新たな依頼
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「もう、重傷者がいるという話は聞かなくなりましたね」
早蕨の言葉に、沙羅は「そうね」と相槌をうった。
「これからは突発的な重傷者対応はあるだろうが、基本的にはお社に来たものを治療する形になるからね」
今朝、巫女婆にそう言われたなあと沙羅は思い出した。
巫となってまだ10日も経っていないが、沙羅は「怪我を治してくれる巫様」として随分知られ始めた。若い娘の顔にあった大きな傷を治したことから美容目的で沙羅に傷痕を治してもらおうという女性が増え、用事がなければ洛外には出ようとしない都の人々でさえ、いそいそとやって来るほどだ。
「そのうち、疱瘡のあばたは治らないのかという問い合わせも来そうですね」
「そうね。病気の修復ができるのか、近々実験する必要がありそうね」
早蕨とそんな話をしているところへ、檜扇がやって来た。
「ねえ、沙羅さん。その実験として見てもらいたい人がいるだけど」
「病気で痕が残ってしまうんですか?」
そんな病気、あっただろうか。そう首を傾げた沙羅に、檜扇は静かに言った。
「うん。疱瘡の痕よ」
「疱瘡」
はっとした。母の死後、母のものを片付けていた時に書きかけの手紙のようなものが出て来た。知識や技術はあっても困らないがないと困るものよ、と言って、母は秋津島の文字や文化をいろいろと教えてくれていた。鬼族の父には読めなかったようだが、沙羅にははっきりと読めた。当時は幼すぎて内容が理解できなかったが、今ならわかる。
母には、疱瘡の痕が残って嫁げなくなった異母姉の身代わりとして嫁ぐ話が上がっていた。それを知った正妻が『母も泥棒猫なら娘も泥棒猫になるということか』と怒鳴り込んできたらしい。だから、縁談については自分に回さないでほしい、というような内容が書きかけのまま残されていたのだ。
きっと母が手紙を書いている最中に家に刺客が侵入し、そのまま懐に入れたまま逃げ出したのだろう。もう送る必要のない手紙をなぜ持ち続けていたのか、沙羅にはわからないが。
「二十年前と五年前に疱瘡が大流行して、この秋津島の国の人間も半分になってしまったでしょう? 王族や貴族の奥方様や姫様方の中にも、死は免れたけれどもお顔に疱瘡の痕が残ってしまった方はたくさんいるらしいわ。決まっていた縁談もたくさん流れてしまって、若い殿方の中には見合った格の奥方を迎えられずに独身のままでいたり、正妻ではなく側室として格下の家の姫君をお迎えになって、家紋が断絶しないように工夫なさっていたりするそうよ」
「もし、私が疱瘡の痕を治せるようになったとしたら、嫁げずにいらした方はどうなるんでしょう? 縁談が復活する方ばかりではないでしょうし、格上の正妻様が降ってわけば、ご側室たちも面白くないのではないでしょうか? 治しても治さなくても恨まれそうで、怖いんですが」
「そうね。でも、身分の序列が姻戚関係によって崩れてきたの。そのせいで、格下の家は格上の家とつながって自分たちの権力をより大きなものにしようと暗躍を始めたわ」
「それは……穏やかではありませんね」
「ええ。下位貴族だからという理由で出世できないのも間違いではあるけれど、他国とは違って、この国の王はただ政治を行うだけの存在ではない。王になれるのは、王族の中で巫になれた者だけ。神の言葉を直接降ろすことで、この国は保たれてきたのに、下位貴族の中にはそれをよしとしない者もいるの。人間のことは人間が決めるべきってね」
「それも極端な考え方ですね」
「ええ。実際に王が降ろした神様の言葉に従わなないものが出始めていて、王族や上位貴族には神罰が見え始めているそうよ。でも、下位貴族には神罰が見えない。だから、上位貴族が見えないものを見えると言って自分たちや民を惑わしているなんて言い出すくらい」
「それは、あまりにも不敬なのでは?」
「ええ。でも、神罰が明らかになるまでには時間がかかる。ならば、これ以上格の釣り合わない……平たく言えば、神の力が見える人々と見えない人々が交じり合わないようにする必要があるのです」
「それは……神様のお考えなのでしょうか」
「え?」
沙羅は檜扇の話を聞きながら、「特別な者とそうではない者は並び立つべきではない」という選民思想的な考え方を感じ取っていた。もしかしたら檜扇自身がそれなりの家の出なのかもしれない。そして、格下の家々の言動を苦々しく思っていたのだとしたら、何とかして知り合いや友人などで嫁ぐことを諦めている姫君たちを回復させ、檜扇の考える「あるべき婚姻」「あるべき姿」を取り戻そうとしているのかもしれない。
「疱瘡が流行した結果、上下が交じり合ったと言っていましたよね。そもそも流行病とは、神様からの試練だと聞いたことがあります。病が流行することだけではなく、その後どういう社会にしていくのか。それまでできたことができなくなった時、その穴をどう埋め、よりよくしていくのか。そのために人がどれだけ知恵を出し合い、協力しあえるのか。そこまでが神様からの試練なのではないでしょうか。そして、試練は時として、神様の願う方向へとつなげられる。もちろんうまくいく時ばかりではないからこそ、神罰を受け始めている人もいるのでしょうが、それだって全員というわけではないのでしょう?」
