金雀枝の巫女婆
読みに来てくださってありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
沙羅が連れて行かれたのは、都の外にある黒鉄隊の屯舎だった。都の外に置かれているのは、鬼や妖怪が出た時に移動の面で都合がいいからだと黒松の大将は言った。
「洛中の民や貴族の行列を避けながら外に出るより、最初から外にいた方が馬も全力で走らせられるからな」
どうやら黒鉄隊は、洛外での緊急対応が多いようだ。
明け方に屯舎にたどり着いた一行は、馬の泥を丁寧に落として餌を与えてから、今度は自分たちが湯をかぶった。湯を被るのは贅沢なことだ。庶民が風呂に入ることはまずない。寺院などでの施浴はあったが、それだってごくまれなこと、行水や手ぬぐいで体を拭くのが普通だ。貴族であっても、風呂と言えば蒸し風呂での蒸気浴が一般的で、湯船などなかった。湯殿にあるのは大き目の盥で、その中に湯を入れて使うわけだが、体を清潔に保つためと言うよりは禊に近い感覚だ。
そんな中で、黒鉄隊では湯をざぶざぶを浴びられることになっている。かなりの贅沢だが、それが許されているのには当然理由がある。
鬼や妖怪の返り血を浴びたままにすると、病を得ると言われているからだ。だから、討伐から帰ったらすぐに湯で返り血を洗い流さねばならないし、返り血が付いたまま洛中に入ることは禁じられているらしい。これも黒松が教えてくれたことだ。
黒松を待っている間に、下人から食事が供された。粥と漬物と汁椀だったが、塩の味が強かった。おそらく、討伐帰りの隊員たちの食事を分けてくれたのだろう。それをいただいていたので、待ち時間はそれほど長くは感じられなかった。それ以上に、隊員たちが湯を使って騒いでいる声が聞こえて、随分にぎやかな人たちだと沙羅はほほえましく感じた。
「待たせてすまなかった」
湯上りの黒松は、黒い甲冑姿から狩衣姿に着替えてから沙羅の前に姿を現した。明るいところで見る黒松は、やはりどことなく母の面影を持っている。ただ、黒松の方が凛々しい。
「王宮へ報告に行く前に、沙羅を巫女婆の所へ連れていくよ」
「巫女婆、ですか?」
「女性である沙羅を、男ばかりの黒鉄隊隊舎に泊めるわけにはいかないからな」
黒松が連れて行ってくれたのは、隊舎に隣接する神社だった。任務の中で女性を保護した時などは、この神社の巫女婆が面倒を見てくれているのだという。
「一生を神に仕えると決めた巫女とて、いずれ年老いるだろう? そういう年老いた巫女がこの神社にはいて、民の相談にのったり、暴力を振るうような夫から逃れてきた者の身や心を治療したりしてくれるんだ」
婆とは失礼ではないかと思ったが、ずっとそう呼び慣らわされているのだと黒松は言った。
隣の神社は、それほど大きな社殿を持つ神社ではなかった。だが、鳥居をくぐった瞬間、沙羅は確かに空気が変わったのを感じた。鬼神の神社と同じだ。ということは、この神社に祀られている神は、きわめて強い神気を持っていることになる。人の気配はあまりないから、最低限の者だけがこのお社の神に仕えているのだろう。
「巫女婆、頼む」
奥からぬらりと小さな老婆が姿を現した。巫女の装束に似ている部分もあるが、初めて見る不思議な服を着ている。老婆は黒松を見、次いで沙羅を見て一瞬眉をひそめたが、すぐにその表情を消した。
「大将か。お勤めは……無事果たされたようじゃの」
「いや、実は今回、鬼と交戦していないんだ」
「は?」
老婆は素っ頓狂な声ををあげた。
「どうやら鬼は雷に打たれて死んでしまったと思われる。我々も落雷の被害を受けて怪我をした者がいたが、彼女が治療してくれたおかげで。全員生きて山から降りてこられたよ」
「治療、ね」
巫女婆はじっと沙羅を見た。
「で、この娘を預かればいいのかえ?」
「隊舎には入れられないが、恩人だからな。謝礼が用意できるまでこちらで預かってほしい」
「ああ、いいよ。あんた、ついておいで」
巫女婆が背を向けて歩き出した。ついて行っていいのか分からず黒松を見ると、小さくうなずかれた。
「明日、また来る。それまでは君も休ませてもらうといい」
「はい」
「あんた、来るのか、来ないのか、どっちか決めておくれ」
「早く行った方がいい。巫女婆は機嫌があまりよくないようだから」
「はい。ありがとうございました」
「ああ」
沙羅は巫女婆の元に走り寄った。
「すみません」
「ちょっと、こっちへおいで」
巫女婆に連れられていったのは、お社の本殿だった。ご神体が祀られている様子は、鬼神様のお社とほぼ同じように見える。
「あんた、名前は?」
「沙羅です」
「沙羅、一つ聞く。あんたは誰かに害をなそうとしているか?」
「いいえ、そんなことありません!」
突然、巫女婆の瞳が金色に変化した。
人間は、瞳の色が変わるの?
