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氷の騎士様が、なぜか私の残業にだけ付き合ってくれる件  作者: 森凛
第一部「接点」

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第15話 国庫に及ぶ影

 数日前から続けていた照合作業は、ようやく終わりが見え始めていた。


 最初に改ざんが見つかった契約書と同じ年代、同じ保管区分にある記録を洗い出し、少しでも不自然な魔紋があれば別に分ける。地道な作業だったが、確認する範囲を広げるにつれて、見つかる痕跡にも共通点が増えていた。


 書き換えられているのは、どれも一見しただけでは気づかないような箇所ばかりだった。


 数字の一部。権利の範囲。契約が有効となる期間。


 書類そのものを作り替えるのではなく、正式な記録の中にわずかな変更を紛れ込ませている。そのため、内容を知らずに読めば正規の書類と見分けがつかない。


 リディアは一枚の確認を終えると、異常なしと記した紙を横へ置き、次の書類を手に取った。


「ヴァンスさん、少しいい?」


 顔を上げると、ミラが数枚の書類を抱えて立っていた。


 いつものように気軽に声をかけてきたわけではないらしい。眉間に皺を寄せ、手元の書類を気にしている。


「どうしました?」


「これ、さっき別の保管箱から出てきたんだけど……一度見てもらえない?」


 机の上に置かれた書類へ目を落とし、リディアは手を止めた。


 これまで確認していた契約書とは形式が違う。


「国庫関係の記録ですね」


「ええ。本来なら今回の確認対象じゃないんだけど、同じ時期の資料と一緒に保管されていたみたい。それで戻す前に見ていたら、ここが気になって」


 ミラが指したのは、頁の下部に記された魔紋だった。


 リディアは書類を自分のほうへ引き寄せた。


 国庫から各所へ割り当てられる予算について記したものらしい。数字と項目を一通り確認してから、魔紋へ視線を移す。


 最初の数節には、特におかしなところはない。


 けれど途中から、わずかに流れが変わっている。


 リディアは指先で文字を追い、前後の魔紋と照らし合わせた。


「……ミラさん。これ、どこにありました?」


「第三保管庫よ。去年整理された古い財務記録の中。何かある?」


「少し待ってください」


 答えながら、リディアは隣に置いていた確認済みの資料から一枚を抜き出した。


 先日見つけた改ざん記録の写しだ。


 二枚を並べ、魔紋の流れを見比べる。


 使われている術式そのものは違う。契約書と財務記録なのだから、それは当然だった。


 それでも、途中に加えられた不自然な接続の仕方がよく似ている。


「この部分です」


 リディアが示すと、ミラも身を寄せた。


「本来なら、ここから次の節へそのまま続くはずなんです。でも一度流れを切って、別の魔紋を挟んでから繋ぎ直してあります」


「じゃあ、これも……?」


「可能性は高いと思います。ただ、内容まで確認しないと」


 リディアは財務記録を最初から読み直した。


 何に対して、どれだけの予算が認められているのか。数字だけを追うのではなく、それぞれに対応する魔紋を一つずつ照合していく。


 やがて、ひとつの項目で手が止まった。


 書面上の数字と、魔紋に残された情報が一致していない。


 リディアはもう一度確認した。


 見間違いではなかった。


「……金額が書き換えられています」


 ミラの表情から、すっと笑みが消えた。


「どのくらい?」


「それは元の記録と照合しないとわかりません。でも、少なくとも今ここに記載されている数字は、最初に登録されたものではありません」


 これまで見つかった改ざんとは違う。


 個人間の契約でも、土地に関する記録でもない。国庫から支出される金額そのものに、誰かが手を加えた痕跡が残っている。


「局長に持っていきましょう」


 ミラもすぐに頷いた。


 二人でオーウェンの執務室へ向かい、事情を説明すると、彼は何も言わずに書類を受け取った。


 リディアが問題の箇所を示し、魔紋と書面の数字が一致していないことを伝える。その間、オーウェンは一度も口を挟まなかった。


「元の記録は?」


「まだ確認できていません。同じ時期の財務記録を探せば、照合できる可能性があります」


「わかった。すぐに探させよう」


 オーウェンは書類を机へ置き、今度はリディアを見た。


「改ざんの手法は、これまでのものと同じなのか?」


「完全に同じではありません。ただ、魔紋を途中で切って別の記述を挟み、元の流れへ戻している点は似ています。偶然とは考えにくいです」


