妖狐7
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妖狐の妖術によって自分の中にあった砂上の楼閣のような世界から戻って来てから数日、沙羅は床に伏していた。自分の中に残っていたお頭への思い……自分でも気づいていなかった、伽羅も誰もいない世界であれば、「角無し」と言われたり美醜を比較されたりすることもなくお頭を独占できるのに、と思っていたことが…その己のあまりの醜さに、沙羅は打ちのめされていた。
実際に、体に負担がかかっていたのは確かなので、医師からも十分な療養を命じられ、沙羅はどうしてもと願って、お社の裏山にある洞窟に籠っている。
洞窟は蝙蝠もいる、蝙蝠は病気の元になると巫女婆や医師たちからは難色を示されたが、自然の力を直接、自分の体に取り込みたいのだと言えば、巫女婆は許してくれた。巫女がその力を弱めた時、自然界で修行をするのは珍しい話ではない。それと同じだと言えば、医師たちも引いてくれた。
「その代わり、食事は無理やりでもとらせるからね」
一日に二度、早蕨か花梨がやって来て、完食するまで動かない。そして、空になった食器を持って、お社に帰っていくのだ。
「そう言えば、陛下のご容体は?」
「摂取した毒はある程度出たようなのですが、毒のせいで痛めた内臓の状態は思った以上によくないそうです」
「そう……私が回復次第、すぐに呼ばれそうね」
「まだ病み上がりなのに」
「いいのよ」
国王が元気にならねば、松宮家の者たちが王族になる。黒松の自由は失われ、籠の中の鳥のように息をひそめて生きることになる。黒松が黒鉄隊の隊長として妖怪たちと戦い、都を、民を守る仕事に誇りを持っていることを知る沙羅としては、危険な仕事ではあるが、黒松が望むまで支えたいという気持ちがある。
「だから、早く治さないとね」
誰もいなくなった洞窟で、沙羅は岩に手を当てて大地の力を得る。何万年もかけてできた岩には、大地だけでなく、海や空の力も含まれている。一気にその力を吸収すると、岩が脆くなって洞窟が崩壊する。
だから、一日に少しずつ、岩から力を分けてもらうことにした。
山の動物たちは、沙羅が鬼だと気付いている。体が弱っているのではなく、心が弱っているだけだということも知っている。だから、そっと見守っている。
「もう少し、私の心を整理したいの。だから、もうしばらく、ここに居させてね」
沙羅の言葉は、攻撃されないという形で受け止められているようだ。
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国王の状態を「修復」できる沙羅の力は、今、王族たちが喉から手が出るほどに求められていた。
「妖狐を捕らえるよりも先に、陛下をお助けすべきであった」
そう主張し、沙羅を捕らえよと叫ぶ者もいたらしい。尤も、そんな国王自身の叱責により、今では大っぴらに口にする者はいないそうだ。
国王が沙羅をかばったのには、当然ながら理由がある。
妖狐によって理想の世界……国王としての全ての責務から解放され、子ども時代に戻って、たった一人で自由を満喫……に閉じこもっていた国王は、自身が妖術にとらわれたことに気付いていなかった。体もここの所不調続きだったはずなのに、軽くて痛みもない。仕事だ、御子だと騒ぐ者も、御子を産み、将来は国母として権力と富を手にしようと近づく女性たちもいない。
静かで、穏やかな世界だった。
その世界が玻璃の器のように欠け始めた時、国王は恐れた。ここから出たくないと思った時、自分がこの世界に囚われていたことに気付いた。どうしたらここから抜け出せるかわからずに泣いていたところを、沙羅に拾われた。
沙羅の背に負ぶわれて光の玉の中に飛び込んだ時、王家の始祖神の姿を見た。沙羅は気を失っていたが、国王は始祖神から告げられたのだ。