沙羅は驚いた。鬼族にはそんなことができるものはいない。沙羅の胸の高さほどの背丈しかない巫女婆の瞳に惹きつけられて沙羅は膝をついてじっと巫女婆の金色の瞳をのぞき込んだ。
「きれい……」
ふっと笑い声がして、瞳が金色から黒に戻った。せっかくきれいなものを目にしたのにと、沙羅はなんだか残念が気がした。概して鬼族はキラキラしたものが好きだ。送り鬼を決める儀式の途中で、太陽の光をキラキラと反射する湖面に見とれていたのは、沙羅だけではなかった。
沙羅の顔をのぞき込んでから、巫女婆は爆笑した。
「あんたには他人を害するという意思はこれっぽちもないんだねえ」
「え? はい、ありませんよ」
「うん、とりあえず試験は合格」
「試験ですか?」
「ああ。あんたは嘘偽りを言っていないと判定した」
「判定? もしかして、さっきの瞳……」
「聡い子は嫌いじゃないよ。そう、あたしの目は真実と嘘偽りを見抜く。巫女となった時に神様から貸し出された能力だよ」
「神様が能力を貸してくれるんですか?」
「あんた、そんなことも知らないのかい? どれ、沙羅。あんた、この秋津洲の国の者じゃないのかい?」
表情に出すべきではないと思ったのに、沙羅は困惑の表情を浮かべてしまっていたらしい。巫女婆の目が再び金色に光り、そして黒くなった。
まさか、鬼だと気づかれてしまったのだろうか?
だとしたら、すぐに殺されてしまうのだろうか?
震える沙羅に、巫女版が首をかしげた。
「真実でも、嘘偽りでもないとは、どういうことなんだろうねぇ?」
巫女婆の目が厳しいものになった。
「人か?」
沙羅はその場で固まった。
「人ならざる者か?」
巫女婆が立て続けに言葉を発する。瞳は金色に輝いたまま。
「人ではないが、人ならざる者でもない。では何なんだろうねぇ」
沙羅はその場に土下座した。
「お願いです、私が何者か、問わないでください。山の奥に行こうとしたのに、黒松様に連れてこられてしまって……どうしても謝礼したいからと……いただいたら、すぐに山奥に戻ります、ですから……」
沙羅の頭に巫女婆がポンポンと優しく触れた。
「あたしは真実か偽りか、そのどちらかしかわからない。だから、あんたが何者なのかはわからない。一方で、あんたがあたしたちに害を為す意思はないと確認できている。とりあえず、大将様がここに置いてくれとおっしゃったんだ、大将様の言葉とあんたの心を信じるよ。大将様との用事が済み次第、あんたが山奥に戻るというのなら、あたしはこれ以上何もしないよ」
「はい、黒松様のお許しが出次第、すぐにここを出て行きます。それまでの間、私にはお納めするお金も何もありませんので、どうか下女と思ってご用をお申し付けください。力仕事は得意です」
「娘っ子が力仕事とな! いいね、若い巫女衆は力仕事なんぞせぬし、神官たちも生ひょろい奴らばかり。黒鉄隊の連中にやってもらっていたことを、少しばかり手伝ってもらおうかの」
「はい! 何をすれば」
「でも、今日はだめ」
巫女婆はふふふ、と笑った。
「あんた、夜通し『鬼門』から移動して、寝ていないんだろう? それに、黒鉄隊の隊舎で湯も浴びていない。まずは体を清めてから眠りなさい」
「でも」
「大将様が明日って言ったのは、そういうことだよ。黒鉄隊の連中も、今頃は蒸し風呂で穢れを落として、食事をとって、それから眠っているはずだよ」
つまり、夜中に活動していたのだから今は休めと言うことか。
「とにかく、その汚れた着物でうろつかれたんじゃ困るからね。ここにも禊用の湯殿がある。湯を沸かしてやるから、せめて体を拭っておいで。着替えはこっちで用意しておくよ」
「ありがとうございます」
一時は正体を暴かれるのではないかと焦ったが、巫女婆は受け入れてくれるようだ。そのことにほっとした沙羅は、素直に巫女婆の指示に従うことにした。
「それで、あの、巫女様をこれからどうお呼びすればいいのでしょうか?」
湯殿に向かう途中、沙羅は巫女婆に尋ねた。
「真名は巫女になる時、神様にお渡ししてしまったから言えない。黒鉄隊の連中は巫女婆と呼ぶが、他の社にいる巫女婆と区別したい時には、金雀枝の巫女婆と呼ばれるよ」
「では、金雀枝様とお呼びすればよいのでしょうか?」
「巫女婆でいいよ」
そう言った巫女婆の顔は、随分と柔らかかった。
湯殿でしばらく待てば、湯が運び込まれた。
「あの、残り湯で着物を洗っても構いませんか?」
「あんたがよければそうすればいいが……寒いからね、湯冷めして風邪ひくんじゃないよ」
社殿に上がるために足を洗った際、着物の裾が随分と汚れていたのが気になっていた沙羅は、死に装束として与えられた着物を脱ぎ、体を温かい湯で拭った。それから白の小袖だけ身に着けると、汚れた着物を洗うことにした。白い単衣だったのが幸いして袷よりも水分がだいぶ抜けている。乾いた泥を叩き落し、残った湯で無理にこすらぬように泥を落としていく。せっかくの真新しい着物だったのだ、落とせるだけの汚れは落としてやりたい。
