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ここにいても、いいですか?  作者: 香田紗季


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妖狐2

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 その頃沙羅は、花梨と名を変えたカリンカに秋津島の言葉を教えるようになっていた。沙羅自身が第一言語として得た母語と秋津島の言葉は同じ。更に、文字は秋津島の人間だった母から習得済み。沙羅のようにすぐに意思の疎通が図れる方が珍しい。学んで損になることはないからと秋津島の文字を教えてくれた母に、今となっては感謝しかない。


 金雀枝(エニシダ)の巫女婆は、沙羅がカリンカを連れて来た日、カリンカの「毒を見分けられる能力」と「人間であるかどうか」の「真贋」を確認した時、大笑いして「沙羅が来てから思いがけないことばかり起きるよ」と言った。


「まさか、死霊とはねえ」


 早蕨は「しりょう」とつぶやくと、そっと巫女婆の後ろに隠れた。巫女婆はそんな早蕨の頭を撫でながら教えてくれた。


「カリンカとやら。お前さんは元の世界では一度死んで死霊となっていたようだが、ここに来たことで体が再編成されたんだろう、生きた人間になっているよ」


 沙羅に通訳されて、自分が肉体を持った存在に戻ったとしり、カリンカは驚いていた。


「私、生まれ変わったのね」


 かみしめるように言ったカリンカに、「やっぱり、望み通りに生き直さないとね」と声を掛けると、沙羅に抱き着いて泣いた。


「毒が見分けられるって言う力も、本物のようだ。元居た世界と違う植物もあるだろうが、お前さんは匂いで毒を検知しているようだ。植物の名を知らなくても、すぐに毒の検知の仕事ができるだろう。秋津島の言葉を覚えながら、植物の名前も覚えればいいさ」


 話し合った結果、カリンカは花梨という新しい名前を得、巫として生きることになった。ただし、ある程度話ができるようになるまでは一人で活動せず、沙羅と一緒に活動することになった。


「早蕨が忙しくなるかもしれないけれど、頼めるかしら?」

「沙羅さんは規格外なので、もう槍が降っても驚きません!」


 早蕨なりの「わかりました」だと分かるから、沙羅は「ありがとう」と言った。


 数日で習得できるほど、秋津島の言葉は簡単ではない。苦労しながらも、生活にすぐ必要な言葉を教え、物の名前を覚えてもらう。その間に、「蛇に噛まれた」と担ぎ込まれた子どもを診てそれが毒蛇であると見抜き、沙羅が毒を体内に入った時の形に「修復」して傷口から取り出して事なきを得た、なんてこともあった。


「毒の種類まで検知できるなら、やんごとない筋から毒見として求められるかもしれないねぇ」


 巫女婆の言葉に、沙羅はそういう能力の生かし方もあるのだと思った。


「花梨はどうしたい?」

「私は、誰にも毒見をしてもらえないような庶民の為に働きたい。元の世界では、井戸に毒が入れられて村が全滅したってこともあった。おかしいから調べてほしいって上の人たちに訴えたのに、聞いてもらえなかったらしいの。きっとそう言うことは、この世界にもあるでしょう?」

「そうよね」


 花梨は高貴な人の毒見役を望んでいないと伝えると、巫女婆は「分かっているよ」と言った。


「お前さんたちは似ているからね、財(たから)も権力も求めていない。だからこそ、あたしもお前さんたちを信じられるんだ」


 欲にまみれるようになると、神から与えられた力が弱まり、最後には消失するらしい。そうやって力を失った巫は、お社から追放される。人間らしいと言うべきか、堕ちたと言うべきか、それはそれぞれの人の心の感じ方によるのだろうが。


 そんな話をしている時に、黒松がやって来た。


「黒鉄隊って、聞いていたよりも時間に余裕があるんですか?」

「そうではない。用事があるから来ているんだ」


 黒松は少々思いつめた表情をしている。笑わせようとしたのだが、どうやらそれを冗談だと受け止められないほどに悩んでいるようだ。


「陛下が、沙羅に会いたいと仰せでな」


 沙羅の体が固まった。


「その件は、以前お断りしたはずですが」

「そうなんだが、褒賞を自らお授けになるからと……考え直していただけないかと何度も申し上げたが、これ以上は無理だった」


 すまない、と黒松は頭を下げた。


「どうして……」


 沙羅は、権力者に囲われて利用されることだけは避けたいと今も思っている。黒松のことは信じているが、権力者の前ではその決意も風前の灯火ということになるのかもしれない。


「明後日、迎えに来る」


 それだけ言うと、黒松はお社の鳥居をくぐって出て行ってしまった。


 どうしたらいいのだろう。


 沙羅はその日一日、花梨の仕事を見ながら考え込んだ。花梨は秋津島の毒草を知るためにと、お社の裏の山で毒草を探し、記録をつけている。匂いで毒を検知できる花梨はその形を草紙に描き、早蕨が本草学の本で調べ、名と毒の種類を書き足す。後から解毒の方法を調べると花梨は言っていた。


