水の妖怪1
読みに来てくださってありがとうございます。
昨日の更新ができなくてごめんなさい。
朝、突発的な事件があって一日何もできなくなってしまいました。
よろしくお願いいたします。
沙羅は桔梗を治療した翌日、黒鉄隊の妖怪退治に帯同することになった。
都と黒鉄隊の隊舎・お社の間には、所々に人の背丈以上もある深い淵を持つ川が流れている。人々はその川の水を生活用水としているが、淵に住み着いた妖怪に洗っていた着物や野菜を奪われる事件がこの数か月ほど続いていた。人々は困ったものだと思ってはいたが、山から下りてくる猿や猪の方がよほど危険視され、放置されてきた。一度黒鉄隊にも相談が持ち込まれたが、いたずらレベルと判断されて様子を見ることになっていた。
だが、先日になって子どもが引きずり込まれるという事件が起きた。「やめろ」という周囲の人たちの言葉を振り切って、母親は半狂乱になって淵に飛び込んだ。
二人とも三日後に下流で見つかった。命を奪われることはなかったが、言葉を話せなくなり、ただ「あーあー」と言うばかり。それだけではない、水を見てひどく怯え、水も飲めなってしまったのだ。黒鉄隊の手配した医師が二人を見たが、どうやら強い恐怖によって言葉が出せなくなる「心因性の失声症」であろうと診断した。
失声症と失語症は似て非なる者で、声が出せなくなるだけで声を出す機能そのものにも言語を理解する能力にも問題がないのが失声症、言語そのものを理解できなくなる、つまり、話すことも理解することもできなくなるのが失語症。そう言えばわかりやすいだろうか。
「母子は一歩も外に出られなくなり、水分摂取を拒否してぐったりしているようだ。沙羅の力で何とか助けられないか?」
昨日桔梗たちが帰った後、黒松も黒鉄隊に戻っていた。だがそれほど時間を置かずに戻って来て、沙羅に出動を要請した。黒松のいない間に相談が持ち込まれ、副隊長の伊吹が討伐を仮決定したのだという。
沙羅はまず、「心の傷は、医師や巫などの力では治せない」とはっきり告げた。
「心の傷は、目に見えない傷です。周りの人の助けは必要ですが、最後は自分の力でしか治せないものなのです」
「では、どうしたらいいだろうか?」
「まずは、その母子を守ること。二度とこんな目に遭うことはないと理解できるところまで守ってください。周囲の人間が、その母子を悪く言わないことも大切です。悪いのは引きずり込んだ妖怪。これまでそんな被害がなかったのですから、被害者に対して『お前たちは不注意だ』と言うのは賢しら立った卑怯者のすることです」
「では、その妖怪を退治しよう。二度と出現しなければいいのだから」
「そうでしょうか」
沙羅はまっすぐに黒松を見据えた。
「今までそこまでの問題行動が見られなかった妖怪が突然大きな問題行動を起こしたのだとすれば、何か理由があるはずです」
「人間の行動に問題があった可能性もあると言いたいのか?」
「可能性の一つです。ですが、その可能性を最初からなかったことにするのは、不誠実だと思います」
沙羅にしてみれば、妖怪本人が、なぜ退治されるのか理解せずに殺されるのは納得がいかなかった。それは、鬼族が人間界に送られなければ子が生まれにくくなると分かっているとはいえ、人間に殺されに行かねばならない理不尽を自身が経験したことも影響している。
「悪は、悪だ」
そう言い切った黒松に、沙羅は首を横に振った。
「悪は悪だと言い切れるのは、恵まれた環境にいた者のみが言えること。飢え凍えようとする子どもを救うために盗みをする母は、したことだけを見れば悪となりましょう。ですが、子が飢え凍える理由が母親になかったとしたら? 盗賊が母から財産を奪ったせいであったならどうでしょうか? あるいは、為政者が己の楽しみのためだけに税を上げて民が生きていけないのだとしたら……悪事の根源は母ではなく、母が盗みを働かねばならぬように追い込んだ者にあるのではないでしょうか?」
「お前は、陛下に盾突くのか?」
「いいえ。妖怪には妖怪なりの考えや基準があるはずです」
「いや、ないな」
「虫にも花にもあるというのに、どうして妖怪にはないとおっしゃるのですか?」
沙羅の言葉に、黒松は固まった。
「虫や花に、考えや基準があるだと?」
「彼らの基準は、子孫を残せるかどうか。そのために最適と思われる手段を、彼らなりに選んで生きています」
「どうしてそんなことが分かる?」
沙羅は黒松が本当にそれを知らないのだと気付いた。鬼族の常識は、人間の常識ではない。自分自身の考え方もまた、同じ過ちではないかと唇を噛んだ。
「蟻は、餌を見つけるまでにあちこちと歩き回ります。ですが、一度餌を見つけると、巣の皆で同じ道を通って餌を運び込みますよね? 集団になれば他の生き物に餌を取られることも減るでしょう。巣に持ち帰る餌が増えれば増えるほど、自分たちも、そして幼虫たちも、生き延びることに繋がります。蟻の行動一つとっても、彼らはきちんと選び、考えている証拠ではないでしょうか?」
「虫や花に知能があるなど、聞いたことがない。だが、沙羅の里ではそのように考えられ、教えられていたということか?」
「そうなのかもしれません」
黒松は首を横に振った。納得はしていないが、沙羅が意図して嘘偽りを言っているわけではないということは理解したようだ。沙羅はまだ、生きものと会話できることを黒松はじめ人間界の者には話していない。黒松の馬を介して、黒鉄隊の馬たちにだけは伝わっているはずだが。
「母子の治療はできませんが、時として共感は苦しみを減らすことができるとも聞きます。それに、どうやら私の里での生き物に関する知識と黒松様の知識では、その内容に違いがあるようです。川の妖怪についても、もしかしたら何かお手伝いができるかもしれません。討伐の際には、私もお連れくださいませんか? そして、討伐すると決定する前に、私に試させてほしいのです」
もしかしたら「怪しげな力を持つ、きわめて怪しい女」と認定され、そう遠くない内に沙羅が鬼族であることが黒松たちに知られ、討伐されるかもしれない。それでも、沙羅には、一方的に川の妖怪を退治することは止めてほしかった。自分のように、人間の中で生きていく道があるかもしれない。
なによりも、彼らには彼らの生存理由があるはずだから。
読んでくださってありがとうございました。
いいね・評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!




