329 新しい夜明け
【視点:コール】
『散開しろッ! そっちに行くぞ!!』
拡声魔法を通したルールの叫びが、夜を切り裂いた。
直後。
巨人を呑み込んでいた爆炎が──内側から裂けた。
巻き上がる土煙を突き破り、黒焦げの巨体が弾けるように飛び出してくる。
速い。
さっきまでの鈍重さが嘘みたいだ。
極端な前傾姿勢。地面を抉る一歩で加速し、そのまま一直線に高台へ駆ける。
狙いは砲台。
そして──その上に立つ皇帝。
「怯むな! 撃ち続けろ!」
皇帝は一歩も引かない。
最悪に楽しそうな笑みを張り付けたまま、砲撃を叩き込ませ続ける。
炸裂。肉が弾ける。
それでも巨人は止まらない。
長い腕が、無造作に振り上がる。
「陛下ッ!!」
叫びながら地を蹴る。オーバークロックを使っても、届かない。遠い。
振り下ろされる巨腕。
視界が黒く塗り潰されかけた、その瞬間──。
『──アース・バインド』
耳元で、冷え切った声。
地面が蠢く。
黒い影の帯が幾重にも這い出し、振り下ろされようとした巨腕に絡みついた。
──止まる。
ギリギリで。
俺は弾かれたように振り返った。
遥か後方。
右手を突き出したまま、苦しげに顔を歪めるルクス。
間に合った。
だが同時に、理解する。
ルクスが使ったのは、ノクスの加護である『バインド』。
つまり。
──ルーシャルは、呼べなかった。
命の循環を司る上位精霊。
あの力がなければ、この怪物は終わらない。
手札が──尽きた。
『まだ終わってません!』
ルクスの声が、空気を切り裂く。
その背後で。
紫の光が、ふわりと立ち昇った。
息を呑む。
……紫?
まさか。
──ルーシャル……!? 繋がってる!
『だからお願い! 奴の動きを止めてください!』
涙声交じりの、けれど強い確信を持った叫び。
その一言で、くすぶっていたものが全部焼き切れた。
──やるしかねえだろ。
立ち上がろうとする。
だが、限界を超えた足は震えるだけで動かない。
その時。
横を、二つの影が駆け抜けた。
思いは、皆同じだ。
「右足ニャ!」
「了解っす!」
風の刃が幾重にも重なり、巨人の右足を斬り裂く。
ラスクとトビー。
「カルア! 行けるか!」
「もちろん!」
カルアが飛び出す。
同時に、ルールが地面に掌を叩きつけた。
「──『重力制圧』!」
空気が歪む。
ズン、と。
物理的な音がしたかのような圧が落ち、巨体が強引に押し潰される。
その隙に。
カルアが赤い小瓶を放った。
頭上で弾け、血が空に咲く。
それは瞬時に無数の糸へと変わり、巨人の周囲を不気味に舞う。
「──『血縛の糸』」
絡みつく。締め上げる。
重力と血の檻。
たまらず、巨人がドスンと不様に膝をついた。
チリン──。
喧騒の底で、微かな鈴の音。
振り返る。
膝をつき祈るルクス。その背に手を当てるツナグ。
隣で手を握るアリス。
前にはジンクスとクラリス。
アネモネやゾルダも、わらわらと群がる小物を必死に捌いている。
誰も、諦めていない。
──その時。
夜空が、裂けた。
深く、鮮やかな紫。
天から、光の柱が降り注ぐ。
舞い散る粒子の中、まるで天使のように神々しい影がゆっくりと降りてくる。
ルーシャル。
──来てくれたか。
耳元で、ルクスのかすれた声が囁くように届いた。
『みんな、ありがとう……』
祈りが、形になる。
『発動──「ルーシャル・コード」』
何度見ても、夢のような光景だった。
紫の光が渦を巻き、天へと続く回廊が開く。
澄んだ鈴の音が鳴り響く。
光が降り注ぐ。
あんなに暴れ狂っていた怪物が、まるで導かれるように、ゆっくりと両腕を天へ掲げた。
──『紫環の影鎖』。