「あら、花梨。毒草を採取しているの?」

「沙羅様からもダメだって言ってくださいよぅ! 身のすぐそばに毒があるなんて、怖いじゃないですか!」


 早蕨が情けない声で沙羅に泣きついた。


「いいじゃない、お社のみんなにも憶えてもらった方がいいのだし」

「でも、あんまりにも食べられるものにそっくりで間違えそうです」

「間違えそうなものと一緒に採取して、違いをはっきりと書いておくといいかもしれないわね」


 花梨にそう伝えると、納得した様子で、「食用のものと、似ているが毒性のあるもの」を別の草紙に鋏ながら記録を続けている。


 沙羅は薄く微笑むと、空を見上げた。真夏の秋津島は、鬼族の里同様に湿気が強い暑さだ。今着ている采女服は夏用の薄物だが、それでも肌にまとわりつく湿気からの不快感を全て除去できるわけではない。


 国王からの命令は、まるでこの湿気のように沙羅にまとわりつき、不快感を与えている。この不快感から逃れるためには、やはりここではない場所に行くべきだろう。


 花梨はまじめに毒草を調べている。少しずつではあるが言葉を交わせるようになってきたし、絵という手段を使えばかなり互いに理解しあえている。これなら、もう花梨の傍にいなくても大丈夫だろう。


 沙羅はその夜、采女服を脱ぐと、お社に来た時に与えられたものに着替えた。農民とは言われないだろうが、少々余裕のある庶民としか思われないはずだ。


 皆が寝静まった頃にするりと部屋を抜け出すと、お社の裏山に向かった。このまま山の谷筋に沿って歩けば、都から離れていけると確認済みだ。


 昼間に花梨や早蕨と来た場所までやって来た。もう、あのお社にも戻ることはない。


 最後に一目と思って振り返った沙羅は、その場にないはずのものを見つけて固まり、次いでうなだれた。


「沙羅。私を死なせるつもりですか?」

「私はどうしても、王族に会いたくないのです!」


 黒松に手首を取られ、沙羅はそれを振り払おうとして振り払えない自分に驚いた。あの大河童よりも体の小さな黒松など造作もなく振り払えるはずだ。それなのに、なぜかその手を振り払うことができなかった。


「私には、一つだけ、陛下から望みを何でも叶えると約束している。だがら、もし陛下が沙羅をそば近くに置く巫にと命じられても、拒否できる」

「そう」

「それに私は、沙羅と話す時間が心地いいんだ。この時間を誰にも奪われたくない」


 それはどういう意味なのだろう、と沙羅は首を傾げた。黒松とは、鬼族の男たちと話す時よりもずっと心穏やかに話せているとは思っている。だが、それがなぜなのかは沙羅にはわからない。鬼族の里にいた時、沙羅に親切にしてくれたことのある男たちや、お頭に対して感じる気持ちとは、少し違うことだけは分かる。


 愛や恋ではないはずなのだ。


「だから、心配しないで私と陛下の元に行き、褒賞を受け取ってほしい」

「褒賞はもう、いりません」


 ここまで言えばいつもなら折れてくれる黒松が、今日は折れなかった。


「実は先日、陛下の召し上がる薬草茶の匂いがいつもと違っていた。運んできた女官も新入りで、どうもおかしな気配がする。陛下にはまだお子がない。陛下の御身に何かあれば、一大事だ。私が黒鉄隊として好きな仕事をすることもできなくなる」

「陛下の一大事と、黒松様の仕事の間に、どんな関係があるというのです?」


 黒松は沙羅の手首を話さないまま、小さな声で告げた。


「私は、陛下の従弟なんだ。陛下にお子が生まれなかった場合、王位は私の父か長兄が継ぐことになる。そうなれば、王位継承順位が繰り上がって、黒鉄隊にはいられなくなる。私が危険な仕事をしているのは、松宮家には陛下への叛意がないという証でもあるんだ」


 沙羅の腕から、力が抜けた。


「だから、陛下には生きてもらわねばならない。子を持ってもらわねばならない。もし陛下が何らかの毒に置かされているのであれば、沙羅の力で治してほしい。そのためには、沙羅が陛下に近づかねばならない。陛下が望んだ時に参内すれば、私が新しい女官に不信感を持って行動したとは思われにくいだろう? 頼む、助けてくれ」


 花梨なら、と言おうとして、それはまだ無理だと思った。


「黒松様が、私を利用するのですか?」

「今回のことはそう思われても仕方がない。だが、沙羅とこうやって会える関係でいるためには、陛下を守らねばならない」

「私とどうしてそこまで会いたがるのですか?」


 黒松の手に、少しだけ力が入った。


「最初は、雷に打たれた私を助けてくれた女神のように思えた。次いで、巫になったり、思いがけない行動をとったりする沙羅を見ているのが面白いと思うようになった。そして、沙羅と話をする時、自分自身が素直に話せることに気付いた。今まで女性と話をする時は、いつも警戒していたのに。沙羅となら、自然体でいられる。自分の悪い所も受け入れられる。いや、こんなことが言いたいんじゃない」


 黒松がまっすぐに沙羅の目を見た。


「沙羅が好きなんだ。一生、ずっと一緒にいたいと思っている。だから、どこにもいかないでくれ」


 すぐそばの沢から、フィフィフィ、と河鹿蛙たちの鳴く声が響いた。


読んでくださってありがとうございました。

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