水の妖怪2
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沙羅が帯同すると聞き、顔をしかめたのはやはり副隊長の伊吹だった。得体の知れない者と黒松を同じ空間に置くことを伊吹は殊の外、嫌がった。
「黒松隊長は出自も容貌も内面もそして剣術も、全てが一流のお方だ。至高の存在である黒松様の傍に、得体の知れぬものがいてよいわけがなかろう」
伊吹は黒松の後ろについてきた沙羅を見て、黒松が「いい加減にしろ」と叱るまで文句を言い続けた。
「もしかしたら、誰一人怪我をすることさえ、いえ、抜刀も矢を胡簶から出すこともなく、解決できるかもしれないのです。だめだった時は申し訳ありませんが、討伐をお願いします」
「お前などに頼まれなくても、こちらは民を鬼や妖怪から守るのが仕事だ」
民を鬼から守るのが、仕事。
その一言が、重かった。だが、沙羅は敢えて微笑んだ。
「はい。いつもありがとうございます」
そう言わなかったら、鬼や妖怪の類だと伊吹はすぐに思うだろう。だから、これは精一杯の、自己防衛なのだと沙羅は自分に言い聞かせた。
鬼族の里にいた時だって、伽羅のために無理やり笑ったことは何度だってある。この程度のことで、沙羅の心は壊れない。一度で壊れなくても、長年少しずつ穿たれてきた心のひびは、何かのきっかけで粉々に砕けることがあるということに、沙羅は気付いていない。
「準備ができ次第、出発する。沙羅はそこで待っていてくれ」
「馬小屋に行っても構いませんか?」
「おい、馬に何かするんじゃないだろうな?」
「違います、怪我をしている子がいるのなら、出かける前に治しておこうと思っただけです」
「ふん、そうか」
「伊吹」
黒松にたしなめられたが、伊吹は態度を改めるつもりはないだろう。沙羅は頭を下げてから、馬小屋へと脚を運んだ。
最初に黒鉄隊の隊舎に連れてこられた日、沙羅は馬小屋の場所をしっかり覚えていた。その記憶を頼りに歩くと、果たして馬小屋が現れた。
『あ! 沙羅だ!』
『ほんとだ、沙羅だ!』
あの節分の夜に雷鳴に驚き、パニックを起こしたり怪我をしたりした馬たちは、みな沙羅が治していた。馬たちには、沙羅が鬼であることは伝わっているが、誰一人怯えない。沙羅を命の恩人として正しく認識しているからだ。
「みんな、元気にしていた? 誰か怪我をしている子はいないかしら?」
『あのね、疾風がね、足に棘が刺さって痛いんだって』
教えてくれたのは、黒松の愛馬である松風だ。
「疾風の足に? わかったわ」
沙羅は疾風という馬に近づくと「足を見せて」と言った。
『…………』
疾風はまるで聞こえていないかのように沙羅を無視した。
「疾風。あなたは今から任務なの。あなたの御主人があなたに乗るわ。その時、痛いとご主人を守れないわよ。それが原因でご主人に何かあったら、疾風は一生悔やむことになるわ。だから、そうならないように足を見せて。」
『…………』
それでも疾風は黙ったまま、何もせずに沙羅を見つめ続けた。
「ねえ、松風。疾風が私を無視するの。ご主人は誰? 乗る前に棘を抜いておかないと危険だわ」
『疾風の御主人はねぇ、伊吹副隊長だよ』
あの人か、と思うと沙羅は少しばかり躊躇したが、思い切って疾風のことを相談することにした。
「伊吹副隊長」
沙羅が声を掛けると、伊吹は顔をしかめた。
「あんた、馬小屋に行くって言っていなかったか?」
「はい、行ったところ、疾風の足に何かが刺さっていて痛いんだそうです。ですが、私が見せてほしいとお願いしても見せてくれなくて。速く走れないのも問題ですが、傷をそのままにしておくと化膿して、ひどくなれば足が壊死してしまいます。伊吹副隊長から疾風に、私に棘が刺さっている場所を見せるように言ってもらえませんか?」
疾風の足に棘が刺さっている、という沙羅の言葉を聞くや否や、伊吹は慌てた様子で馬小屋に駆け込んだ。
「疾風、足が痛いのか?」
疾風は伊吹の姿を認めると、右前足をしきりに上げた。
「右の前足なのか?」
伊吹が足の裏を見ると、果たして棘が刺さっていた。
「これは……山椒の棘か?」
「山椒の棘ですか? それは痛かったでしょうね」
「ああ。一昨日遠駆けをした時、山椒の低木が密集していた場所を通ったんだ。よけたつもりだったが、踏んでしまったんだな」
伊吹は器用に棘を抜くと、沙羅に「傷口を塞げるか?」と尋ねた。
「はい、もちろんです」
沙羅は傷口を塞ぐとともに、化膿しないように周囲を浄化した。
「もう、大丈夫です。すぐにでも走れますよ」
沙羅の言葉に、伊吹がほっとした表情を見せた。
「助かった。疾風は大事な相棒なんだ。それにしても、どうしてお前に見せたがらなかったんだろうな」
『決まってるじゃん、伊吹が沙羅のことを好きじゃないからだよ。疾風は伊吹のために、沙羅と敢えて距離を取ろうとしたんだ。優しい奴だろ?』
「そう。それは可愛そうなことをしてしまったわね。ごめんね、疾風」
『伊吹が嫌がることは、したくなかったから』
ようやく疾風が応えてくれた。
「いいの、ありがとう。これからはここが痛いって、すぐに教えてね」
『うん、沙羅、ありがとう』
松風、疾風と話をし、満足して振り返ると、伊吹が目を丸くして立っていた。
「お前、まさか馬と話せるのか?」
「え?」
沙羅は、自分が不用意に馬たちと言葉を交わしている姿を見せてしまったことに気付き、おろおろした。
「もしかして、水の妖怪とも、話し合いでなんとかしようとしているのか?」
すぐに否定できなかった沙羅に、伊吹は更に目を大きく見開いた。
「信じられない。お前、すごい巫だったんだな。普通の巫は一つの能力だけを貸与されるのに、怪我を治すだけじゃなく馬とも話せるなんて、聞いたことがないぞ」
沙羅は周囲を見回した。他に黒鉄隊の隊員も使用人もいない。
「伊吹副隊長。私が馬の言葉を理解できること、どうか秘密にしてくださいませんか?」
「なぜだ? 素晴らしい力ではないか」
「先程伊吹副隊長もおっしゃったではありませんか。巫が神から二つの能力を貸与されたなんて聞いたことがないと。私は広く民のためにこの力を使いたいのです。王侯貴族からの依頼を拒否するというのではなく、医師に診てもらうこともできないものを助けてこそ、巫であるのではないかと思うのです」
伊吹はしばし考え込んだ。沙羅は、心の中で強く「お願いだから『わかった』って言って!」と祈り続けた。
しばらくして、伊吹は「わかった」と言った。
「ただし、お前の力が必要な時には出し惜しみするなよ」
「もちろんです!」
「それで、隊長にも秘密なのか?」
「はい。本当に必要になったなら、私が自分の口から伝えるとお約束します」
伊吹は頷いた。
「どんな存在であれ、血が流れるのは最後の手段だ。お前の交渉術に期待している」
「はい!」
沙羅は、心の中で「よし!」と握りこぶしに力を込めた。絶対に水の妖怪との話し合いを成功させなければと決意した。
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