闇と光が絡み合う。
無数の紫の環が顕現し、空間を縫うように回転する。
締め上げる。
逃がさない。
巨体は、完全に封じられた。
やがて。
その体が、一つ、また一つと分離していく。
光の粒が零れ落ちる。
それは、どれも微かに“人”の形をし、吸い上げられるように、紫の円環へと昇っていく。
怪物へと身を変えられた犠牲者たち。
そのすべてが、悲しみを抜け、安らぎを求めて還っていく。
周囲の『裏返り』たちもまた、同じように淡く輝く。
争いも、苦しみもなく。
ただ、穏やかに。
あるべき場所へ──帰っていく。
膝をついたまま、俺は光の雨を見上げていた。
その時。
視界に、手が差し出される。
「よくやった」
いつの間にか隣に立っていた皇帝が、微笑んでいた。
差し出された手を掴み、立ち上がる。
彼女もまた、光に満ちた夜空を見上げていた。
「美しいな。たとえそれが、我が罪の表れだとしても」
どこか寂しげな横顔。
微かに、夜風に消えるような声で。
「……すまなかった」
呟きが、耳を打つ。
泣いているような、か細い響き。
だが、すぐに。
「コール!」
いつもの、傲慢で力強い声が戻る。
彼女は俺に向き直り、深く頭を下げた。
「改めて乞う。お前たちの力を、貸してくれ」
俺は、その目を見る。
もう、迷いはない。
「もちろん。これは俺たちの役目です」
答えを聞き、彼女はいつもの悪い笑顔を浮かべた。
「……頼んだぞ」
鮮やかに軍服を翻し、立ち去る彼女の背中を見送る。
戦場の喧騒が、嘘のように遠ざかっていく。
空を見上げる。
紫の光が、白み始めた夜明けの空に溶けていく。
──終わった。
「……コール」
背後から、声。
振り向かなくても分かる。
「……カルアか」
「はい」
短い返事。
それだけで、血の匂いのする現実感が戻ってきた。
振り返る。
そこに立つのは、見慣れた副隊長。
どこか遠く感じていた距離が、ようやく元に戻った気がした。
「……無事でよかった」
口を突いて出た、ありきたりな言葉。
カルアは一瞬だけ目を細め。
「そちらこそ」
いつも通りの、すまし顔。
それが、無性に安心する。
歩み寄り、隣に並ぶ。
触れ合うほど近くはない。遠くもない。
その曖昧な距離感が、今の俺たちらしい。
「……時間、かかりましたね」
ぽつりと、カルアがこぼす。
「ああ」
「迎えに来るの」
「うるさい」
「事実です」
即答。
思わず、乾いた笑いが漏れる。
ほんと、変わらない。
「……来てくれましたね」
声が、少しだけ柔らかい。
視線は空に向けたまま。
けれど、言葉は真っ直ぐに届く。
「……来るに決まってるだろ」
「でしょうね」
隣で小さく笑う気配。
胸の奥にこびりついていた緊張の糸が、ふっとほどけた。
沈黙。
冷たい夜明けの風が吹き抜ける。
「……正直に言います」
カルアが沈黙を破る。
「もう、来ないかもしれないと……少しだけ、思っていました」
「それは──」
言いかけて、飲み込む。
否定するのは簡単だ。
でも、それじゃない。
「……悪い」
絞り出したのは、ただの謝罪。
カルアは静かに首を横に振った。
「いいえ」
「来てくれたので」
それで十分。
静かだが、確かな重みのある声。
空が白んでいく。
長い夜が、終わる。
「……コール」
「ん?」
「これからも、前に立ちますか?」
「立つ」
即答。
迷いなんて、とうにない。
カルアは小さく頷き。
「なら」
一歩だけ、距離を詰めてきた。
「私は、隣にいます」
「……そうか」
短く答える。
それだけで、すべて伝わった気がした。
夜明けが来る。
その距離は、昔よりほんの少しだけ近かった。




