第40話 髪飾りの正体
鑑定用の灯りを近づけると、フェリクスの紙の余白に、昼間にも見えたわずかな艶が浮かんだ。
紙を削った跡も、薬品で文字を落とした痕も見当たらない。それでも指先から魔力を流すと、何もないはずの場所でかすかな引っかかりがある。光をずらしながら辿ってみても、その感触は文字の形になる前にぼやけ、何度やり直しても先へ進めなかった。
朝からまとめたままの髪が痛み始め、リディアは髪飾りを外して机の端へ置いた。肩へ落ちた髪を指で整えてから、もう一度紙へ触れる。
今度は、先ほどまで拾えていたものさえ遠かった。
疲れたのかと思い、書類箱から以前鑑定した古い契約書を一枚取り出す。どの辺りに魔紋が残っているか覚えている資料だったが、普段なら拾える細かな揺らぎが妙に曖昧で、輪郭が定まらない。
ふと、机の端の髪飾りへ目が向いた。
試しに髪をまとめ直して留めると、同じ契約書の魔紋が先ほどよりはっきり追えた。真贋の判断そのものが変わるわけではない。ただ、古く薄れた痕跡になるほど、髪飾りを身につけていると細かな部分まで拾いやすい。
リディアは留め具を外し、今度は髪飾りそのものへ魔力を流した。
長く見慣れてきた装飾の内側から、細い術式が返ってくる。保存のためだけに施されたものにしては複雑で、その流れは金属の中に留まらず、身につける者の魔力へ沿うように組まれていた。
髪飾りを手のひらに載せたとき、留め具の裏に刻まれた古代文字が灯りを拾った。
――心に余裕を持てば、何事も上手くいく。
物心ついた頃から見慣れている言葉だった。髪を結ってくれた祖母の指先と、「焦ってしまうと、大事なものを見落とすのよ」と笑った声まで、ふいに蘇る。
これまで鑑定をするとき、この髪飾りを外していたことがどれほどあっただろう。
リディアは髪飾りをいつもの位置へ戻し、フェリクスの紙を机の中央へ引き寄せた。今は考えるより、確かめたいものがある。
余白へもう一度魔力を沿わせると、先ほど途中でほどけた痕跡が、今度は細いまま続いていた。紙の奥へ沈むように残った線を追っていくうち、それが文章ではないことに気づく。
二重の輪郭。その内側に組み込まれた、小さな記号。
どこかで見た形だった。
リディアは椅子を引いて書架へ向かい、古い目録を何冊か抱えて戻った。頁をめくりながら欄外を追っていくと、ほどなく同じ意匠の印が見つかった。
古い資料を別の保管区分へ移すときに使われていた印だった。
フェリクスの紙を横に置いて見比べると、欠けている部分まで形が重なる。
リディアはそのまま移管記録の棚へ向かった。年代の合う帳簿を抜き出し、机へ戻って頁を繰っていくと、探していた管理番号は思ったより早く見つかった。
ところが、資料名の横にあるはずの移管先が空欄になっている。
代わりに押されていたのは、フェリクスの紙から読み取ったものと同じ印だった。
そのまま数頁先まで進むと、別の資料にも同じ印がある。さらにその先にもあった。
リディアが隣の年代の帳簿へ手を伸ばしたところで、廊下から靴音が近づいてきた。
「まだ残っていたのか」
入口に現れたオーウェンは、帰り支度の上着を腕に掛けていた。机いっぱいに広げられた帳簿を見ると、そのまま中へ入り、リディアの脇に置かれたフェリクスの紙へ目をやる。
「何か見つけたらしいな。どこまでわかった?」
「フェリクス先生の紙に、古い移管印が残っていました。昼間は形まで拾えなかったんですが、移管記録と照らすと、同じ印のある資料がほかにもあります。ただ、どれも行き先が書かれていません」
リディアが帳簿を向けると、オーウェンは黙って頁を追った。最初の一件ではそのままだった指が、二つ目、三つ目と同じ印が続いたところで止まる。
「この印は、フェリクス先生の紙から読んだのか」
「はい。さっきまで拾えなかったものが、急に……」
そこまで言って、リディアの手が髪に触れた。
オーウェンの視線も一瞬だけそこへ移ったが、問い返すことはなく、開いていた帳簿を閉じた。
「この形式なら、一般保管庫へ移した記録じゃない。昔の移管控えが別に残っているはずだ。第二保管庫を見たほうが早い」
「第二保管庫……?」
「今はほとんど使っていない場所で、鍵が必要だ」
オーウェンは腕に掛けていた上着を椅子へ置き、腰の鍵束から一本を外した。
「この量を一人で追うつもりだったなら、今日は諦めろ。俺も行く」
リディアはフェリクスの紙を封筒へ戻し、印のあった帳簿を二冊選んで抱えた。オーウェンが机の灯りを一つ持ち上げるのを待ち、二人で記録局の奥へ続く廊下へ出た。