「つまり、同じ者が手を加えた可能性があると」


「少なくとも、無関係だと判断するには似すぎています」


 オーウェンはしばらく黙っていた。


 いつもなら、もう一度自分で資料を確かめてから指示を出す。けれど今回は、すぐに机の呼び鈴へ手を伸ばした。


「この書類はここに置いていきなさい。二人とも、今見た内容はほかの者に話さないように」


「はい」


「それからヴァンス文官。これまで見つかった改ざん記録を、発見順ではなく年代と種類ごとに整理し直してくれ。今日中にできる範囲で構わない」


「わかりました」


 部屋を出ようとしたところで、背後から再び呼び止められた。


「リディア」


 珍しく名前で呼ばれ、振り返る。


 オーウェンは先ほどの財務記録を見たままだった。


「今回の件は、これまでとは扱いが変わる。何か気づいても、自分だけで確かめようとするな。必ず私に報告しなさい」


 一瞬だけ、リディアは返事に迷った。


「……わかりました」


 執務室を出ると、ミラも隣で小さく息を吐いた。


「局長、随分慎重だったわね」


「国庫の記録ですから」


「そうね」


 それ以上は話さず、二人はそれぞれの仕事へ戻った。


 リディアは指示された通り、これまでに見つかった改ざん記録を机の上へ並べた。


 契約書。土地に関する記録。そして、今回の財務記録。


 発見された場所も、扱っている内容も違う。


 ただし年代を揃えてみると、完全にばらばらというわけでもなかった。


 リディアは一枚ずつ確認しながら、必要な情報を別紙へ書き出していった。


 しばらくすると、記録局の空気が変わり始めた。


 オーウェンの執務室へ何人もの職員が呼ばれ、保管庫から追加の財務記録が運び出される。ほどなくして、普段は記録局で見かけない官吏まで姿を見せた。


 リディアたちには詳しい説明はなかった。


 ただ、確認対象となる資料だけが次々と増えていった。


 夕刻近くになって、入り口のほうがまた騒がしくなった。


 顔を上げると、数人の騎士とともにレイフォードが入ってくるところだった。


 彼はオーウェンと言葉を交わしたあと、そのままリディアの机へ向かってきた。


「ヴァンス文官」


「隊長。もう話を聞いたんですか?」


「ああ。国庫関連の記録から見つかったそうだな」


「はい。今、同じ時期の記録を確認しています」


 レイフォードは机の上に並べられた書類へ目を向けた。


「ほかにも見つかったか?」


「今のところ、確実に改ざんされていると判断できるのは最初の一件だけです。ただ、確認しなければならない資料が増えました」


「そうか」


 短く答えたあとも、レイフォードは書類から目を離さなかった。


 いつもなら必要なことを聞けばすぐにオーウェンのもとへ戻るのに、今日は何か考えているようだった。


「隊長?」


「最初に改ざんが見つかったのは、契約書だったな」


「はい」


「その後、土地に関する記録でも見つかった。そして今度は国庫か」


 リディアも机の上へ目を落とした。


 並べてしまえば、それぞれ別の書類だ。


 けれど、同じような手法で書き換えられている以上、別々の不正として片づけることはできない。


「狙いがわかりません」


「俺もだ」


 レイフォードは少し間を置いた。


「だから今は、わからないままにしておけ」


 意外な言葉に、リディアは顔を上げた。


「調べなくていい、ということですか?」


「違う。わからない部分を推測で埋めるなという意味だ。今ある記録だけを追え」


 その言葉に、リディアは机いっぱいに広がった書類を見た。


 自分ができることは、最初から変わっていない。


「……わかりました」


「ああ。それでいい」


 レイフォードはそれだけ言って、オーウェンのもとへ戻っていった。


 日が落ちても、記録局の仕事は終わらなかった。


 追加で運び込まれた財務記録を確認し、年代を揃え、魔紋を照合する。窓の外が暗くなった頃には、机の上に置いた灯りだけでは足りず、室内の魔導灯もすべて点けられていた。


 リディアは目の疲れを感じて顔を上げた。


 窓の向こうにも、まだいくつもの明かりが見える。


 宰相府のある棟。財務を扱う部署。そして、先ほど騎士たちが戻っていった方向にも。


 いつもなら、この時間には暗くなっている窓だった。


「ヴァンスさん、次の分よ」


 ミラが新しい記録を机へ置いた。


「ありがとうございます」


 リディアは窓から視線を戻し、その一冊を開いた。


 頁の端には、国庫を示す印章が押されていた。

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