第34話 決意
仕事を終えて記録局を出たところで、リディアは廊下の先に立つセシリアを見つけた。
いつもならこちらに気づくとすぐに笑って手を振るのに、今日は窓辺で静かに待っている。リディアが近づくとようやく表情を和らげたものの、どこか落ち着かない様子だった。
「セシリア様。今日はどうされたんですか?」
「少し、付き合ってもらってもいい? 急ぎではないのだけれど、できれば二人で話したくて」
そう言われ、リディアはそのまま彼女と王宮の外へ向かった。
夕方の庭園は昼間より人通りが少なく、植え込みの向こうから噴水の音が聞こえてくる。セシリアは歩きながら何度か口を開きかけたものの、すぐに別の話題へ移ってしまい、いつもの彼女にしては珍しく言葉を選んでいるようだった。
庭園の端まで来たところで、ようやく足を止める。
「最近、私とレイフォード様のことで噂が出ているでしょう。婚約の話が進んでいて、近いうちに発表されるんじゃないかって」
突然その話を向けられ、リディアは少し間を置いてから頷いた。
「記録局でも耳にしました。以前からご両家の間でそういう話があることは知っていましたけど、最近はもっと具体的に進んでいるように言われていて……」
「やっぱり、そこまで広がっていたのね」
セシリアは困ったように息をついた。
「家同士で縁談の話があるのは本当よ。昔から付き合いもあるし、周りから見れば自然な相手だと思われていることも知っている。でも、婚約が決まったわけではないの。レイフォード様から何か答えをもらったこともないわ」
リディアは思わず彼女を見た。
ここ数日、何度も耳にしてきた話とは違っていた。近いうちに婚約する、すでに両家の話はまとまっている――そんな言葉ばかり聞いていたため、本人から否定されるとは思っていなかった。
セシリアはそんなリディアの反応を見て、少しだけ苦笑した。
「みんな、私たちがどう思っているかより、家同士がどうするかのほうが気になるみたい。私も今までは、それでいいと思っていたのよ。いつか話がまとまるなら、そのとき考えればいいって。自分から何かしなくても、周りが進めてくれるものだと思っていたから」
夕方の風に髪が揺れ、セシリアはそれを耳へかけた。
「でも最近、それでは嫌だと思うようになったの。もし本当に婚約することになったとしても、家が決めたからというだけでレイフォード様の隣に立ちたくない。私がどう思っているのかをちゃんと伝えて、それから、あの方自身の答えを聞きたいの」
いつもの明るい調子とは違う、静かな声だった。
リディアは何も言わずに聞いていた。
セシリアが国境へ向かったレイフォードを心配して記録局まで訪ねてきたことも、幼い頃から彼を知っていると話していたことも思い出す。これまで別々に聞いていた言葉が、今になって一つにつながったような気がした。
「私は、レイフォード様が好きよ。ずっと前から」
セシリアはそれを隠すことなく口にした。
「だから今度、きちんと伝えるつもり。家の話がどうなるかとは別に、自分の言葉で」
迷いのない声だったが、手袋をした指はわずかに強く組まれていた。
リディアはそこへ目を落としてから、ゆっくり息をついた。
「……緊張しますよね」
「ものすごく」
セシリアはそこで初めて、少しだけいつもの笑顔に戻った。
「ここまで長く知っているのに、改まって気持ちを伝えると思うと急に怖くなるの。もし断られたら、しばらく顔を合わせられないかもしれないし。でも、何も言わないまま周りに決めてもらうほうが、きっとあとで後悔すると思う」
そこまで聞いて、リディアはようやく、なぜセシリアが自分を待っていたのか気になった。
「それを、どうして私に話してくださったんですか?」
「友達だから、かな」
セシリアは少し考えてから答えた。
「誰かに話すなら、リディアに聞いてほしいと思ったの。あなたなら、面白がったり、勝手に誰かへ話したりしないでしょう。それに、レイフォード様と仕事で会うことも多いから、もし私がしばらく妙な顔をしていても、何かあったのねって見逃してほしくて」
「告白する前から、そのあとのことまで考えているんですか?」
「考えるわよ。そこまで強気じゃないもの」
セシリアが困ったように笑う。
その姿を見ていると、「応援しています」と簡単に言うことができなかった。
セシリアが本気なのはよくわかった。長い間想ってきた相手に、自分から答えを聞こうとしている。その決意を否定したいとは思わない。
それなのに、胸のどこかに小さな引っかかりが残っている。
リディアは鞄の持ち手を握り直した。
「ちゃんと、お話しできるといいですね。セシリア様が言いたいことを全部伝えられるように」
セシリアは少し目を丸くしたあと、柔らかく笑った。
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで十分よ」
二人は再び歩き始めた。
王宮の門へ近づくにつれて人通りが増え、迎えの馬車が並ぶ場所も見えてくる。セシリアは自分の馬車を見つけると、乗り込む前にもう一度振り返った。
「今日、話せてよかった。誰かに聞いてもらったら、少しだけ覚悟が決まった気がする」
「私でよかったなら、いつでも聞きます」
「だからリディアに話したのよ」
セシリアはそう言って笑い、馬車へ乗り込んだ。
リディアはその場で見送りながら、先ほど聞いた言葉を思い返した。
婚約は、まだ決まっていない。
それを知った瞬間、ほんの少しだけ身体から力が抜けた気がしたことを、今になって思い出す。
けれど、その直後には、セシリア自身の「好き」という言葉が残った。
どちらをどう受け止めればいいのか、まだうまく整理できなかった。
馬車が通りの向こうへ消えると、リディアもゆっくりと帰路についた。




