第3話「伯爵令嬢、真実の愛に異議あり!」
「…………」
ミレーユは北部街道再整備計画を開いた。
三分後。
閉じた。
「何も分からない」
廊下には台車が二台あった。
「帰ってくれないかな」
台車は帰らなかった。
もう一度開いた。
『王家負担率再算定に伴う地方徴収分の――』
閉じた。
「やっぱり分からない」
十五分後。
「ミレーユ!」
救世主が来た。
「アルフレッド様!」
ミレーユは立ち上がった。
王太子である。
幼い頃から帝王学を学び、将来この国を背負う男性である。
この書類だって当然――
「どれからやる?」
「こちらです!」
アルフレッドが北部街道再整備計画を開いた。
「…………」
「…………」
「…………」
「アルフレッド様?」
「レオナード呼ぶ?」
「あなたも分からないんですか!?」
「全部は分からない!」
「どこまで分かります!?」
「北部に街道を作る!」
「題名です!!」
救世主ではなかった。
ミレーユは頭を抱えた。
「どうするんですか、これ!」
「待て。こういうときは最後を見るんだ」
「最後?」
「クラリスがまとめた書類は、最後の二ページを読めば大体分かった」
「それ、クラリス様がまとめてくださっていたからですよね?」
「…………」
「アルフレッド様?」
「クラリスすごいな」
「今!?」
二人は顔を見合わせた。
そして。
「レオナードを呼ぼう」
「呼びましょう」
意見が一致した。
◇
「まず、前提となる知識が足りません」
戻ってきたレオナードは言った。
とても嫌そうだった。
「例えば北部街道再整備計画ですが、王家、公爵家、沿線領主、各都市で費用と利益が異なります」
「はい」
「誰がどれだけ負担し、どこを優先して整備するか。殿下には各案を理解したうえで、王家としての方針を決めていただきます」
「なるほど」
ミレーユは頷いた。
「では私は?」
「将来、王太子妃として殿下を補佐するのであれば、同じ案件について意見を求められることもあります」
「なるほど」
ミレーユはもう一度頷いた。
「何を勉強すれば?」
「まず国内法と財政制度を」
「はい」
「加えて主要貴族家と各領地の事情を」
「はい」
「外交案件もございますので、外国語と周辺諸国の政治情勢も必要ですね」
「増えた!!」
「減ると思いました?」
「少しくらい!」
「国家運営ですので」
ミレーユは隣を見た。
「アルフレッド様」
「なんだ?」
「全部できます?」
「…………」
アルフレッドは窓を見た。
「いい天気だな」
「こっち見てください」
「秋晴れだ」
「こっち!!」
レオナードが書類を置いた。
「殿下も復習なさったほうがよろしいでしょう」
「俺も!?」
「先ほど北部街道について『北部に街道を作る』と説明されたそうですね」
「誰から聞いた!?」
「ミレーユ様です」
「早い!」
「隣にいましたので」
ミレーユは考えた。
これは大変だ。
ものすごく大変だ。
だが。
アルフレッド様と一緒なら――
「二人で頑張りましょう!」
「ミレーユ!」
アルフレッドが彼女の手を握った。
「俺が絶対に支える!」
「アルフレッド様!」
「分からないところは一緒にレオナードに聞こう!」
「はい!」
「私の仕事もあるんですが」
二人は聞かなかった。
◇
それから一時間。
ミレーユは知った。
王太子妃は、舞踏会で笑っていればいい仕事ではない。
外国の賓客を迎えるなら、その国との関係を知らなければならない。
慈善事業を後援するなら、名前を貸すだけではなく、王家として何を支援するのか判断しなければならない。
大貴族同士の利害が衝突すれば、王家の一員として調整に関わることもある。
「……クラリス様、これを七年間?」
「はい」
「十一歳から?」
「はい」
「十一歳の私は木登りしてました」
「健康的ですね」
「王太子妃になれます?」
「木から降りてください」
「もう降りてます!」
ミレーユは机に突っ伏した。
「私、アルフレッド様のことは大好きです」
「俺もだ!」
「でも王太子妃は嫌です」
「俺も――え?」
アルフレッドが止まった。
ミレーユは顔を上げた。
「アルフレッド様」
「な、なんだ?」
「恋人のままでいません?」
「え?」
「結婚しないんです」
「真実の愛は!?」
「あります!」
「結婚は!?」
「しません!」
「なぜ!?」
「仕事が多い!!」
アルフレッドが衝撃を受けた。
「俺と王太子を分けられない?」
「分けられるなら今すぐお願いします!」
「父上に聞いてみる!」
「聞くんですか!?」
アルフレッドは本気だった。
「待ってください!」
「なんだ?」
「その前に一つだけ」
ミレーユは机の書類を指した。
「アルフレッド様は、王太子になりたいんですか?」
「…………」
今度は窓を見なかった。
アルフレッドは書類を見た。
北部街道。
水害対策。
その他、たくさん。
「……考えたことなかった」
ミレーユは目を丸くした。
「ないんですか?」
「生まれたときから、なるものだと思ってた」
アルフレッドは少し困ったように笑った。
「だから、なりたいかって聞かれると……分からない」
初めてだった。
ミレーユが好きになったのは王太子ではない。
アルフレッドだ。
けれどアルフレッド自身も、自分と王太子を分けて考えたことがなかったらしい。
ミレーユは彼の手を取った。
「じゃあ、一緒に考えません?」
「結婚を?」
「人生を」
「重くなった!」
「王太子ですから!」
「さっき嫌だって言っただろ!」
「仕事としては嫌です!」
「複雑だな!?」
「愛です!」
「愛ってこんなに複雑なの!?」
レオナードが咳払いした。
「お二人とも」
「何?」
「はい?」
「人生を考えるのは結構ですが」
書類を二人の前へ戻した。
「北部街道は今日中です」
「現実が早い!!」
◇
夕方。
ミレーユは玄関までアルフレッドを見送った。
「では、結婚については保留ということで」
「真実の愛なのに?」
「真実の愛です」
「結婚しないのに?」
「大好きです」
「分からない!」
「私も今日分からなくなりました!」
アルフレッドは馬車へ乗った。
「明日も来る!」
「はい!」
「一緒に勉強しよう!」
「はい!」
「北部街道も!」
「それは今日中です!」
「そうだった!!」
馬車が走り去った。
ミレーユは笑顔で手を振った。
そして屋敷へ戻った。
机の上には書類。
廊下には台車。
「…………」
ミレーユは使用人を呼んだ。
「はい、お嬢様」
「確認なんだけど」
「はい」
「私、まだアルフレッド様と婚約してないわよね?」
「しておりません」
「つまり私は、まだ王太子妃候補でもない?」
「はい」
ミレーユは書類を見た。
「これ、今日中にやる義務ある?」
「ございません」
ミレーユは扉を開けた。
「レオナード様ー!!」
廊下の向こうで足音が止まった。
「台車、持って帰ってくださーい!!」
足音が走り出した。
「逃げた!!」




