第6話 広がる波紋
翌朝、資料室に集まった調査チームの前で、オーウェン局長が数枚の書類を机に置いた。
「昨夜、新たに七件の改ざんが確認された」
オーウェン局長の声は、いつになく硬い。
「しかも今回は、地方領地の境界権利に関わる書類だ。単なる契約書の偽造では済まない可能性がある」
室内がざわめく。ミラが小さく息を呑むのが、リディアにも聞こえた。
「境界権利って……それ、下手をすれば領地争いに」
「その通りだ」
局長は険しい顔で頷いた。
「境界を定める契約書は、税収や鉱山の採掘権、私兵の駐留範囲まで含む、貴族家にとって命綱のような書類だ。ひとたび書き換えられれば、どちらの家の土地かという話にとどまらず、双方の面子と実利が絡んだ争いに発展しかねない。宮廷の裁定を待たず、私兵同士が小競り合いを起こした前例もある」
その説明に、室内の空気がさらに重くなる。
「だからこそ、これは記録局だけの問題ではなくなった」
局長はそこで一度言葉を切り、続けた。
「近衛騎士団の関与を、これまで以上に強めることになる。魔導省本省からの判断だ」
記録局は魔導省に属する一部署に過ぎない。局長の裁量だけで動かせる話ではないのだと、リディアは今更ながらに実感した。
その言葉に、リディアは思わず、局長の隣に視線を向けた。レイフォードは、いつもの詰所の隅ではなく、局長のすぐ横に、静かに立っていた。表情はいつも通り硬いままだったが、どこか纏う空気が違って見える。
「アシュグレイ隊長には、秘密裏に、この一件の護衛任務を兼ねてもらうことになった」
「秘密裏、ですか」
思わず声を上げたリディアに、オーウェン局長が頷く。
「大っぴらにすると、犯人を警戒させかねない。表向きは、これまで通りの巡回の延長という形を取る」
説明を聞きながら、リディアは正面に立つレイフォードへと目をやった。彼もまたこちらを見ていたのか、視線がふと重なる。
「……何か」
見入っていたことに気づかれ、リディアは慌てて言葉を継いだ。
「いえ……大変な任務をお受けになったのだな、と」
礼儀の範囲に収めたつもりの一言だったが、口にしてから、少し踏み込みすぎただろうかと気になった。
「別に、いつもと変わらない」
短く返す声は、いつもと変わらぬ抑揚のなさだった。けれど、腰に佩いた剣の柄に添えられた指先に、わずかに力がこもっているのが見えて――言葉とは裏腹に、これはただ事ではないのかもしれないと、リディアは思わずにいられなかった。
◆
昼過ぎ、資料室で作業をしていると、廊下でミラが誰かと立ち話をしているのが見えた。戻ってきた彼女の顔は、少し青ざめている。
「聞いた? 境界の書類が絡んでるってことは、下手したら貴族同士の揉め事に発展するかもしれないって」
「揉め事、ですか」
「うちの局が原因で、家同士の争いになったら……両家の私兵が動くことだって、あり得るじゃない。そうなったら、記録局の落ち度なんかじゃ済まされないわ」
リディアも、他人事とは思えなかった。ヴァンス家もまた爵位こそ持つものの、今は目立たぬ小さな家に過ぎない。もし自分の家が、こうした領地争いに巻き込まれたらと考えると、ぞっとする。祖母が亡くなってから傾いていくばかりの実家の暮らしを思うと、家格や土地を巡る諍いがどれほど生々しく人の生活を脅かすものか、身をもって知っている気がした。
自分が見つけた小さな歪みが、ここまで大きな問題に繋がっていくとは、正直まだ実感が湧かない。
夕方、書類を届けに詰所へ向かうと、レイフォードが数名の部下と何やら話し込んでいた。真剣な表情で地図らしきものを指差している。
リディアに気づくと、彼はすぐに話を切り上げ、こちらに歩み寄ってきた。
「書類か」
「はい。今日確認した分です」
受け取りながら、レイフォードは珍しく、少しだけ言葉を続けた。
「……お前も、無理はするなよ。この件は、思ったより大きくなるかもしれない」
「どうして、そう思われるんですか」
「今回、境界が絡んでいた領地の一つは、国境に近い。実は先だって、その周辺で不審な人の出入りがあるという報告が、騎士団にも上がっていた。書類の改ざんと、無関係とは思えない」
初めて聞かされた話に、リディアは息を呑んだ。記録局の中だけで完結する話だと思っていたものが、国境の外にまで繋がっているかもしれない――そう思うと、背筋に冷たいものが走る。
「隊長も、お気をつけて」
「ああ」
短いやり取りだったが、いつもよりも重みのある声だった。
資料室に戻る途中、窓の外に目をやると、夕焼けに染まる王都の空が広がっていた。




