第4話 氷の騎士様は、意外と不器用?
「次はこの束をお願いね」
資料室の机には、洗い直すべき契約書が山のように積まれていた。ミラから渡された束を受け取り、リディアは一枚ずつ丁寧に目を通していく。
魔紋の確認には、かなりの集中力が必要になる。契約書に記された魔導文字を追いながら、そこに滲む魔力の流れを読み取っていくと、書き手ごとの癖が少しずつ浮かび上がってくる。
滑らかに流れる魔紋と、どこか引っかかるような歪んだ魔紋。その違いを見極めるのが、リディアの仕事だった。
「……この一枚は、問題なさそうです」
一枚確認するごとに、意識の奥が少しずつ削られていくような感覚がある。長時間続けていると、目の奥だけでなく頭の芯まで重くなってきた。
資料室の隅では、レイフォードが警備の合間を縫って顔を出していた。
しばらくリディアの作業を眺めていたが、やがて口を開く。
「……手伝えることはあるか」
「あ、えっと……それなら、確認済みの分を、あちらの棚に運んでいただけると助かります」
「わかった」
レイフォードは机の上の書類の束を持ち上げた。
ところが、両手で抱えるには少し量が多かったらしい。数歩進んだところで書類がずれ、何枚かが滑り落ちかける。
「っ……」
「大丈夫ですか?」
リディアが腰を浮かせると、レイフォードはすぐに束を抱え直した。
「……問題ない」
落ちかけた書類を一枚ずつ拾い上げ、きちんと束に戻す。それから、何事もなかったように棚へ運んでいった。
戻ってきたレイフォードに、リディアは思わず口元を緩める。
「……何かおかしいか」
「いえ、その……少し意外だったので」
「そうか」
レイフォードは気にした様子もなく、机の上へ視線を戻した。
「他にもあるなら言ってくれ」
「では、こちらの整理もお願いしてもいいですか。同じ家名のものごとに分けていただければ」
「ああ」
レイフォードは書類を受け取り、一枚ずつ仕分け始めた。
しばらくして、一枚の書類を手にしたまま動きが止まる。
「……この家名、読み方がわからない」
「あ、それは古い書体なんです。『メルヴィル』と読みます」
「メルヴィル」
レイフォードは教えられた読み方を小さく繰り返し、書類の端に読み仮名を書き込んだ。それから、何事もなかったように次の書類へ目を移す。
リディアも自分の手元へ視線を戻し、作業を続けた。
午後の資料室には、紙をめくる音と、ときおりペン先が机に触れる音だけが響いていた。
そうしてしばらく作業を続けているうちに、ふと視界の端が白くぼやけた。
「……っ」
目の奥がずきりと痛む。
机の上の文字を追おうとしても、焦点がうまく合わない。リディアは一度目を閉じ、こめかみを指で押さえた。
「どうした」
すぐにレイフォードの声がした。
「いえ……少し、鑑定を続けすぎたみたいで」
顔を上げると、いつの間にかレイフォードがすぐそばまで来ていた。
「顔色が悪い」
「そんなにですか?」
「ああ」
短く答えたレイフォードは、机の上に残った書類へ目を向ける。
「少し休め」
「でも、まだ確認するものが……」
「残りは俺がやる」
「でも、鑑定は……」
「それ以外ならできる」
真顔で言われて、リディアは思わず笑ってしまった。
「……では、お言葉に甘えて、少しだけ休ませてもらいます」
「ああ」
「ありがとうございます」
「水を持ってくる」
「えっ、あの、大丈夫です。自分で――」
「待っていろ」
レイフォードはそれだけ言うと、資料室を出ていった。
ほどなくして戻ってきた彼の手には、水の入ったコップがあった。
「ありがとうございます……」
「大したことじゃない」
コップをリディアの手元へ置くと、レイフォードはそのまま残った書類の前に戻った。
リディアは水を飲み、椅子の背にもたれた。
「少し休めば、もう大丈夫だと思います」
「ああ」
レイフォードは短く答え、棚の前で作業を始める。
リディアは目を閉じた。
頭の重さが、少しずつ引いていく。
しばらくして、薄く目を開けると、レイフォードが書類を仕分けている姿が見えた。
一枚ずつ確認しながら、同じ家名のものを分けている。ときどき手を止めて書類を見直し、間違いがないか確かめていた。
そして、ふとこちらを振り返る。
目が合う前に、リディアは慌てて目を閉じた。
少しして、また薄く目を開ける。
レイフォードはもう書類に視線を戻していた。
リディアは小さく息を吐き、今度はゆっくりと目を閉じた。
やがて、机の上で書類を揃える音がした。
「……終わった」
レイフォードの声に、リディアはゆっくり目を開けた。
「もう、ですか?」
「ああ。残っていた分は整理しておいた」
リディアは机の上へ視線を向けた。
さっきまで残っていた書類は、きれいに仕分けられている。
「ありがとうございます」
リディアが顔を上げると、レイフォードはまだこちらを見ていた。
「……もう大丈夫そうか」
「はい。少し休んだので、もう平気です」
リディアが笑ってみせると、レイフォードはほんのわずかに目を細めた。
「そうか」
それだけ言って、レイフォードは机の上の書類を揃えた。
リディアも椅子から立ち上がり、残った自分の書類をまとめ始める。
「ご心配をおかけしました」
「気にするな」
レイフォードはそう答えながら、資料室の扉へ向かった。
扉に手をかけたところで、ふと足を止める。
「今日は、もう無理をするな」
「……はい」
振り返ったレイフォードと目が合う。
リディアは少しだけ驚いたように瞬きをして、それから素直に頷いた。
「わかりました」
「ああ」
レイフォードはそれ以上何も言わず、資料室を出ていった。
扉が閉まる音を聞いてから、リディアは小さく息を吐いた。
机の上に残された書類へ目を向ける。
まだ仕事は残っている。
けれど、さっきまで重かった頭は、いつの間にか少し軽くなっていた。
「……よし」
小さく呟いて、リディアは残りの書類を整え始めた。




