沙羅、反省する
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昼少し前から眠りに就いた沙羅はまだ日が高い内に目を覚ました。起き上がると障子を開け、そろそろと歩きながら早蕨を探した。
どこからともなく聞こえてくる神楽に、沙羅は引き寄せられるように歩いていった。鬼族の里の神社にも神楽はあったが、太鼓と金物を鳴らしながら神職者たちが踊るというものだった。だが、人間の里の神楽には、笛のような音が混じっている。
音がはっきり聞こえるようになったな、と思ったら、沙羅は本殿まで来ていた。音の方に目を向ければ、本殿前にある舞殿の前で、巫たちが巫女神楽を舞っている。歌詞のような祝詞が、優雅に舞う巫たちの口から紡がれる。その音が、本殿の御神体に向かって吸い込まれていく様子が、沙羅にははっきりと見えた。
神様が、喜んでいらっしゃる。
神様が喜ぶと、恩恵を与えてくださる。それは鬼族の里も人間の世界も同じ。少し離れたところから、沙羅はじっと巫女神楽を見つめ続けた。
巫女神楽は、神降ろしのために行われるとも、神の御心をお慰めするために奉納されるのだとも言われている。どちらでもいいと沙羅は思う。美しいもの、キラキラした音。鬼族の世界では、多くの鬼族がそういうものにあこがれながら、自分たちではなかなか作ることができない。珍しいものだからこそ、余計にキラキラした美しいものにあこがれる。鬼族の音楽は力任せの大音量だが、人間界の神楽はその音だけでも心が洗われるようで、沙羅はじっとその音に耳をそばだて、巫たちの美しい舞に目を楽しませる。
巫女神楽の奉納が終わったところで、巫女婆が沙羅に気付いた。
「おや、お目覚めかね? 体調はどうだい?」
「おかげさまでゆっくり眠れました。巫女神楽まで拝見して、身も心も元気いっぱい。もう、いつでも動けます!」
ふんす、と力を込めて言うと、巫女婆はクツクツと笑った。
「お前さんは本当に、これまで一体どんな生き方をしてきたんだろうねぇ」
「『働かざる者、食うべからず』ですかね。体を動かしていないと、居心地が悪いんです。あ、舞殿で片づけをしているのなら、重い太鼓などを運ぼうかと思うのですが」
「ふふ、男衆から仕事を奪わないでやっておくれ」
そんな二人の耳に、鳥居の方から「お助けください!」という男の叫び声が聞こえた。皆が鳥居の方を向くと、農民と思われる男が駆け込んできた。
「お助け下さい! 山から降りてきた猪が子どもにぶつかって来て、跳ね飛ばされた後に噛みつかれちまったんです!」
「誰か、子どもを連れに行きな!」
巫女婆の言葉が飛ぶより前に、沙羅は男の元に駆け寄ると、そのまま男を抱えあげた。悲鳴を上げた男に、沙羅は走りながら「子どもの所に案内しなさい!」と強い声で叫んだ。
「え、あ……」
「右なの? 左なの?」
「み、右です!」
男は沙羅に抱えられたまま、子どもがいる場所を指示した。
「あそこです!」
見れば、草むらの上に子どもが寝かされている。大人たちが周囲を囲んで止血しようとしているようだが、血の勢いが止まらないようで、大声で布をと叫ぶ声が聞こえる。
「みなさん、どいてください!」
沙羅は担ぎ上げて来た男を下ろすと、子どもの傍に近寄った。
「あんたは?」
「お社の者です」
「でも、その恰好は」
「今朝来たばかりなので! いえ、とにかく子どもをお見せなさい!」
「得体の知れない奴に子どもを見せるなんてことはできねえ!」
子どもの傍にいた男が、沙羅を見て激しく抵抗する。だが大人たちが騒ぐ中、子どもの容態は刻一刻と悪くなってしまう。
「言い争っている時間があったら、子どもを助けたいとは思わないのですか!」
沙羅は怒っていた。子どもの命以上に大切なものが、この世にあるというのだろうか?
