言った。
「連座制により、赤子から老人まで、里の者がみな処刑されるということですよ」
「そんなに厳しいの?」
「巫は、神様に選ばれて人間離れした力を持つ、特別な存在ですよ? 国が管理して守ってもらうんです。沙羅さんの力だってもっと噂が広がれば貴族の手が伸びるかもしれません。きちんと派遣要請を出してここに戻してくれれば問題ありませんが、もし召し出しておいて囲い込もうとすれば、陛下の命令により救出部隊が差し向けられ、相当大きなお咎めがあるんです」
鬼族であることを隠し通すことさえできれば、巫になったのはいい選択だったのではないか。沙羅にはそんなふうに思えて来た。
沙羅と早蕨がそんな話をしている間に、何人かそっと後ろから姿を消していくものが見えた。どうやら沙羅を監禁する気だった者が、本当にいたようだ。遠い目をしながら彼らを見やる沙羅に、早蕨はぷんぷんしながら言った。
「悪人です。沙羅さんが気にすることなんてありませんからね。それに、鳥居の外には神祇官付きの兵たちが来ているはずですので、あの人たちは事情聴取されるでしょうね」
「そういうものなの?」
「このお社は、新しい巫の任命式を行える、格のあるお社です。ですから、神祇官から警護のために兵が必ず派遣されます。今回は押しかけて来た人が多かったので多少混乱したようですが、巫女婆が印をつけた者は全員、しょっ引かれますよ」
「印? どういうこと?」
「巫女婆の真実を見抜く目で不合格とされた場合、あそこにいる檜扇さんという巫が、本人にはわからない印をつけるんです」
「どうやって?」
「やり方は分かりませんが、神祇官から来ている兵たちは、印をつけられた者を取り調べるんですよ」
「すごい力ね」
「ええ。妖怪が人に紛れているようなこともあるので、黒鉄隊が妖怪退治に出動する際は、いつも呼ばれていくんですよ」
沙羅は早蕨が指さす方を見た。白い肌に艶々と黒くて長い髪の美しい女性が、本殿の隣にある社務所の影からじっと、巫女婆と立ち去る人を見ている。どうやら彼女が「檜扇」と呼ばれる巫らしい。
「それじゃ、回る順番を決めようかね」
巫女婆が沙羅を見た。とたんに、人々の目が沙羅に向けられ、口々に「うちに来てください!」「助けてください!」とわめきだした。
「失血のある方のために来た方、右に抜けてください」
沙羅が言うと、5人が抜けた。
「どうやってできた、どんなけがで、失血の量と、失血を始めてからの時間を端的に教えてください」
沙羅の言葉に、人々が口々に話し出した。
「うちはじいさんが熊に襲われました。まだ寒いから熊なぞいないと思って、一人で山に入ったんです。朝出かけて、なかなか帰ってこないから探しに行ったら、倒れているのを見つめました。昨日の夕方です。顔をひどくひっかかれて血もたくさん出ましたし、腕や足、頭などを噛まれているようなんです」
「俺の所は、ガキが一昨日木から落ちた。腕の骨が外に出ちまっているんだよ。当然血も出ているし、痛がって大変なんだ」
「うちは鍛冶屋だが、見習いが大火傷をした。血も出ているし、本人はぶっ倒れたままだし、もう、とにかく早く来てくれ」
「弟夫婦が、夫婦げんかで刃傷沙汰起こしやがって。血は何とか止めたから後回しでもいいが、今日中に何とかしてやってくれ……」
「私は猟師だが、仲間が猪に跳ね飛ばされて動けなくなっている。牙で突かれ噛まれて、奴を仕留めてようやく傍に近づけたんだが、虫の息だ」
沙羅は巫女婆を見た。巫女婆が彼らの気づかぬ角度から五人の訴えを聞き、真偽を確認している。金色の目が五度光った後、巫女婆が五本の指を広げて見せた。
全員、本当のことを言っているということだ。沙羅は決めた。
「本当は獣に触れていない方から回った方がいいのですが、今回は失血量を基準とします」
熊に襲われた者、猪に襲われた者、解放骨折した子ども、火傷を負った者、最後に夫婦喧嘩した者。
沙羅は回る順番を告げた。それが本当に正しいかどうかなど、本人たちを見た上で決めたわけではないのだからわからない。それでも、いまある情報を元に、沙羅はきちんと基準を決めて順番を決めた。
「行きましょう」
熊に襲われた爺さんの家に向かう。沙羅には早蕨も付き添う。里と里の間が離れているので、沙羅は馬を貸し出された。
「乗れるんですか?!」
早蕨が目を丸くしている。
「乗れるわよ。というよりも、早蕨さんは乗れないの?」
「乗ったことアリマセン!」
「あら」
切袴だから馬にもまたがれる。沙羅は早蕨に手を伸ばした。
「つかんで」
手をそっと伸ばした早蕨をぐいっと引き上げると、悲鳴を上げた早蕨に構うことなく、自分の前に早蕨をまたがらせた。
「うわ!」
馬の高さに驚く早蕨をしっかり左手で抱き込むと、沙羅は手綱を持った右手をそのまま馬の背に当てた。
(今日一日、よろしくね。この子は馬が初めてのようだから、ちょっとだけ気にかけてくれると嬉しいわ)
⦅分かったよ⦆
この一瞬で沙羅が馬と会話したことなど、誰も気づいていないはずだ。
「行ってまいります!」
沙羅の声に、巫女婆が頷いた。
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