第42話 狙われる可能性
朝、いつも通り記録局に着くなり、リディアは机の上に書きかけのまま置いていた一覧表を見つめ直していた。
「ヴァンスさん、おはよう。今日もその表とにらめっこ?」
「はい。整理すればするほど、規模が見えてきて……正直、少し怖いくらいです」
ミラの問いに答えながら、リディアは昨夜遅くまでかかって仕上げた資料の束を鞄にしまう。今日の午前中、局長にこれを提出する予定になっていた。
けれど、その予定は、思いがけない形で早まることになる。
「ヴァンス文官、局長とご一緒に、宰相府の会議室へ。至急とのことです」
息を切らせた使者にそう告げられ、リディアは慌てて席を立った。何事かと身構えながら向かった先で、リディアを待っていたのは、これまでにない物々しい顔ぶれだった。
長机の向こうに並ぶのは、宰相府の官吏たち、近衛騎士団の上級士官。そして末席には、いつもより表情を引き締めたレイフォードの姿もあった。
「発見者であるヴァンス文官から、直接説明を頼みたい」
促されるまま、リディアは震えそうになる声を抑えながら、これまでの調査結果を一つひとつ説明していった。改ざんの規模、書き手に共通する独特の癖、そして「古い記録」に関わりのある人々に降りかかった、原因不明の被害。
語り終える頃には、額にじんわりと汗が滲んでいた。
説明を聞き終えた官吏たちの間に、重い沈黙が落ちる。
「――つまり、この一連の事件を筋道立てて見抜けるのは、実質的にヴァンス文官ただ一人、ということか」
「魔紋の癖を専門的に読み解ける者は、局内でも限られています。ここまで踏み込んで解析できたのは、彼女だけです」
オーウェン局長が補足すると、居並ぶ官吏の一人が、苦い顔で腕を組んだ。
「だとすれば……犯人側からすれば、彼女こそが最も邪魔な存在ということになる」
その一言に、会議室の空気が一段と張り詰めた。
「まさか、私が狙われると」
リディアの声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「可能性は否定できない。これだけの規模の不正を隠し続けている相手だ。手段を選ばないことも、十分に考えられる」
淡々と告げられる言葉の一つひとつが、指先から体温を奪っていくようだった。膝の上で組んだ手が、知らず知らずのうちに強張る。
「――彼女の身辺警護を、正式に手配していただきたい」
低く、けれどよく通る声が響いた。レイフォードだった。
「今回の一件は、単なる文書偽造の域を超えている。記録局の一職員に、これ以上のリスクを背負わせるべきではない」
「アシュグレイ隊長の意見は、もっともだ。上とも協議の上、早急に対応を決める」
「それまでの間、彼女を一人にしないよう、記録局側でも配慮を頼む」
宰相府の官吏がオーウェン局長に念を押すと、局長は硬い表情のまま、深く頷いた。
「もちろんです。局内での動きも、できる限り制限させていただきます」
官吏たちが頷き合うのを見つめながら、リディアはまだ、現実感を持てずにいた。誰かに命を狙われるかもしれない――そんな言葉が、こんなにも身近なものになるとは、想像したこともなかった。
会議が終わり、廊下に出たところで、レイフォードが静かに隣に並んだ。
「怖い思いをさせて悪いが……お前の力が必要だ。だからこそ、危険からは、しっかり守る」
「はい」
短く答えるので精一杯だったが、その一言に、震えていた指先が、少しだけ落ち着きを取り戻していく気がした。
局長室へ戻る道すがら、局長が小さく呟いた。
「まさか、こんな形で事の重大さを思い知らされるとはな」
その呟きに、リディアも黙って頷くしかなかった。
資料室に戻ると、事情を聞いたミラが、心配そうに駆け寄ってきた。
「狙われるかもしれないって、本当なの?」
「……上の方たちは、そう考えているみたいです」
「そんな……」
ミラは絶句したまま、リディアの手をぎゅっと握った。その温かさに、張り詰めていたものが、少しだけ緩む気がした。
「大丈夫よ、私たちもついてるから。それに、アシュグレイ隊長だっているんだし」
「はい……ありがとうございます」
窓の外には、いつもと変わらない王宮の日常が広がっていたが、リディアの胸の中には、これまでとは違う、静かな緊張感が根を下ろし始めていた。