「あなたって人は、全く」
全くなんだというのか。
沙羅はその続きを聞きたかったが、檜扇は話すつもりなどないらしい。
「それなら……顔に傷や病の痕が残ったことが原因で嫁げなくなり、家に居場所もなくつらい思いをしている女性たちを助けたいとは思わない?」
「助けたいですね」
「それなら、病でもあなたの修復の力が届くのか試すのは嫌ではないでしょう?」
「ええ、そうですね」
「じゃあ……」
「条件が二つあります」
沙羅は話しながら考えていたことを檜扇に伝えることにした。この条件が飲めないなら、沙羅は手伝いたくない……自分を守るために。
「私が出向くのではなく、このお社に来てくださること。それから、私の顔は隠したままにすること。それが飲めないのなら協力できません」
「外出できない人に、外出しろって言うの?」
「私は、貴族のことなど何も知らない田舎の民です。貴族のお屋敷に行くのは遠慮したい。それに、顔を隠すだけなら手段はいくらでもあるでしょう?」
「聞くだけ聞いてみるわ。それで、沙羅さんが顔を隠したいのはどうして?」
「もし治らなかった時、逆恨みされたくないので」
「ああ、そういうことね」
檜扇は後者には納得したらしい。本当は、自分と顔が似た貴族に会いたくないだけだ。似ていれば、母の血縁者かもしれない。母に似た自分の顔を見れば、相手方が何かに気付くかもしれない。それも怖い。
母の出自を示すあの簪は、まだ埋められずにいる。母の供養のために預かった品だったが、今は母の、そして自分のルーツをたどるために必要なものだ。
「手紙を出します。先方が来ると言ったら、絶対に逃げないでね」
「できるかどうかの実験ですよね? 絶対大丈夫なんて書かないでくださいね」
「分かっているわ」
本当かな、と沙羅は心配になるが、檜扇が出て行ってくれたのでほっとしてそのまま倒れ込んだ。
「疲れた~」
「大変だったな」
聞こえるはずのない声が聞こえて、横にだらけていた沙羅ははっと飛び起きた。障子の向こうに、日の光を遮る男性の影と、それよりだいぶ小さな女性の影が映っている。
「早蕨と……黒松様?」
「はい、早蕨です」
早蕨が障子を開けると果たして、そこには黒鉄隊の普段着を着た黒松がいた。
「檜扇が迷惑をかけているようだな」
「同じ女性としては、確かに何とかできるものならしたいと思いますが……いきなり貴族はちょっと心配です」
沙羅は少し口を尖らせた。
「お貴族様なんて、怖くて」
「それならこの私も怖いか?」
「恐れ多いことでございます」
ふっと笑う声が聞こえた。
「すまない、沙羅。檜扇が連れてこようとしているのは、おそらく檜扇の姉君だと思う。本来なら宮家から婿殿を迎えるはずだったのだが、破談にはならずに浮いたままになっている。とはいえ、宮様も人だ。今は側室含め妻を置いていないが、檜扇の従兄に当たる娘が召人として侍っているらしい」
「召人?」
「男性貴族の側仕えをする女性使用人というのが本来の定義だが、正妻が他の妻に対抗するために、自分の名に従う侍女を、自分の身代わりとして差し出すこともある。そうやって差し出された女性のことを召人と言うんだ」
「妻公認の身代わりというか、愛人というか……そんな感じでしょうか?」
「そう思ってもらって構わないと思う。問題は、召人が主である正妻の意に従わなくなることもあるってことかな」
「もしかして、従妹の女性?」
「当たり。その女がどうやら実質的な妻としてふるまうようになり、このまま自分を正妻にしてほしいと宮様にねだっているらしい」
「それで……」
「檜扇の姉君も、召人として宮家に行った女も、どちらも私から見て遠縁にあたる人だ。格は異なるが、同じ家紋の中の争いは、大きくなる前に目を摘みたい。そういう意味でも、協力してもらえると助かる」
「そもそもが実験なんです! うまくいくかどうかわからないんです! そこを間違えないでください!」
「ああ、私からも伝えるよ」
余裕なく頭を抱える沙羅を見た黒松は「君にもそんな一面があるんだな」と目を細めているが、沙羅にとっては本当に「冗談はやめてくれ」レベルの話だ。
「病気が原因で傷が残っている人って、誰かいないかしら」
「猪俣の里の連中なら、実験の前段階の実験でも協力してくれるんじゃないか?」
猪に噛まれ、突き上げられた少年の里が猪俣の里だ。
「疱瘡はそこでも暴れたんでしょうか?」
「全ての里に死者がいる」
黒松の顔が、苦いものがせり上がった時のようなものになった。
「疱瘡は、鬼を取り逃がした直後に流行った。彼らが持ち込んだに違いない。だから、疱瘡で傷ついた者が救われる道があるなら、その道を明らかにしたいんだ」
沙羅の胸に、小さな針で刺されたような痛みが走った。
やはり、鬼は憎み、嫌われている。絶対に鬼族であることを知られないようにしなければ、と沙羅は腕に力を入れた。
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