鬼族は子が生まれにくい。一人は生まれるが、子を二人持てる鬼はごくまれだ。違う相手と再婚すればその夫婦の間で一人は生まれる。だから、鬼族は一度結婚して子を持つと、それ以上子を持たないか、他の相手との間に子を儲けて子どもだけもらうか、選ぶことが多い。
そういう意味でも、沙羅と伽羅は異質なものとされた。角のない沙羅は、「あれは鬼族ではないく人間だ」と陰口をたたかれたものだ。
とにかく、子どもは大切な存在であって、その命を救うことは、鬼族の者にとっては自分の命以上に大切なことなのだ。
「いいから、どいて!」
沙羅は男たちを押しのけた。抵抗しようとする者もいたが、鬼族の力を持つ沙羅の前では赤子と変わらない。
沙羅は急いで首に手を当てて子どもの脈を取った。『死にたくない』と泣く子どもの心の声まで聞こえて来て、沙羅はぐっと唇を噛んだ。
よかった、まだ生きているから、何とかしてあげるね。
沙羅は、昨夜黒鉄隊の隊員たちを治療したように、自分の手を猪に噛まれた傷に当てて、己の「修復」の妖力を子どもに流し込んだ。
鬼火に似た光が沙羅と子どもの間にパッと光り、すっと子どもの体に吸い込まれていく。猪のような獣に噛まれた場合は、感染症にかかることもある。だからただ傷をふさいではいけない。傷をふさいで血がこれ以上失われないようにしながら、傷から入り込んだ異物を血管伝いに追い、破壊する。次いで体中に妖力を流し、筋肉や骨の異常を調べる。軽い打撲だけで済んでいる。
子どもがうっすらと目を開けた。
「父ちゃん……」
「犬丸! 痛い所はないか?」
「ちょっと痛いけど、大丈夫」
血を早く取り戻すには、本当はこの子に豚の肝臓を食べさせてやればいい。だが獣を食べる習慣はないと母が言っていたことを思い出し、人間に受け入れやすい食べ物を頭に浮かべた。
「軽い打撲は、自然治癒に任せましょう。傷はふさいだし、体内に入った悪いものは壊しました。あとは失った血が多いので、あさりやしじみ、卵をたくさん取りましょう。今の時期なら小松菜も一緒に取るといいわ」
立て板に水の流れるがごとく滔々と話した後で、沙羅ははっとして周囲の大人たちを見た。
「あ……ごめんなさい、話しすぎましたね」
「いや、あんたすごい巫だな」
「巫?」
「違うのか?」
「いえ、来たばかりなので」
「おい、すごい巫が来たぞ! 犬丸を治してくださったぞ!」
最後まで沙羅の治療を拒否していた男が、興奮しながらそう叫んだ。そして、犬丸と呼ばれた子どもを抱き上げて、おいおいと泣き始めた。
「犬丸、よかった、犬丸!」
沙羅は、また一つ、自分が誰かの役に立てたことがうれしくかった。そっと犬丸と大人を囲む輪から外れようとした時、自分が担ぎ上げて来た男に肩を叩かれた。
「あんた、ありがとう。あいつは奥さんを早くに亡くしてなあ、一粒種の犬丸はその奥さんによく似ているから、それは可愛がっているんだ。犬丸に何かあったら、あいつも生きていけなかった。あいつはこの村唯一の猟師で、あいつがいないと村は今まで以上に獣に襲われるようになる。あいつは、この村に必要な存在なんだ。本当に、ありがとう」
「いえ、私にできることをしただけです。これから先ももうしばらく体を動かさず、血が戻るまで食事に気を付けるようにと伝えてもらえませんか?」
「ああ、わかった」
沙羅はそっと村から出た。そして、ふと気づいた。
どうやってここまで来たのか、覚えていないわ!
沙羅はすごすごと後ろを振り返った。見送りに来てくれたのか、抱き上げて来た男と視線が合う。
「あの……お社へ案内していただけませんか? 道が分からなくて」
我ながら、恰好悪すぎる。しょんぼりした様子で沙羅がそう言うと、男はガハハと笑った。
「いいよ。ついて来な。なんならもう一度『抱っこ』でもいいぜ?」
「それは……遠慮します」
「面白い姉ちゃんだ。巫女婆に礼も言わなきゃならんからな、ちょうどいい」
男は前を歩き始めた。ついておいでと手招きする。冷静に考えれば、男を抱えあげて走るなど、ありえないことだ。男だって道中恥ずかしかっただろう。
10歩以上距離を取って、沙羅は男についていった。
子どもを救えたうれしさと、この男に恥をかかせたことへの反省が、沙羅の中でぐるぐるしていた。
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