第52話 信じきれない心
翌朝、リディアが記録局へ着く頃には、オーウェンの机の上に新しい封筒が二通届いていた。
昨日セシリアが持ち込んだ照会文について、原因不明の体調不良や失踪に遭った者の家へ確認を回した結果だった。朝の光が差す机の上には、フェリクスのものを含め、三通の写しが横一列に並べられている。
「これで三件か」
オーウェンが一番新しい封筒の中身を取り出し、折り目を伸ばしながらリディアの前へ差し出した。
リディアはすぐに本文へ目を移さず、先に差出人欄と日付を確認した。前の二通と同じく正式な所属は書かれておらず、文面だけを見れば、古い記録について事情を尋ねる穏当な手紙に見える。
だが三枚を机いっぱいに並べると、偶然とは言いづらい共通点が浮かび上がった。
「ここも同じです」
リディアは中央の一文を指先でなぞり、隣の写しを少し引き寄せた。
「『本人が個人的に保管していた写し、ならびに覚え書きがあれば知らせてほしい』。言葉の順番まで、ほとんど変わっていません」
ミラも反対側から身を乗り出し、三枚を順番に見比べる。
「問い合わせる相手も、全部倒れたり行方がわからなくなった人の家族なのよね。元気なうちに本人へ聞いた形じゃない」
「日付を確認します」
リディアは被害者一覧を手元へ寄せ、症状が出た日と照会が届いた日を一人ずつ書き込んでいった。
ペン先が紙の上を滑る音だけがしばらく続く。
一人目は、倒れた三日後。
二人目は、失踪が判明した翌日。
フェリクスについても、意識を失ってから二日後だった。
「全部、被害が出たあとです」
リディアは書き込んだ三つの日付を見渡した。
「本人に聞けなくなってから、その人が家へ何か持ち帰っていなかったかを探していることになります」
オーウェンはすぐには答えず、三通目を持ち上げて窓から入る光へ透かしたあと、元の位置へ戻した。
「少なくとも、そういう見方はできるな。ただ、まだ三件だ。残りの家からも返事が来るまでは決めつけるな」
「はい。でも、次に確認するものは絞れます」
リディアは被害者一覧の横へ新しい欄を作り、そこへ「照会の有無」「到着日」「問い合わせ内容」と書き込んだ。
自分たちが調べていたのは、被害者が何を閲覧したかだった。
今度は逆に、誰かが彼らの手元から何を探していたのかを追えるかもしれない。
ちょうどそのとき、入口のほうから騎士の靴音が聞こえてきた。
顔を上げなくても、誰なのかはわかった。
レイフォードは昨夜、アシュグレイ家から急な呼び出しを受け、別の騎士へ護衛を引き継いでいた。記録局へ入ってきた彼は真っ先にオーウェンへ何かを告げ、そのあとでリディアの机へ近づいてくる。
制服はいつも通り整っていたが、襟元だけがわずかにずれていた。普段なら気づかない程度の乱れなのに、昨夜どんな話をしてきたのかを知っているせいか、リディアの目には妙に残った。
「手首はどうだ」
レイフォードの視線が、書類ではなくリディアの袖口へ落ちた。
「もうほとんど痛みません。文字を書くぶんには問題ありません」
「ほとんど、か」
言葉と一緒に眉間へ薄く皺が寄る。
以前なら、その反応に少し笑って「大丈夫です」と繰り返していたはずだった。
今日はその言葉が喉まで上がったところで止まり、リディアは代わりに手元の一覧へ視線を戻した。
「昨日の照会について、似たものが三件見つかりました。局長と確認していたところです」
話題を変えたことには気づいたらしい。
レイフォードは一瞬リディアを見たものの、何も言わず三通の写しへ視線を移した。
「あとで内容を聞く。その前に、少し話せるか」
◆
昼前の資料室には、薄い雲を通した白い光が満ちていた。
奥ではミラたちが古い帳簿を棚から下ろしており、紙をめくる音や小声で番号を確認する声が時折聞こえてくる。完全に二人きりではないが、机を一つ挟んで声を落とせば、会話までは届かない距離だった。
レイフォードは椅子には座らず、机の向かいに立ったまま口を開いた。
「昨日、家でロウ家との縁談について話があった」
予想していた言葉だったはずなのに、リディアの指先は開いていた帳簿の端で止まった。
「セシリア様から、家同士で話が動いているとは聞いています」
「ああ。俺のところにも正式に話が来た。だが、受けるつもりはないと伝えた。以前と答えは変わらない」
