第36話 見てはいけない光景
保管庫から戻ると、リディアはフェリクスともう一人の閲覧申請を机に並べ、同じ管理番号が記されていることを改めて確かめた。
最初に閲覧していた資料は異なる。それでも、二人とも途中で同じ保管資料を取り寄せている。まだ二件だけでは何とも言えないが、ほかの被害者について騎士団が調べる際の手がかりにはなるはずだった。
「局長、この件はアシュグレイ隊長にも早めに伝えておきたいです。ほかの方たちの行動を調べるときに、この管理番号も確認してもらえれば」
オーウェンは二枚の申請書を見比べると、騎士団へ渡すための写しを取り分けた。
「正式な資料はこちらで用意しておく。アシュグレイ隊長は少し前まで東棟にいたそうだ。まだ近くにいるなら、先に概要だけ伝えてきてくれ」
リディアは一覧を受け取り、記録局を出た。
騎士団の詰所まで行ってみたものの、レイフォードの姿はなかった。入口にいた騎士によれば、巡回を終えたあと次の予定まで少し時間があり、東の中庭へ向かったらしい。
ここ数日は急ぎでない連絡を書面で済ませることが増えていたが、今回は資料の名前だけ送るより、どのような経緯で同じ番号を見つけたのかまで直接説明したほうが早い。
リディアは書類を抱え直し、東棟へ続く回廊を進んだ。
中庭へ出る扉を抜けると、傾いた陽が石畳の上に長い影を落としていた。中央の噴水から水音が響き、その向こうに、探していたレイフォードの姿が見える。
リディアは歩調を速めかけて、すぐに足を緩めた。
レイフォードの前に、セシリアがいた。
二人は少し距離を置いて向かい合っている。セシリアは胸の前で両手を重ね、いつもの笑顔もなく、まっすぐレイフォードを見ていた。
リディアの足が止まる。
少し前、セシリアは自分の気持ちをレイフォードへ伝えるつもりだと言っていた。
腕の中の資料を抱え直し、リディアは来た道へ戻ろうとした。
そのとき、セシリアの声が噴水の音に混じって届いた。
「今まで、家のことは家に任せておけばいいと思っていました。私たちは昔から知っていますし、両親同士も親しいから、いずれ話が進むならそれでいいのだろうって。けれど最近、周りだけが先に私たちのことを決めていくのを聞いているうちに、このままでは嫌だと思うようになったんです」
リディアは振り返らなかった。
あと数歩進めば、回廊の角を曲がれる。
「もし本当に婚約することになったとしても、家が決めたからというだけであなたの隣に立ちたくありません。私がどう思っているのかを伝えたうえで、レイフォード様がどう思っているのかも、あなた自身の言葉で聞きたいんです」
靴音を立てれば、二人に気づかれるかもしれない。
リディアは足を止めたまま、指先で書類の端を押さえた。
レイフォードの声は聞こえない。
セシリアは少し間を置いてから、先ほどより静かな声で続けた。
「子供の頃は、ずいぶん無愛想な人だと思っていました。話しかけても返事は短いし、こちらが怒っていても気づいているのかいないのかわからない。それでも、私が本当に困っているときには、いつも何も言わずに手を貸してくれました。誰かのためにしたことも、自分から話したことなんてほとんどありませんでしたよね」
最後のほうだけ、セシリアの声にわずかな笑いが混じった。
レイフォードは相変わらず黙っている。
「ずっと近くにいたから、そういうところをたくさん見てきました。だから、アシュグレイ家だからでも、周りから似合うと言われるからでもありません。私は、あなたが好きです」
噴水から落ちる水の音が、変わらない間隔で続いていた。
数日前、セシリアと歩いた庭園で聞いた言葉が、リディアの頭をよぎった。
――私は、レイフォード様が好きよ。ずっと前から。
腕の中で、一番上の書類がわずかにずれた。
リディアは視線を落とし、折れかけた紙の角を指で伸ばした。
「今すぐ何かを決めてほしいわけではありません。ただ、家同士の話が先へ進む前に、一度だけ、私自身の言葉で伝えておきたかったんです」
セシリアがそこまで話すと、中庭はしばらく静かになった。
リディアは書類を胸元へ寄せ、今度こそゆっくり後ろへ下がった。石畳から回廊へ戻るところで、ようやくレイフォードの声が聞こえた。
「セシリア嬢。話してくれたことは――」
背後でレイフォードの声が続いていた。
リディアは足を止めず、そのまま回廊の角を曲がった。石壁を隔てるにつれて、噴水の音も二人の声も遠ざかっていく。
腕の中には、レイフォードへ直接渡すはずだった書類が残っていた。




