第19話 セシリアの心配事
レイフォードが王都を発ってから数日後、記録局に思いがけない客が訪れた。
「ごめんなさいね、また突然来てしまって」
受付の近くで待っていたセシリアは、リディアを見つけると申し訳なさそうに笑った。前に訪ねてきたときとは違い、今日は手土産らしい包みも持っていない。本当に思い立って来たのだろう。
「セシリア様。どうされたんですか?」
「少し聞きたいことがあって。お仕事の邪魔にならないかしら」
「今なら大丈夫です。ただ、私がお話しできることであれば、ですが」
「もちろんよ。無理に聞き出すつもりはないわ」
そう断ってから、セシリアは周囲を見回した。前回の訪問ですでに記録局の様子を知っているため、珍しそうに眺めることもない。ちょうど昼休みに入ったところだったので、リディアは仕事の邪魔にならない場所へ彼女を案内した。
席に着くと、セシリアはすぐには本題を切り出さなかった。何から尋ねようか迷うように指先を重ねてから、ようやく口を開く。
「国境へ騎士団が派遣されたでしょう。あれから、何か連絡は入っている?」
聞きたいことが何なのか、そこでリディアにもわかった。
「私のところには何も。記録局も、現地の状況までは知らされていないんです」
「そう……。やっぱり、こちらへ来ても同じよね」
セシリアは小さく息をついた。普段の朗らかな彼女にしては珍しく、その表情には落胆が隠れていない。
「社交界ではいろいろな話が出ているの。国境で魔導兵器が見つかったとか、もっと大きな事件になるとか。でも、話す人によって内容が違うものだから、どこまで本当なのかわからなくて」
「こちらでも、わかっていることは多くありません。今は記録の調査を続けていますけど、それが国境の件とどう関係しているのかも、まだ何とも言えなくて」
「そうよね。ごめんなさい。あなたなら何か知っているかもしれないと思っただけなの」
セシリアの声には、以前のような好奇心とは違う響きがあった。
リディアも国境のことが気にならないわけではない。廊下から騎士の足音が聞こえるたびに顔を上げてしまうことも、今朝も何も置かれていなかった机の端を見てしまったことも、誰かに話したことはなかった。
「……私も、少し気になっています」
口にすると、セシリアが顔を上げた。
「レイフォード様のこと?」
「隊長だけではなくて、国境へ向かった皆さんのことです。どんな状況なのか、こちらにはほとんど入ってきませんから」
「ええ。そうね」
セシリアは頷いたものの、その口元にはわずかに笑みが浮かんでいた。何か言いたそうに見えて、リディアが首を傾げる。
「何ですか?」
「いいえ。ヴァンスさんらしい答えだと思っただけ」
「どういう意味です?」
「そのままの意味よ」
うまくかわされてしまい、リディアは納得できないまま彼女を見た。けれどセシリアはそれ以上説明せず、少し困ったように頬へ手を添えた。
「それにしても、レイフォード様は昔から変わらないわね。こういうとき、心配する側のことなんて考えていないんだから」
「そうなんですか?」
「自分で必要だと思ったことは、止めてもやる人なの。危険だからやめてと言ったところで、必要なら行くでしょうね。本人にとっては、それが当たり前なのよ」
リディアには、その言葉が妙にすんなり理解できた。
改ざんされた書類を見つけたときも、夜遅くまで調査が続いていたときも、レイフォードは必要なことを必要なだけやっていた。国境へ発つ直前でさえ、記録の照合について手配を残していたくらいだ。
「……確かに、そうかもしれません」
「でしょう?」
セシリアは少し笑ったが、すぐに視線を落とした。
「だから、こういうときは余計に心配なの。自分が無茶をしているなんて、たぶん本人は思っていないもの」
「戻ってきたら、言ってあげたらどうですか?」
「私が?」
「心配したって」
何気なく言ったつもりだった。
けれどセシリアは一瞬だけ黙り、それから、どこか照れたように笑った。
「そうね。言えるといいのだけれど」
その返事が思っていたものと少し違って、今度はリディアが黙った。
幼い頃から知っている相手なら、そんなことは簡単に言えるものだと思っていた。けれどセシリアは、それ以上何も続けなかった。
代わりに話題を変えるように、机の上へ視線を向ける。
「ヴァンスさんのほうは大丈夫? 前に来たときより、ずいぶん書類が増えているみたいだけれど」
「増えました。騎士団からも確認用の記録が届いたので、しばらくはこの状態だと思います」
「ちゃんと休んでいる?」
「どうして皆さん、同じことを聞くんでしょう」
思わずこぼすと、セシリアが目を丸くしたあと、声を立てて笑った。
「皆さん?」
「あ……いえ」
「なるほど」
「何も言っていませんよ」
「私も何も言っていないわ」
笑いを残したまま返され、リディアはそれ以上話すのをやめた。どうもセシリアと話していると、ときどき自分でも予想していなかったことまで口から出てしまう。
そのあと二人は、記録局の仕事や最近の王宮の様子についてしばらく話した。前に会ったときよりも会話は続き、気づけば昼休みの終わりが近づいている。
「長居してしまったわね。そろそろ帰るわ」
セシリアは立ち上がると、椅子を元へ戻した。
「今日はありがとう。何もわからなかったのに、話したら少し気が楽になったわ」
「私、ほとんどお役に立てていませんけど」
「そんなことないわ。誰かに話したかったのかもしれない」
セシリアはそう言って笑った。
リディアは彼女を入口まで見送り、一度仕事場へ戻りかけた。けれど、ふと思い出して足を止める。
「セシリア様」
振り返ったセシリアに、リディアは少し迷ってから続けた。
「隊長たちのことで何かわかったら、お伝えします。もちろん、私からお話しできる範囲で、ですけど」
セシリアは驚いたように瞬きをしたあと、ゆっくりと表情を和らげた。
「ありがとう、ヴァンスさん。……それなら、また来てもいい?」
「もちろんです。今度は、何かなくても来てください」
口にしてから、少し馴れ馴れしかっただろうかと思った。けれどセシリアは目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
「ええ。そうするわ」
今度こそ別れを告げ、セシリアは廊下を歩いていった。
リディアはその後ろ姿を見送りながら、前に彼女が訪ねてきた日のことを思い出していた。あのときは、なぜ伯爵令嬢が自分を訪ねてくるのかわからず、話している間もどこか不思議な気持ちだった。
けれど今日は、突然の訪問を不思議には思わなかった。それどころか、セシリアが一人で心配を抱えているのなら、また話を聞くくらいはできると思っている。
やがて廊下の角で、セシリアがもう一度振り返った。
「ヴァンスさん、またね」
「はい。また」
軽く手を振って、今度こそ姿が見えなくなった。




