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氷の騎士様が、なぜか私の残業にだけ付き合ってくれる件  作者: 森凛
第一部「接点」

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第8話 騎士様、記録局に来すぎでは?

 午前の資料室で、リディアは昨日までに確認を終えた契約書を整理していた。


 改ざんの疑いがあるもの、問題がなかったもの、追加の照合が必要なもの。それぞれを分けて一覧表へ書き込んでいると、廊下から硬い靴音が近づいてきた。


 顔を上げるより先に、向かいの机にいたミラが窓越しに廊下を見やる。


「――で、今日も来てるわけね、アシュグレイ隊長」


「今日も?」


「昨日も来てたでしょう。その前の日も見た気がするんだけど」


 言われて、リディアはここ数日を思い返した。確かに昨日は調査報告の確認で顔を合わせたし、一昨日も局長との打ち合わせに来ていた。


「調査が続いていますから、確認することも多いんじゃないでしょうか」


「ヴァンスさんは、そういうことにしておきたいのね」


「そういうことって……」


 何がおかしいのかわからず聞き返そうとしたところで、資料室の扉が開いた。


 レイフォードは室内を見渡すと、迷うことなくリディアの机へ向かってきた。


「ヴァンス文官、少しいいか。昨日の報告書で確認したいところがある」


「はい。どの部分でしょうか?」


 差し出された報告書を受け取り、リディアは机の端に場所を空けた。レイフォードも隣に立ち、開かれた頁へ視線を落とす。


「この契約書だ。昨日は保留になっていただろう」


「魔紋に少し引っかかるところがあったので、過去の記録と照合してから判断しようと思っていたものですね」


「ああ。それなら、これが使えるかもしれない」


 レイフォードがもう一枚の紙を取り出した。騎士団側で保管されていた古い記録の写しらしく、同じ家名と年代が記されている。


「探してくださったんですか?」


「別件の記録を調べるついでに見つけただけだ」


 リディアは受け取った紙を、昨日の契約書と並べた。年代も書式も近い。これなら、術者の魔紋にどの程度の違いがあるのか比較できそうだった。


「ありがとうございます。これがあれば、もう少し詳しく調べられそうです」


「役に立つなら持っていけ。騎士団には話を通してある」


「では、お借りします。確認が終わったら、こちらからお知らせしますね」


「ああ。頼む」


 レイフォードは頷くと、そのまま資料室を出ていった。


 リディアは借りた記録を傷めないよう、ほかの書類とは分けて机の端へ置いた。その手元に、向かいからミラの視線が刺さる。


「……何ですか?」


「別に。ただ、ずいぶん親切だなと思って」


「騎士団の記録を貸してくださったことですか? 調査に必要なものですから」


「そうね。わざわざ自分で探して、わざわざ自分で持ってきてくれたのも、全部調査のためよね」


「隊長は責任感の強い方ですし、今回の件は騎士団も関わっていますから」


 リディアが答えると、ミラはしばらくこちらを見つめたあと、諦めたように笑った。


「隣のクラーク文官も言ってたわよ。『あの隊長、最近ちょっと記録局に来すぎじゃないか』って」


「クラークさんまで?」


「気づいてないの、たぶんヴァンスさんくらいじゃない?」


 そこまで言われると、さすがに気になってくる。


 リディアは手を止め、ここ数日のことを順に思い返してみた。


 調査チームが組まれてから、レイフォードと顔を合わせる機会は確かに増えた。初めのうちは局長やほかの騎士と一緒に来ることが多かったが、最近は一人で資料室へ顔を出すことも珍しくない。


 とはいえ、今日だってきちんと用件があった。昨日も一昨日も、何かしら調査に関わる話をしていたはずだ。


「……やっぱり、仕事だと思います」


「そこまで考えて、その結論なの?」


「だって、毎回ちゃんと用件がありますよ」


「用件があることは否定してないのよ、私は」


 ミラは笑いを堪えるように口元へ手を添えた。


「じゃあ、何がおかしいんですか?」


「それを私の口から教えたら、面白くないでしょう」


「面白いとか、そういう話なんですか?」


「ほら、もう仕事に戻りましょ。借りた記録、確認するんでしょう?」


 急に話を切り上げられ、リディアは釈然としないまま手元の記録へ視線を戻した。問い詰めたところで、今のミラが素直に答えてくれるとも思えない。


 気を取り直して二枚の書類を並べると、先ほどまでの会話は次第に頭の隅へ追いやられていった。


◆


 昼休み、食堂で向かいに座ったオーウェン局長が、スープを口に運びながら何気なく尋ねてきた。


「今朝、アシュグレイ隊長が来ていたそうだな」


「はい。騎士団に残っていた古い記録を持ってきてくださいました。ちょうど探していた年代のものだったので、助かりました」


「そうか。そこまでしてくれたのか」


「別の記録を調べているときに見つけたそうです」


「なるほど」


 局長は小さく頷いたものの、どこか楽しそうに目を細めている。


 朝から似たような顔を見た覚えがあって、リディアはスプーンを置いた。


「……局長まで、何ですか?」


「何のことだ?」


「ミラさんもそうなんですけど、隊長が記録局に来ることを妙に気にしているような……」


「ほう。ミラも気づいていたか」


「気づくって、何にですか?」


 思わず身を乗り出すと、局長は笑いながら首を振った。


「いやいや、こちらの話だ。アシュグレイ隊長が熱心に協力してくれているなら、局長としてはありがたい限りだよ」


「それなら、最初からそう言ってください」


「私は最初からそう言っているつもりだがね」


 どうにもはぐらかされている気がする。


 けれど、午後には借りた記録の照合を進めなければならない。リディアは局長をもう一度だけ見たあと、冷めかけたスープへ手を伸ばした。


◆


 夕方には、騎士団から借りた記録との照合もひと通り終わった。


 机の上を片づけながら、リディアは朝から何度も聞かされた言葉を思い出す。


 ――最近、記録局に来すぎじゃないか。


 調査が始まる前と比べれば、レイフォードと顔を合わせる機会が増えたのは間違いない。仕事の話だけでなく、先日は偶然とはいえ帰り道まで一緒になった。


 そこまで考えたところで、廊下から硬い靴音が聞こえてきた。


 リディアの手が止まる。


 ほどなくして扉の前にレイフォードが現れた。


「まだいたのか」


「今、ちょうど帰るところです。隊長は?」


「巡回の帰りだ。朝の記録は役に立ったか?」


「はい。おかげで比較できました。明日、結果をまとめてお渡ししますね」


「急がなくていい。昨日も遅かっただろう」


 思いがけない言葉に、リディアは瞬きをした。


「……どうして知っているんですか?」


「夜の巡回で、資料室の灯りがついていた」


「ああ、そういうことでしたか」


 納得して頷くと、レイフォードは何か言いたそうにリディアを見たものの、結局そのまま視線を逸らした。


「今日はもう帰れ」


「はい。隊長も、あまり遅くならないようにしてくださいね」


「俺はこれで終わりだ」


「それならよかったです」


 レイフォードは短く頷き、廊下を歩いていった。


 リディアはその背中を見送りながら、ふと朝のミラの顔を思い出した。


 やがてレイフォードの姿が角の向こうへ消えると、リディアは机の上の灯りを消し、鞄を手に資料室を出た。

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