だめだったら、染めるからね。
着物にそう話しかけながら湯の中でゆるゆると動かせば、少しずつ泥が落ちていく。だが、やはり元の白には戻らない。
湯の温度も冷めて来た。沙羅は着物を手元の桶から取り出した。大きな盥には、もう湯は残っていない。
これ以上は無理みたい。ごめんね。
着物を桶に丸めると、細帯を締め直してから着古した褶だつもの(巻きスカートのような物)を巻き付けた。湯殿から出ると、巫女見習いと思われる童女が待っていた。
「金雀枝様より、お世話を仰せつかりました。お部屋にご案内します」
巫女見習いの童女を含め、人間界の巫女は鬼族の里の巫女とは衣装が異なるのだな、と思いながら沙羅は童女の後ろについていく。沙羅のイメージでは巫女は千早のようなものを着ているものだが、どちらかというと古代の采女の衣装に近いように思われる。緋袴に有職模様を織りこんだ無地、それに白い掛衣を重ねた独特の衣装。鬼族の服は今着ている服とほぼ同じだが、この服は初めて目にする。そして、それは沙羅の好みだった。
「素敵な服ね」
沙羅の言葉に、童女は後ろを振り返った。
「お姉さんも巫になれれば着られますよ」
「『みこ』と『かんなぎ』は別物なの?」
「普通の人はあまり区別していないかもしれませんが、私たち神職者は区別しています。お社を離れて各地を回り、民に直接神様の言葉を伝えるのが『巫女』で、お社にいて神祇官を通して王様にお仕えしているのが『巫』です」
「だから、あなたも『みこ』ではなくて『かんなぎ』の見習いなのね」
「厳密に言えばそう言うことになります。まあ、お社に関係していない人に言ってもあまり理解してもらえないので、『巫女見習い』で通しています」
「そうなのね」
ふと、金雀枝の巫女婆が「巫女になった時に神様から力を与えられた」と言っていたことを思い出した。
「『かんなぎ』になる時に、力を授かるの?」
「そうです。というか、ある日突然、神様に呼ばれて力を授けられるんです。力を授けられた人が、『巫』になる。授けられなければずっと見習いのまま。16歳までに『巫』になれなかった見習いは、お社から去るか、下女としてお社に残るか、決めなければならないんです」
では、既に十八歳の自分が『巫』になることはないのだろう、と沙羅は少しだけ残念に思い、そう思った自分に驚いた。
人間から離れて生活しなくてはいけないのに、私ったら何をかんがえているのかしら。
まさか「衣装に憧れました」なんて口が裂けても言えない。
童女はとある部屋の前でついと膝をつくと、障子をあけて沙羅に入るようにと言った。
「こちらへどうぞ。洗濯物はこちらで干しておきます。まずはゆっくり休んでくださいね」
「あの」
沙羅は障子を閉めようとした童女に「あなたのことはなんて呼べばいいのかしら?」と尋ねた。
「貴族ではありませんが、神職者も真名を秘します。私は早蕨と呼ばれております」
「早蕨さんね」
「お姉さんの名は、言わないでください。もしかすると神職者になるかもしれませんから」
早蕨と名乗った童女は、随分としっかりした子だと沙羅は思った。
「早蕨さん。ここにいる間、どうぞよろしくお願いしますね」
「はい」
早蕨が障子を閉めた後、沙羅は既に敷かれていた布団に潜り込んだ。節分を過ぎた今日から暦の上では春になったが、実際の季節はまだまだ冬である。鬼の体を持つ沙羅には人間が厳しいと感じる寒ささえもそれほどではないと感じるが、それでも布団の中の温みに沙羅はほっとした。
鬼族の里で沙羅は、近所の人からもお頭の家族からも「角無しの、醜い、かわいそうな娘」扱いされていた。沙羅の素性を知らないからこその態度かもしれないが、醜くかわいそうな子という蔑みの目で見られないことが、沙羅には心が震えるほどうれしかった。
しっかり眠って、ここに滞在させてもらえる間だけでも、このお社の皆さんの役に立とう。
沙羅の瞼が重くなる。昨日の湖での儀式で「送り鬼」に指名されてからずっと、緊張し続けていたことに今頃気づいた。
私、疲れていたのね。
もうその後のことは覚えていない。あの簪を挿した母が何か言っていたような夢を見たような気がするが、それさえ覚えていられぬほどに、沙羅は深い眠りに落ちていった。
読んでくださってありがとうございました。
巫女の装束については、今のスタイルが確定したのは明治以降ということで、むしろ古代の形を残している采女装束をイメージしました。千早もかわいいけれど、采女装束もかわいいと私は思います。それに、采女も神事に関わりますので、全くの無関係というわけでもないかなと……。
いいね・評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!




