第2話「側近の机が書類に消えました」
王太子付き側近レオナードが執務室へ入った瞬間。
自分の机が消えていた。
「……私の机は?」
「ございます」
「どこに?」
「あの書類の下です」
レオナードは正面を見た。
書類の山があった。
山という表現は山に失礼かもしれない。
山には木が生える。
川も流れる。
あれには紙しかない。
「何があった?」
「昨日の婚約破棄です」
「婚約破棄で執務室が埋まるのか?」
「今回、埋まりました」
「新しい災害みたいに言うな」
レオナードは一番上の書類を取った。
『北部街道再整備計画――王家・エルディア公爵家間の費用負担再協議』
次。
『南部水害対策基金――公爵家拠出金の扱いについて』
「……全部、昨日まで動いていた案件だな?」
「はい。クラリス様との婚約を前提に、王家とエルディア公爵家が協調していた案件ですので」
婚約が消えた。
ならば当然、前提条件も消える。
「何件ある?」
「二十三件です」
「多いな」
「現在確認できているだけで」
「増える言い方をするな」
「増えています」
「現在進行形!?」
扉が開いた。
「失礼します! 追加六件です!」
職員が台車を置いた。
「ほら来た!!」
レオナードは頭を抱えた。
「待て。昨日までは、これらの調整を誰が?」
「クラリス様です」
「……誰?」
「クラリス・フォン・エルディア公爵令嬢です」
「それは知っている」
レオナードは北部街道再整備計画を持ち上げた。
「総事業費はいくらだ」
「金貨四十八万枚です」
「これを?」
「クラリス様が王家側の意向を整理し、公爵家と協議し、関係省庁の意見をまとめて、最終案を殿下へ」
「殿下は?」
「承認を」
「どのくらい見た?」
「最後の二ページほど」
レオナードは目を閉じた。
「水害基金は?」
「クラリス様が」
「……報酬は?」
「ございません」
「奴隷?」
「公爵令嬢です」
十一歳から王太子妃教育。
成長するにつれて、王家の仕事にも参加。
最初は補助。
次第に実務。
最近では、王太子妃就任後を見据えて政策調整まで任されていた。
婚約者だから。
将来の王太子妃だから。
「いや待て」
レオナードは震えた。
「まだ王太子妃ではないよな?」
「はい」
「王族でもない」
「はい」
「給料もない」
「はい」
「なのに国家事業の調整を?」
「はい」
「やっぱり奴隷?」
「公爵令嬢です」
「公爵令嬢って何だっけ!?」
扉が開いた。
「失礼します! エルディア公爵家より追加の協議案件です!」
「何件!」
「九件!」
「育ってる!!」
レオナードは原因のところへ向かった。
◇
王太子アルフレッドは紅茶を飲んでいた。
優雅だった。
腹が立った。
レオナードは書類を机へ置いた。
ドサッ。
「何だ?」
「昨日の婚約破棄です」
「婚約破棄って紙になるの?」
「なりました」
アルフレッドが一枚取った。
「北部街道?」
「殿下の最終判断が必要です」
「クラリスは?」
「もう関係ありません」
「水害基金は?」
「殿下の最終判断が必要です」
「クラリスは?」
「もう関係ありません」
アルフレッドは書類を見つめた。
「……クラリス、これ全部やってたのか?」
「はい」
「俺、最後の二ページしか見てなかった」
「はい」
「……大変だったよな?」
「かなり」
アルフレッドが沈んだ。
「悪いことしたな……」
レオナードは少し驚いた。
反省はできるらしい。
「ミレーユには同じ思いをさせたくない」
「そうですね」
「俺もちゃんと覚える」
「はい」
「ミレーユと一緒に」
「それがよろしいかと」
「二人でやれば半分だ!」
「そこは違います」
「違うの!?」
アルフレッドは首をかしげた。
「でもミレーユは王太子妃教育を受けてないんだよな?」
「はい」
「急に全部できるわけないよな」
「その通りです」
「なら俺が支えてやらないと」
レオナードは感心した。
「殿下」
「なんだ?」
「成長なさいましたね」
「俺を何だと思ってたんだ?」
アルフレッドは立ち上がった。
「よし! この二十三件、ミレーユにも見せよう!」
「全部ですか?」
「もちろん。俺も一緒にやる!」
「今から?」
「早いほうが安心するだろ!」
レオナードに衝撃が走った。
「殿下」
「なんだ?」
「善意ですか?」
「当たり前だろ!」
その善意を届ける役目は、レオナードに任された。
◇
十五分後。
伯爵邸。
「ミレーユ様」
「まあ、レオナード様」
ミレーユは嬉しそうに迎えてくれた。
「殿下から伝言を預かっております」
「アルフレッド様から?」
「『一人で抱えなくていい。これからは俺も一緒だ』と」
「まあ……!」
ミレーユの頬が赤くなった。
「つきましては」
ドサッ。
「……はい?」
「北部街道再整備計画です」
ドサッ。
「南部水害対策基金です」
「待ってください」
「なお、廊下に台車が二台あります」
「何で!?」
「殿下は、ミレーユ様が将来お困りにならないよう、今から一緒に学びたいと」
「気持ちは嬉しいです!!」
「私もそう思います」
「量がおかしい!!」
「私もそう思います」
ミレーユは書類を見た。
廊下を見た。
もう一度、書類を見た。
「クラリス様は……?」
「自由になりました」
「私もなりたい」
「まだ一枚も読んでませんよ」
レオナードは深々と頭を下げた。
「それでは、よろしくお願いいたします」
「待ってええええええ!!」
レオナードは止まらなかった。
自分の机が、今朝より少しだけ見えるようになっていた。




