母娘の涙
読みに来てくださってありがとうございます。
前話で檜扇の姉を「従妹」と間違えていました。訂正済みです。申し訳ありませんでした。
短めです。
よろしくお願いいたします。
色使いも控えめな小八葉の車でお社に乗りつけて来た貴族の母娘は、目立たぬように体を袿ですっぽりと覆うようにして、社務所の奥にある部屋に案内されてきた。
母親は部屋に入ると袿を外して扇で顔を隠したが、娘の方は袿を被ったまま、小さくなっている。よほど他人に顔を見られたくないのだろう、と思うと、沙羅は何とかして治せる手段を見つけたいと思った。
これだけ怯えているのだ、怯えない日常を取り戻してほしい。
娘の姿は、屋敷の奥に引きこもっていた自分を見ているようで苦しい。角無しであることにひどく引け目を感じていた自分には、疱瘡の痘痕を気に病む娘の気持ちがよくわかるように感じられた。
(勝手に障子をあけるような不届き者はいないはずだけれど、見張り番を用意しておいてよかったわ)
母娘が入室した後で、あれから渋い顔のまま戻って来た黒松に、廊下で見張りを兼ねて待機してもらっている。
黒松がいることを話せば、娘は固まった。
「え、黒松様が?」
小さくそう言うと、檜扇の姉、桔梗は袿を被ったまま、さらにその身を猫のように小さくした。
「何か問題が起きない限り、黒松様がこの部屋に入ることはありません。どうぞ、ご心配なく。それに、檜扇さんも廊下で待機してくれていますよ」
檜扇の話によれば、巫として神祇官に認められた者は、殿上相当の身分と見なされる。殿上を許されるのは、王との目通りが叶う上位貴族のみであり、桔梗はそれより格下の家になる。したがって、貴族の娘である桔梗より沙羅の方が上位になる。とは言っても、貴族として生きる桔梗とどこの馬の骨であるかも知れぬ沙羅との上下関係は、実質的には桔梗の方が当然ながら上になる。
直答を許されるくらいの感覚でいればいいわ、と檜扇は言っていたから、そのつもりで沙羅も接することに決めていた。
「暗いと状態がよく見えませんが、傍に人がいると気になるようでしたら、屏風でも立てましょうか?」
「お願いできるかしら?」
「承知いたしました」
沙羅自ら、部屋の隅に用意してあった屏風を立てた。できるだけ白が多いものにしたのは、少しでも暗くならないようにするためだ。
「下女にさせないの?」
「私は力持ちなので」
そう言って片手で屏風をひょいと持ちあげて見せると、袿の隙間から目だけが覗き、ふふっという笑い声が漏れた。
「檜扇さんには、男装させてみたいとまで言われましたよ」
「それは確かに面白そうね」
扇で顔を隠した母の手が、すっと桔梗の手に伸びた。桔梗は母の手をぎゅっと握り消した。そして沙羅が屏風を広げている間に、するりと袿を下ろした。振り返った沙羅は、桔梗の顔を見て驚いた。
確かに顔全体に痘痕が広がっている。
沙羅は改めて座り直すと、失礼しますと言って手を伸ばした。だが、その時、母親の手が伸びて来て、扇で間を遮られた。
「娘は顔をさらしたのに、そなたはなぜ顔を隠したままのか?」
沙羅は蔵面をつけている。それが気に食わなかったのだろう。
「見るに堪えぬ顔ゆえにございます、奥方様」
それは自分で考えた言い訳だった。
「生まれたその日から、お前は醜いと言われ続けて参りました。ですから、せめて貴人の御前ではお目汚しにならぬようにと」
「そうか」
随分とあっさり引いてくれたことに、沙羅はほっとした。
「私は、怪我を原因とするものの治療はした経験がございますが、病気を治療した経験はございません。ですから、治るかどうかはやってみなければわかりません。そのこと、ご了承いただけますか?」
「こちらは藁をもつかむ思いなのじゃ。一日に少しずつでもいい、毎日通えと言えば通う。頼む、何とかしてやっておくれ」
「努力はいたします」
沙羅はそう言うと、桔梗の前ににじり寄った。猪俣の里の民で練習すればという黒松の提案は、なんとなく里の者に声をかけづらく感じている内に流れてしまった。つまり、ぶっつけ本番だ。
「お顔に手を触れます」
沙羅はそっと桔梗の頬に触れた。熱はない。
「痛みやかゆみはありますか?」
「時々は」
「それは余計にお辛かったですね」
桔梗は何も言わない。沙羅はそっと己の妖力を流し、修復を試みた。だが、怪我の時のように、一瞬できれいにはならない。
もっと具体的に想像したほうがいいのかしら?
ふと、面皰を思い出した。中に芯ができて、潰してはいけないそれを潰した時、毛穴が開いて中の膿は出るが、皮膚が傷つく上に雑菌が入って更に悪化することがある。沙羅は面皰があまりできなかったが、伽羅はよく面皰ができたと嘆いていた。潰さない方がいいと言っても伽羅は気になってしまって気づいた時には潰してしまい、痛みを伴うようになって仕方なく沙羅がこっそりと治していた。
伽羅の面皰の痕を治した時のようにやってみよう。
沙羅は、凹んだ皮膚の下に小さな座布団を入れるようにイメージしながら妖力を注ぎ込んでみた。繊細な作業のために、目を閉じて感覚を頼りにする。目を開いていると、目に入ってくる余計な情報で心が揺らされて集中が途切れることがある。それを防止するためだ。
修復なのだから、「元の通り」にすればいい。皮膚の下でくぼんだままになっていた部位がせり上がるようにと言うよりは、肌の下の凸凹になった部分を均すようなイメージ。
流していた妖力がそれ以上入らなくなったところで、沙羅は目を開けた。
母親は、怖いものを見るように、扇の端から少しだけ目を覗かせている。目を閉じていた桔梗も、ゆっくりと目を開いた。
「うん、よさそうですね」
沙羅の言葉に、母親が扇を畳の上に置いた。
「桔梗、見せてごらんなさい」
母親は桔梗の顔をまじまじと見た。
「お母様?」
「手鏡はあるかしら?」
沙羅は手鏡を傍にあった箱から取り出すと、そっと母親に手渡した。
「いいから、ごらんなさい」
母親はずいっと身を乗り出すようにして鏡面を桔梗の方に向けた。
「でも、怖いわ」
「大丈夫だから」
恐る恐る、桔梗は手鏡を覗き込んだ。数秒、しげしげとそこに映る自分の姿を眺めた後、ひっくひっくとしゃくりあげる音が聞こえた。
「桔梗様?」
「あ、あ゛り゛が ど う゛~」
涙にむせびながら、桔梗は礼を言った。言葉が濁点になっているのは貴族のご令嬢としてはいかがなものかと思われるが、沙羅はそれを好意的に受け取った。
桔梗の感謝の言葉は廊下にも聞こえたのだろう、パ~ンと障子が開いた。
「お姉様、治ったのね!」
「檜扇、私、私……!」
姉妹と母の三人が抱き合って泣いている。屏風の向こうから、黒松が背を向けたまま、「成功したのか」と声をかけて来た。
「はい、おかげさまで」
「そうか」
黒松の声には随分と含みがあるようだったが、その中身までは沙羅にはわからなかった。
それよりも、これで疱瘡の痘痕で苦しんできた人たちの心を救えるという希望で沙羅の心は一杯になり、王家が出てくるかもしれないことなどすっかり忘れていた。
読んでくださってありがとうございました。
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