第9話 既視感
調査範囲が過去の記録にまで広がったことで、資料室には連日のように古い書類が運び込まれていた。
この日、リディアが担当していたのは、十年以上前に受理された地権記録だった。長く保管されていた紙は黄ばみ、綴じ紐もところどころ緩んでいる。頁をめくるたびに乾いた紙と埃の匂いが立ち、指先にはざらついた感触が残った。
リディアは一覧表と照らし合わせながら、一枚ずつ魔紋を確認していった。これまでに見つかった改ざんにはいくつか共通する特徴があり、元の魔紋に別の魔力を重ねたことで流れがわずかに途切れていたり、一部分だけ不自然に歪んでいたりする。注意深く辿れば、どこから手を加えたのか見当をつけることができた。
ところが、ある一枚を手にしたところで、リディアの指が止まった。
「……あれ?」
最初からもう一度魔紋を辿ってみるが、どこにも引っかからない。書き始めから終わりまで流れは滑らかで、途中から別の手が加わった形跡もほとんど残っていなかった。
それでも何かが気になり、今度は魔力ではなく、文字そのものを目で追っていく。すると、文末の一画にごく細い線が添えられていることに気づいた。本来ならそのまま筆を離せば終わるところから、小さく弧を描いて戻っている。魔紋としては何の役割も持たない、なくても構わない一筆だった。
リディアはその線へ指を添えた。
(……これ、どこかで見たことがある)
そう思って記憶を辿ってみたものの、いつ、どこで見たのかまでは思い出せない。ただ、その形だけが妙に馴染んで見えた。
「ヴァンスさん?」
向かいから声をかけられ、リディアは顔を上げた。ミラが書類を持ったまま、こちらを見ている。
「さっきから同じところを見てるけど、何か見つけた?」
「たぶん……。ミラさん、これを見てもらえますか?」
リディアは書類の向きを変え、文末の一画を指した。ミラは椅子を寄せてしばらく目を凝らしたあと、「この細い線?」と首を傾げる。
「はい。魔紋には必要のない線なんです。それに、この書類は今までのものと違って、魔力の継ぎ目がほとんど残っていません」
「それだけ上手な人が手を加えたってこと?」
「その可能性はあると思います。ただ、私が気になっているのは、この書き方なんです。どこかで見た覚えがある気がして」
「見覚えがあるの?」
「はい。でも、どこだったのかまでは……」
ミラも改めて書類を覗き込んだが、やがて首を振った。
「私は見た覚えないわね。これだけ小さな線なら、言われなかったら気づかなかったと思う」
「そうですよね」
「でも、ヴァンスさんが引っかかったなら、局長にも見せておいたら? 私たちよりずっと長く記録局にいるんだし、何か知ってるかもしれないでしょう」
「そうしてみます」
リディアは問題の一枚をほかの書類から抜き出した。自分だけが思い出せないのなら、過去の記録を長く扱ってきた人に聞いたほうが早い。
◆
「オーウェン局長、少しよろしいでしょうか」
局長室を訪ねると、オーウェンは机の上の書類から顔を上げた。
「どうした?」
「古い地権記録を確認していて、気になるものが見つかりました」
リディアが差し出した書類を、オーウェンは受け取った。
「これまで見つかったものとは、少し手口が違うんです。魔紋の継ぎ目がほとんど残っていなくて、かなり丁寧に手を加えられています。それと、ここなんですが……」
リディアが文末を指すと、オーウェンの視線もその先を追った。
「魔紋には必要のない一画なんです。でも、この書き方をどこかで見た覚えがある気がして……局長は、似たものをご覧になったことはありませんか?」
オーウェンは答えず、文末の一画を見つめていた。ほんのわずかな間だったが、先ほどまで頁をめくっていた指も、紙の端に触れたまま動かない。
「局長?」
呼びかけると、オーウェンはようやく顔を上げた。
「……いや。私には覚えがないな」
「そうですか」
「ああ。長く記録を扱っていれば、似た癖を持つ書き手に出会うこともある。これだけで何かを判断するのは早いだろう」
いつもの穏やかな口調でそう言って、オーウェンは書類をリディアへ返した。それでも、リディアが受け取るまで、その視線は文末の一画から離れなかった。
「……もう少し、同じ年代の記録を調べてみます」
「ああ。それがいいだろう」
リディアは書類を胸元に抱え、局長室をあとにした。
資料室へ戻ると、机の上にはまだ確認を待つ古い記録が積まれていた。リディアは問題の一枚だけを脇へ置き、その隣に同じ年代の記録を何冊か並べる。
椅子に腰を下ろし、次の綴じ紐を解いた。




