天狗3
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「天狗が現れた」
洛中にそんな噂が瞬く間に広がったのは、それから数日後のことだった。
誰も見ていないのに、そんな噂が広まるのはおかしい。やはり誰かが後ろから糸を引いているようだ。
沙羅は黒松と話をした翌日から動き出した。国王の医療補助として、弱り切った体に負担がかからぬ程度の修復を掛けるという名目で、宮中に入り込むことにしたのだ。顔を隠したまま過ごしていても、いずれはその面布を取れと命ずる高貴なお方の一人や二人、いるに違いない。
自ら囮になると決めた沙羅の行動は早かった。内薬司に在籍する国王担当の医師とは、前回の一件で知らぬ者ではない。国王の回復を補助したいと手紙を出せば、あっという間に話は通った。
内薬司で打ち合わせようと連絡をもらった沙羅は、巫女婆に伝え、黒松には手紙で詳細が決まったら連絡することにした。そして、側仕えに早蕨だけを伴い、早速宮中に出かけた。
「朝議の後、内薬司の医師と共に伺候する。医師の診察後、『修復』の力で治癒する。ただし、妖狐に掛けられた妖術のせいか、陛下には精神的な負担も大きい。したがって、一度に『修復』せずに連日少しずつ『修復』をすることにしよう」
「わかりました」
「それで、ここへは通うのか?」
内薬司の医師によると、宿直用の部屋が内薬司にはあるが、防犯上の理由から女性が一人で利用することはない。
「黒鉄隊の隊舎のあたりから宮中に通うのは、少し大変ですよね」
「女性が入れる寮のようなものはありませんか? そうでなかったら、宿があればそちらから通おうと思いますが」
内薬司の医師は「宿も安全ではないし、我が家に連れて行けば妻が誤解しそうで怖いし」とつぶやいた。
「王族専用の巫となれば、彼らが住む殿舎はあるのですが」
「そこには入りません」
沙羅ははっきりと告げた。
「私は王族専用にはなりません。ですから、そう誤解されるようなことはしたくありません」
困った医師は、とりあえず今日の診察に行くと言った。
「沙羅殿もついて来なされ」
医師に連れられて、今日は国王自身の寝室に連れていかれた。寝室自体はそれほど広くない。食事の為の部屋や面会のための部屋などもあり、殿舎一つが全て「私室」と思えばいいらしい。随分広い私室だと沙羅は思いながら、入室の許可を待った。
「入れ」
近衛の許可を得て医師と共に入ると、国王が「あ」と言った。
「沙羅ではないか! 王族専用の巫になってくれたのか?」
「いいえ。陛下の回復が思わしくないと伺いましたので、お手伝いに参りました」
「そうか。それでは、数日は滞在するのだろう? どこに寝泊まりするのだ?」
「それが……」
「うん、沙羅を『薬司』に任じよう」
「え!」
医師と侍従が驚いている。
「あの、薬司って……」
「妖狐だった胡桃殿が任じられていた、あれだよ」
医師に言われて、沙羅は思い出した。
「お薬湯係ですか」
「本当はもっと国王の医務に携わる重要な仕事なんだけどな」
国王の苦笑いに、沙羅は信用ならないという目をした。
「そんな重要なお仕事につく女性をお手付きになさったと」
「後宮十二司と呼ばれる宮中の女官はね、全部王の者なんだよ。だから、それは問題にならない」
「そういう役職であるならば、私はお受けできません」
「沙羅にその気がないのは知っている。でもね、薬司であれば、この部屋にも入れる。医師たちとも連絡が取りあえる。宮中を大っぴらに歩けるよ」
手招きされたので傍に近づくと、そっと耳うちされた。
「何か、調べたいことがあるんだろう」
同様を隠しながら小さくうなずいた沙羅に、国王はくすくすと笑った。
「沙羅、その方を薬司に任じる。ただし期間は余が全快するまで」
侍従が急いで出て行った。
「あれは任命書を持って戻ってくる。ついでに、沙羅の部屋も用意してくることだろう」
「は」
それ以上、どう答えたらいいのかわからない沙羅に、医師が「お礼を言えばいいんだよ」と教えてくれた。
「それで、ここに来るって、黒松には伝えてあるの?」
「いろいろ決まったところで詳細を手紙で知らせることになっています」
「なら、その手紙にこう付け加えてくれないか。『褒賞は、沙羅の望み通りに薬司の食を与えた』ってさ」
国王が笑顔を見せた。
「沙羅に協力してもらって、早く元気になって、子どもを作らないといけないんだ。それが、黒松を解放することになるから」
この人は、表に見せる顔と裏の顔がある。だが、裏の顔があくどいわけではなく、ただ……純粋すぎるように感じられる。
沙羅のいとこかもしれないと思うと、黒松の時に感じたのと同様に、縁とは不思議なものだと思う。今はこの縁を利用して、真実に近づきたい。同時に、もし国王が命の危険にさらされているのであれば、その危険因子を取り除きたい。
それは、双子の伽羅に感じるのと似たようなものだ。
そんなことを考えながら『修復』を国王の全身に少しだけかけている内に、侍従が戻って来た。確かに、任命書がその手に握られている。
「お部屋の準備も整いました」
「じゃ、沙羅。また明日」
国王の部屋から下がり、侍従に連れて行かれた部屋は、沙羅の予想通りの部屋だった。
「ここか……」
妖狐だった胡桃がいただいていた部屋だった。調度品もそのままだと侍従は言った。ついてきた早蕨も、なんとも言えない表情をしている。
「必要なことがありましたら、お呼びください」
「あなたの名前は?」
「合歓と申します」
「合歓さんね。よろしく」
握手しようと手を差し出すと、ひどく怯えられた。
「ああ、握手って私の里だけの風習だったわね」
「すみません、男性どうしだとまだ経験があるのですが、女性と握手したことがなかったもので」
「そ、それはごめんなさいね」
既に寝具も用意されている。箱の中は、胡桃、いや妖狐が使っていたものばかりのようだ。
「詳しいことは知りませんが、この部屋のことも調べたかったんでしょう?」
「そうね。この間は、簪も調べられなかったし。妖狐だった方に驚いて、それどころじゃなかったもの」
なぜか早蕨にはバレている。
「沙羅さんがお社に来てから一番長く傍に居るのは、私ですからね」
そう言いながら、早蕨は沙羅のための化粧箱や文箱を出してくれた。
「黒松様には、早く手紙を差し上げた方がいいと思いますよ」
「そ、それもそうね」
沙羅は手紙を書き始めた。長い手紙になりそうだ。
読んでくださってありがとうございました。
ねむの木の漢字「合歓」の音読みが崩れて「こうか」とも呼ぶそうです。
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