第46話 銀翼事件の輪郭
父が古い箱の留め金を外すと、乾いた金属音が書斎に響いた。
中には黄ばんだ書類や封筒が重ねて収められており、どれも長く人の手に触れていなかったらしい。父はその上に積もった薄い埃を払いながら、書斎の入口に立つレイフォードを一度振り返った。
「アシュグレイ隊長。申し訳ないが、ここから先は家の事情も含む。少しだけ席を外していただけますか」
「わかりました。廊下にいます」
レイフォードはそれ以上聞かず、リディアへ一度視線を向けてから扉の外へ出た。
母が静かに扉を閉めると、父は箱の中から数枚の紙を取り出した。最初の一枚へしばらく目を落としたあと、それを机の中央へ置く。
「二十年前、お前がまだ一歳だった頃だ。王宮で大量の記録に改ざんが見つかり、その調査が始まって間もなく、大きな爆発が起きた」
リディアは何も挟まず、父の言葉を待った。
「亡くなった者も、怪我をした者もいた。多くの資料が失われ、世間には魔導具の暴発による事故として発表されたが、後には『銀翼事件』と呼ばれるようになった」
「お祖母様は、その頃も記録局長だったんですね」
「ああ。事故の前から、母さんは記録の動きを調べていた」
父は箱の中に残っている書類を探りながら続けた。
「あるはずの資料が見つからない。一方には移した記録があるのに、受け取った側には何も残っていない。記載そのものが不自然に消されているものもあったそうだ。詳しいことまでは家で話さなかったが、『偶然にしては数が多すぎる』と何度も言っていた」
昨夜までリディアが見ていた帳簿が脳裏に浮かんだ。
何も書かれていない欄、途切れた記録、行き先のなくなった資料。その形を思い出しても、父の話と結びつけるにはまだ足りない。
「お祖母様は、誰がやったのかまでわかっていたんでしょうか」
「そこまでは聞いていない。ただ、記録局の中だけでできることではない、と考えていたようだ。上の立場にいる者が関わっている、とも言っていた」
父はそこで一枚の紙を抜き、机へ置いた。
古い処分通知だった。
アデル・ヴァンスという名前だけは、年月を経た紙の上でもはっきり読める。
「爆発の後、母さんは調査を止めなかった。ところが、しばらくして今度は母さん自身に記録管理上の不正があったという話が出た。証拠を出す前に調査から外され、そのまま記録局を去ることになった」
リディアは通知へ手を伸ばしかけ、触れずに指を引いた。
「局長は、自分では止められなかったと言っていました」
「オーウェンだけじゃない。母さんに近かった者から順に、記録局を離れるか、口を閉ざしていった。誰か一人が声を上げればどうにかなったような話ではなかったんだろう」
父は箱の蓋へ片手を置いたまま、少し間を置いた。
「ヴァンス家にも話は及んだ。それまで続いていた縁が切れ、こちらから何かを求めても、以前のようには通らなくなった。表立って罰を受けたわけではない。それでも、数年もすれば家がどうなったかは、お前も知っている通りだ」
リディアは机の向こうにいる父を見た。
これまで家の暮らしについて尋ねても、父が決まって「昔いろいろあってな」と話を終わらせていた理由を、今さら問い返す必要はなかった。
母が箱の中に残っていた封筒をそっと整えながら口を開いた。
「あなたたちには、あの頃のことを知らずに育ってほしかったの。上の子たちにも詳しいことは話していないわ。まして、あなたはまだ赤ん坊だったから」
「だから、お祖母様のことを聞いても……」
「仕事のことは教えたでしょう。でも、どうして辞めたのかまでは話さなかった」
母の手が封筒の上で止まった。
父は残っていた紙を箱へ戻したものの、蓋は閉めなかった。
「母さんは記録局を去ったあとも、しばらく自分で何かを調べていた。だが、以前のように資料を集められる立場ではないし、家に残っているものも多くない。亡くなる前には身体もかなり弱っていた」
そこまで話してから、父は椅子の背へ深くもたれた。
「ただ、妙なことを言うようにはなっていた。外へ出ると誰かが後をついてくる、家の近くで同じ人間を見る、と。私たちは疲れているのだと思っていたし、今もそれ以上のことは言えない。確かめられるものが何も残っていないからな」
リディアの視線が箱の中へ戻る。
「お祖母様が亡くなったのは、病気だったんですよね」
「医者から聞いたのはそうだ。それ以外の証拠はない」
父ははっきり答えたあと、それ以上の推測を重ねなかった。
しばらくして、箱の底に残っていた折り畳みの紙を取り出す。
「これだけは、母さんが最後まで机に置いていた」
開かれた紙には、調査結果らしいものは何も書かれていなかった。日付も宛名もなく、アデルの筆跡で短い一文だけが残っている。
『真実を探すなら、記録から離れてはいけない』
リディアはその文字を追った。
父は紙を取り返さず、箱ごとリディアのほうへ少し押した。
「ここにあるものは、もう隠さない。持っていって構わない。ただし、何があったのかを私たちより先に知ろうとして、母さんは一人になった。お前まで同じやり方をする必要はない」
リディアは紙を元の折り目に沿って畳み、ほかの書類と一緒に箱へ戻した。
「全部、一度記録局で確認させてください。私だけではなく、局長にも見てもらいます」
父は黙って頷いた。
リディアが箱を抱えて書斎を出ると、廊下の壁際にいたレイフォードがすぐこちらを向いた。箱へ一度目をやったものの、中身については尋ねない。
「持つ」
「これくらいなら――」
「階段がある」
差し出された手を見て、リディアは少しだけ迷ったあと、箱を渡した。
レイフォードは両腕で受け取り、そのまま玄関へ向かった。




