妖狐4
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王は王のための寝所にいなかった。胡桃の為に用意された部屋の布団の中で、青白い顔をして目をつぶっていた。
「何をなさるのぉ?」
胡桃は顔を扇で隠すこともなく、興味深そうに言った。整った表情に、女官としてはふくよかな体つき。表情はどことなく子どもっぽいのに、妙に口元だけがなまめかしい。
沙羅はちらりと見た胡桃に応えることもなく、花梨に目で合図を出す。花梨は頷き、王の枕元に近寄ると、王の口元の匂いを嗅いだ。
「まぁ、陛下に何をなさるのぉ?! 近衛を呼びますよぉ?」
花梨もまた胡桃の声を無視して深く息を吸いこみ、そして確信を持った様子でうんうんと頷いた。王の次には、胡桃の傍に近寄ると、クンクンと匂いを嗅いだ。
「いやあ、犬みたぁい」
胡桃はさも嫌そうに眉をひそめたが、花梨は構わない。
「それにしても、緑の髪なんて初めて見たわぁ」
間延びした発語の中にかすかな緊張感がある。黒松もそれを感じ取ったようだ。胡桃の目が黒松に向かうと、かわいらしく微笑んだ。
「ねえ、黒松様ぁ。このわんちゃんを、つまみ出してくださらなぁい? あたし、わんちゃん嫌いなのぉ」
次の瞬間、黒松は胡桃の右腕を取った。
「いやぁん、陛下の前で、やめてぇ」
「今だ!」
沙羅は胡桃の左腕を捕らえる。花梨はその隙に衣箱や香壺などが置かれたあたりに向かった。箱がいくつかある。花梨は匂いを頼りに、迷うことなくその一つを持ちあげた。
「何するの! やめて!」
先程までの間延びした発語とは打って変わり、どすの効いた声で胡桃が叫んだ。
「中を検めよ」
部屋の外に密かに待機していた者たちが、黒松の声を合図に胡桃の部屋に入り込んだ。黒松があのわずかな時間のうちに、侍従を通じて手配させ、待機していた王族専用の内薬司と貴族はじめ宮中で働く者用の医師である典薬寮の医師、それに近衛である。
花梨は、二人の医師に箱を差し出した。
「普通の人には、匂い、わからない。でも、見れば、わかる」
片言の言葉で説明した花梨から、典薬寮の医師が箱を預かり、内薬司が蓋を開けた。中を覗き込んだ二人は、あ、と声をあげた。
「これは……狐の牡丹か」
「そのようですな。触れることさえ危険な代物だ」
花梨が頷いた。
「芹、似てる。でも、葉の生え方、違う。強い毒、ある」
「その通りだ。陛下は胃の不快感や口臭を気になさり、薬草茶の一つとして芹茶をお出しするように命じてあったが」
「胡桃殿。これはどこで手に入れたものか?」
近衛の言葉に、「あたしは、医師の使いだというかたからお預かりしただけで……」と体をくねらせた。
「それがおかしいのだよ」
内薬司の医師ははっきりと言った。
「そなたは毒見係にすぎぬ。それなのに、なぜ薬草茶をそなたがお出ししているのか? それは別の者の職務だろう? それに、陛下にお出しする芹茶は、一回ずつ処方している。このように薬箱に入れて渡すことなどない」
「それなら、誰かがあたしを陥れようとしたんだわ」
「それはない」
花梨が断言した。
「手。脚、髪、土の匂い、する。これにも、まだ、残っている。でも、服、ない。葉っぱだけ」
首を傾げた医師や近衛たちに、沙羅は翻訳した。
「薬箱の中の植物の根にわずかに残っている土と同じ匂いが、手、足、髪からするそうです。それなのに、服からは土の香りがせず、葉の香りしかしないと」
「待て、狐の牡丹はほぼ無臭だぞ? 香らないことが、見分けの一つの手段でもあるんだ」
「花梨は、鼻がよいのです。完全無臭などというものはこの世にありません」
「なるほどな。それゆえの巫ということか」
「はい」
胡桃はたおやかな様子から一変して、沙羅と黒松から逃れようともがいている。
「陛下に、毒草『狐の牡丹』を摂取させたことを認めるか?」
突然胡桃の腕が細くなった。沙羅はそのまま握り続けたが、黒松の手からするりとぬけてしまった。服がバサリ、と音を立てて、床に落ちた。
「な!」
近衛たちが抜刀しようとしたのを、黒松が慌てて押しとどめた。
「ダメだ、ここには陛下が眠っていらっしゃる!」
王の寝所で抜刀したとなれば、暗殺の疑いを掛けられる。王を守るための刀が、己を滅ぼすものとなってしまう。近衛たちは柄に手を掛けたまま、わなわなと震えた。
「いつでも抜刀できるようにしておきなさい」
沙羅の声が響いた。
「離せ!」
胡桃だったものが、服の下から姿を現した。白い大きな狐がいる。それも尾が九本。
「九尾の狐……妖狐だ!」
妖狐であれば、黒鉄隊の討伐対象となる。近衛はあくまで王族警護のためのものであり、対人戦に特化した部隊だ。黒鉄隊のように妖怪やこの世ならざる者を相手にする戦闘とは全く異なる戦い方しか知らない。近衛の配備を願った時、黒松は同時に黒鉄隊の招集と、宮中での抜刀許可を依頼してあるが、彼らがいつここに来るかはまだわからない。
「沙羅、まだつかんでいるか?」
「はい」
妖狐は沙羅に噛みつこうとしたが、口吻を沙羅につかまれて嚙むに噛めない。そのうち、沙羅は隙を見て腹ばいになった妖狐の背に乗るような形で制圧した。
これで一安心だ。
誰もがそう思った時、沙羅の体が硬直し、目が大きく見開かれた。
「沙羅、どうした!」
黒松の声は、しかし沙羅には届かなかった。
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