第58話 託されたバッジ
翌朝、約束していた時間より少し早く、レイフォードは記録局へ現れた。
昨日と同じ報告書を持ってくるものと思っていたリディアは、彼がオーウェンの机へ置いた小さな包みに目を留めた。
濃い色の布をほどくと、中から古びた金属のバッジが現れる。
縁に細かな傷が残り、銀色だったらしい表面もところどころ黒ずんでいる。
リディアには見覚えがあった。
「それ……」
「ああ」
レイフォードはバッジを布の上へ置いたまま、視線を落とした。
「姉の部屋にあったものだ。昨日、古い記録を見ていて思い出した」
以前、彼の私室で肖像画のそばに置かれていたものだった。
「家のものでも、騎士団のものでもない。何なのかは、ずっとわからなかった」
オーウェンは何気なく手を伸ばしかけたものの、途中で動きを止めた。
「……ちょっと待て」
机の上へ身を寄せ、バッジの表と裏を確かめる。裏側に小さく刻まれた印を見つけたところで、眉間の皺が深くなった。
「局長?」
「それ、少し借りるぞ」
レイフォードが頷くと、オーウェンはバッジを持ったまま執務室の奥へ向かった。
下段の戸棚から古い台帳を引き出し、机へ戻ってくる。革張りの表紙は何度も補修されており、開くと乾いた紙の匂いが広がった。
「記録局のものなんですか?」
リディアが尋ねると、オーウェンは頁を繰りながら答えた。
「今はもう使ってない。昔、局の外から協力者を入れるときに持たせていた連絡章だ。誰にでも出していたものじゃない」
レイフォードの視線がバッジへ戻る。
「姉が、記録局の仕事を?」
「そこまではまだわからん。番号が残ってる。発行台帳が合っていれば――」
オーウェンの指が、一枚の頁で止まった。
しばらく何も言わない。
その沈黙に、レイフォードが一歩机へ近づいた。
「何がある」
オーウェンは台帳を彼のほうへ向けた。
「自分で見たほうがいい」
リディアも隣から覗き込む。
細かな文字が並ぶ中に、一つだけ見覚えのある名前があった。
エルシー・アシュグレイ。
レイフォードの手が、机の縁で止まった。
その同じ行を追っていたリディアは、少し離れた欄に記されたもう一つの名前に気づいた。
「……お祖母様」
発行を認めた者として記されていたのは、アデル・ヴァンスだった。
リディアはしばらくそこから目を離せなかった。
オーウェンが頁の端へ手を置く。
「アデル様が直接出してるな。時期も……銀翼事件の前だ」
レイフォードは返事をしなかった。
台帳へ視線を落としたまま、布の上に残っていたバッジを手に取る。親指が、使い込まれて丸くなった縁をゆっくりとなぞった。
「姉は、アデル殿を知っていたのか」
「この記録を見る限り、少なくとも一度や二度会っただけではなさそうだ」
オーウェンはさらに同じ行を追い、ふと目を細めた。
「返却の記録がない」
レイフォードの指が止まる。
本来なら任務が終われば返すものだったらしい。ほかの行には返却日が書かれているのに、エルシーの欄だけが空白のままだった。
「ずっと持っていたんですね」
リディアの言葉に、レイフォードは手の中のバッジを見た。
「……そうらしい」
それ以上は何も言わなかった。
けれど、すぐに布へ戻すこともしなかった。
オーウェンは台帳を何頁か戻し、別の欄を確認する。
「この番号がわかったなら、出入りの記録も追えるかもしれん。全部残ってるとは限らないがな」
「見たい」
レイフォードの返事は早かった。
オーウェンが顔を上げる。
「だろうと思った。ただし、今すぐ棚をひっくり返すなよ。二十年前の記録だ。保管場所から当たる」
「わかっている」
そう答えながらも、レイフォードの目はまだ台帳から離れていない。
リディアはその横顔を見てから、もう一度二つの名前へ目を戻した。
エルシー・アシュグレイ。
そのすぐ近くに、アデル・ヴァンス。
これまで別々に聞いてきた二人の名が、同じ一枚の紙の上に並んでいる。
髪の横で、祖母の髪飾りがわずかに揺れた。
「隊長」
呼ぶと、レイフォードがこちらを見る。
「出入りの記録が見つかったら、私も一緒に確認していいですか」
問いかけたあと、リディアは少しだけ言葉を足した。
「お祖母様が何を頼んだのか、私も知りたいです」
レイフォードはすぐには答えず、手の中のバッジへ一度視線を落とした。
やがて、それを布へ包み直すのではなく、開いた台帳の横へそっと置く。
「ああ。一緒に見てくれ」
オーウェンが保管記録を探すため席を立っても、バッジは二人の間に置かれたままだった。