「吾子よ。今の苦しみ、後の幸せとなるべし。そのこと、な忘れそ」
ふわりとその腕に抱きしめられた時、乳母の手に抱かれて眠った時のように感じら得た。心が温かくなり、わけもなく、自分は大丈夫だと思えた。
「吾子よ。其は鬼であり、吾子でもある者。其が之を守らば、之もまた其を守らむ。慈しむべし」
始祖神の腕が離れた時、国王は目を覚ました。強烈な痛みに血を吐く。枕元には内薬司の意志だけでなく、典薬寮の医師もがいた。
「お目覚めになりました!」
ひとしきり咳き込んだ後、解毒の薬を飲まされた。胡桃が飲ませた薬草茶とは違い、飲む時に痛みはなかった。
「あの巫は?」
痛みでかすれる喉を無理に使って尋ねれば、「あちらに」と言われ、国王は苦しみながら部屋の隅を見た。
周りを黒松や他の巫たちに囲まれた沙羅が、目を開いたまま、倒れていた。
国王は少しずつ回復していった。沙羅の方は体に傷などはないものの、心病んでいる様子らしく、巫として国王を治療できるほど回復できていないと聞いた。
「沙羅がいなかったら、夢の世界から戻れなかった。だから、沙羅は最大の功労者だ。悪く言うことは許さぬ」
もう一度、沙羅に会いたかった。誰かに似ているような気がしてならなかったし、始祖神が言っていた言葉の意味が理解できなかったが、もう一度会えばすべてがわかるような気がした。
・・・・・・・・・・・・
その後、妖狐は人間の姿に戻され、話を聞かれた。
「脅されたんです。それで、国王を始末しろと」
「誰に?」
「……言えません」
「言わねば確認できない」
「あなたたちが知ったら、あなたたちも殺されてしまう!」
「だが、確認できなければ、お前が脅されたことを立証できない。立証でいなければ、お前を待つのは、陛下に毒を盛って殺害しようとした罪で処刑される未来だけだ」
「……覚悟ができたら、言います。今はまだ、その方が怖くて言えません」
「明日までだ」
取り調べを担当した黒鉄隊の隊員は、見張り番を置いて供述内容をまとめ、伊吹に提出した。
報告書を見た伊吹は、それを黒松に回した。
「九尾の妖狐が震えあがる相手? 誰だろう?」
「あれが恐れるとしたら、鬼か天狗でしょう」
「鬼か天狗が、陛下の命を狙ったというのか?」
「黒鉄隊が持つ知識では、それ以外には考えられないかと」
黒松は報告書を閉じた。調べねばならないことが、まだまだありそうだ。
だが、翌日、事態は急変した。
妖怪の干渉を受けないように、陰陽寮の者たちが張ってくれた結界が破られたのだ。駆け付けた時、妖狐は既にこと切れていた。
「黒幕をしゃべらずに行ってしまったな」
「だが、妖狐が恐れるだけの相手であることは確認できた」
「そうだな。あの結界を破った奴は、今までに一人だけ」
「酒呑童子だな」
「では鬼か?」
「だが、今年は鬼が現れなかった」
「それが今、現れたのだろうか?」
だが、妖狐が胡桃となって紅藤家の分家筋に入り込み、そして宮中で女官となって国王に仕えるようになった時間を逆算すると、一年以上の時間が必要なはず。
「陛下の周囲は、近衛が守りを固くした。ならば黒鉄隊は、鬼か天狗と戦う準備をするだけだ」
黒松の言葉に、伊吹は頷いた。
「どちらにしても、手強い敵だな」
「ああ、だが、倒せば必ず、国は平和になる」
伊吹が部屋を出て行った後、黒松は、沙羅の懐から落ち、偶然見てしまった簪を引き出しから取り出した。他の誰も見ていないはずだ。
この簪が示す沙羅の出自と、沙羅が語った「遠い里から来た」という出自は、一般論では一致しない。だが一件だけ、一致する可能性を持つ話を、黒松は知っている。
それを確かめたい。もし、沙羅が黒松の推測通りの人であれば、その時は……。
読んでくださってありがとうございました。
次回から、最終章の「天狗」になります。
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