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ここにいても、いいですか?  作者: 香田紗季


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天狗2

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

「先王って、前の王様ってことよね? どういうこと?」

「沙羅はやっぱり何も聞かされていない?」


 黒松の目が、沙羅の着物の袂に注がれた。


 ああ、この人は、あの簪を知っているんだわ。


 沙羅はどこまで話し、どこから話さないか、まだ決められない。ただ、母のことをごまかすことはしたくなかった。この人間の世界から、生きるために鬼族の世界に落ちて来た哀れな人を、再びこの人間の世界で貶めたくはなかった。


「この簪は、母の形見の品なの」


 沙羅は袂にいれた小袋から簪を取り出し、そっと指先で撫でた。そして黒松の手にそれを載せ、本当に先王だけの印か確認してほしいと言った。黒松は簪をあちこちから眺め、素材を確かめ、向かい合わせに置かれた藤の花をアレンジした蝶の文様をしげしげと見つめた。


「間違いない」


 沙羅は思わず手を床についた。「詳しいことは知らないの、本当に」と言った。


「母が、友情の印として、ある方に差し上げたものなんです。その方の話では、出自を示すものだと母が言っていたそうなのですが……それ以上のことは分かりません」

「母上は?」

「ずいぶん前に亡くなっています」

「沙羅の里は遠い所だって言っていたよね? 母上がどうしてそんなところに行ったのか、知らないか?」

「殺されそうになって、逃げている内に、気づいたらそこにいたって……」


 沙羅は泣きそうになった。自分が鬼であることだけは、何としても隠したかった。隠さなかったら、ほのかに芽生え始めた己の恋心もろとも、この愛しい男に殺されることになってしまうから。


 やはりまだ自分には覚悟がたりない。


 沙羅は話を逸らそうとした。思いついたのは、たいしたことではなかった。


「先王って、どんな人なんですか?」

「なかなか難しい人だったらしい。若い頃に心の底から愛した人がいたけれど、一の妃……今の太皇太后様に睨まれて、その女性を泣く泣く手放したと聞いたことがある。それ以来心を閉ざし、専制政治を行った。粛清された貴族も少なくない。今の陛下は先王の孫だが、王太子だった陛下の父上は、先王の怒りに触れて幽閉され、毒盃を賜った。わが子でさえ処断対象になるくらいだから、些細なことでも失敗が許されない。先王がご存命だった頃は、宮中は常に緊張していたよ」


 沙羅は、自分の母が母君に話した内容しか知らない。鬼族の里で生まれ育った沙羅には、黒松の話は、正直に言うとどれほどの意味があるのかもよくわからない。


「大切なのは、その簪が示すこと……沙羅が先王の孫の一人であるということ、そして太皇太后がこの世で誰よりも憎んだ女性の孫でもあるということだ。沙羅の母上が何者かに命を狙われた話が本当であれば、刺客を放ったのは太皇太后やその一派の科野性が高い。もし、沙羅の血筋が太皇太后に知られれば、あの方は沙羅を始末しようとするかもしれない」

「どうして、私が?」

「この紋は、先王陛下の御印だったという話はしたよね。先王陛下は、私にとっても祖父に当たる人だ。一度だけ、先王陛下に聞いたことがあるんだ。もし、この後、心から愛せるが身分が釣り合わない人と出会ってしまった場合、どうしたらいいのですかって。あの時の私は、まだまだ子どもだった。先王陛下が愛する女性を手放した経験を持つことを、知らなかった。まだ私が子どもだったから、誰かに入れ知恵されたわけではないのだろう、一般論について尋ねたにちがいない、そう飲み込んでくださったのだろうが、あの時確かに言ったんだ。『自分だけの紋を入れた女物の簪を一本だけ作って、その女に渡し、子どもに伝えてもらう。その簪は、二本作らせない。唯一の女性だと誓うためにな』と。つまり、沙羅のお婆様は、先王陛下が心から愛した唯一の女性だった可能性が高い。そして、母上の存在を知った太皇太后が、先王陛下の子を消そうとした、そう考えるのが一番しっくりくる。まあ、太皇太后の実家である黒藤家が動いた可能性もあるが、元をたどれば太皇太后に行きつくはず」

「待って下さい、女性に男性側の家紋をつけた簪を渡すと聞いたことはありますが、私的な紋を使うという話は聞いたことがありません」

「王家の紋では、どの王の寵愛を受けたか証明できないだろう? だから王だけは御印と呼ばれる自分だけの紋を持ち、日用品にはその紋を入れる。王の御印紋を持つ簪は、その女の子どもが王家の子である証拠。何かあった時には、身を救う物にも、命を奪われる証拠の品ともなりうる」


 知らない。聞いていない。


 まさか、自分がこの国の権力者の血を引くなんて。


「もし黒松様の話が本当なら……私たちはいとこなの?」

「おそらく、そうなるだろうな」


 沙羅には、太皇太后がどうしてそこまで祖母の血を継ぐ存在を憎むのかわからない。それは、血の尊さより腕力の方が尊いとされる鬼族の中で生まれ育ったからなのかもしれないが。


「ところで太皇太后様は、陛下が嫌いなの?」

「なぜだ?」

「今、陛下の尊属である王族は、太皇太后さまだけなのでしょう? 陛下を邪魔だと考える人がいるとすれば、次に王になる可能性がある人か、自分の血を継ぐ他の者をその地位に付けようとする人か、そのどちらかじゃないのかしら」

「太皇太后が、陛下を?」

「調べませんか? 太皇太后様と陛下には、何かあるのかもしれません」

「そうしよう」


 沙羅の父について、触れられることはなかった。それに安心すると共に、おそらく祖母は消されたのだろうと思った。母もまた理不尽にこの世界から抹殺されようとしたのだという確証を得て、沙羅の中で何かが燃え始めるのを感じた。


 お母様、お婆様。私、お二人を苦しめた罪人を必ずとらえて、お二人に謝罪させます。だから、それまでどうか、私に力を貸してください。


 黒松が去った後、洞窟の入り口で密かに聞き耳を立てていた人物がいた。洞窟の中では、小さな声でも反響する。その人物は沙羅の声を聴いてから、そっと立ち去った。


読んでくださってありがとうございました。

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