曖昧さのない声だった。
胸の内側に残っていた力が少しだけ抜ける。
それでも、リディアはすぐに顔を上げることができなかった。紙面に並ぶ文字を見ているのに、一つも頭へ入ってこない。
「……そうですか」
ようやく返した声が、自分でも思ったより静かだった。
レイフォードの気配が動く。
「それだけか?」
リディアは帳簿を閉じず、開いた頁の端を指で押さえたまま、少し迷ってから顔を上げた。
「隊長がその縁談を望んでいないことは、信じています」
レイフォードの表情がわずかに緩む。
「でも、隊長が断れば、それだけで全部なくなる話なのかは……私にはわかりません」
今度は彼が黙った。
「セシリア様も、もう一度きちんと断ったと仰っていました。それでも家同士では話が動いて、隊長も昨日呼び出された。お二人の気持ちとは別のところで、ずっと話だけが残っているように見えるんです」
窓を叩いた風に、硝子が小さく震えた。
レイフォードは机の端へ手を置き、しばらく何かを考えるように伏せていた視線を戻した。
「家のことはこちらで片づける。ヴァンス文官が心配する必要はない」
きっと、安心させるための言葉なのだろう。
実際、彼なら簡単に押し流されることはない。
数日前、「失いたくない」と言ってくれた声まで疑っているわけでもなかった。
それでも、「こちらで片づける」と区切られた瞬間、自分の立っている場所だけが線の外へ戻されたように感じた。
「……わかりました」
リディアはそれ以上尋ねず、閉じかけていた帳簿をもう一度開いた。
向かいにいるレイフォードはすぐには動かなかった。
「本当に、それでいいのか」
低い声が落ちてくる。
何を聞かれているのかはわかった。
それでも、どう答えればいいのかわからなかった。
「今は、調査を進めたいです」
リディアは机の端に置いてあった照会文へ手を伸ばした。
レイフォードの眉間に再び皺が寄ったものの、そこへミラの声が重なった。
「ヴァンスさん、もう一軒から返事が来たわ」
ミラが持ってきた封筒には、先ほどの三通とは違う家の紋が押されていた。
リディアは受け取った封筒の表書きを確認し、既存の三件と同じ確認依頼への返書であることを確かめてから、机の上に空いていた場所へ置いた。封を外す指先は急いていたが、紙を傷めないよう端からゆっくり開く。
中から取り出した返書と照会文の写しを、先ほど並べた三枚の横へ広げた。
四通目にも、見覚えのある文章があった。
「これも同じですね」
ミラが横から覗き込む。
リディアは本文より先に日付を確認した。
被害者一覧を引き寄せ、その人物が倒れた日と照らし合わせる。そこへ書かれた数字を追ううちに、指先が自然と一か所で止まった。
「この方も、倒れたあとに届いています」
四件すべて。
偶然として片づけるには、もう数が揃いすぎている。
オーウェンを呼び、四枚の照会文を見せると、彼はしばらく文面を追ったあと、低い声で言った。
「相手は、被害に遭った人間が何かを残していないか探している可能性が高いな」
「なら、次は内容です」
リディアは三通目と四通目を少し重ね、共通している部分へ紙片を挟んだ。
「どの人についても、『古い王宮記録の写し』と『本人の覚え書き』を探しています。被害者が何を調べていたかと、こちらも照合したいです」
「やれ。ただし、一人で抱えるな」
オーウェンがそう言うと、リディアはすぐミラのほうへ一覧を向けた。
「ミラ先輩、閲覧記録のほうをお願いしてもいいですか。私は照会の日付を整理します」
「もちろん。二人でやったほうが早いもの」
ミラが椅子を引き寄せ、机の横へ座る。
レイフォードは反対側に立ったまま、何も言わずその様子を見ていた。
しばらくして、彼も一冊の記録を手に取り、空いている場所へ置いた。
「騎士団側に残っている被害報告の日付なら、俺が照合できる」
リディアはほんの少し迷ってから、その資料を受け取った。
「……お願いします」
三人の間に、四通の照会文と被害者一覧が広げられる。
リディアが一人目の名前の横へ照会日を書き込み、次の欄へ視線を移したところで、レイフォードの指が同じ行の端へ伸びた。
二人の指先が触れるより前に、リディアはペンを持ち直し、その空欄へ小さく印をつけた。




