第14話 聞こえてしまった話
午後、リディアは調査資料を届けるため、近衛騎士団の詰所を訪れていた。
記録局から騎士団へ資料を届けること自体は、もう珍しい仕事ではない。今回も受領の確認をもらって戻るだけのつもりで、リディアは抱えていた書類を持ち直した。
目的の部屋まで来たところで、中から何人かの笑い声が聞こえてきた。
どうやら休憩中らしい。
仕事の邪魔をするほどの用件でもない。少し待とうかと考えた、そのときだった。
「そういえば隊長、ロウ伯爵家との話はどうなったんです?」
聞き覚えのある名前に、扉を叩こうとしていた手が止まった。
「ロウ伯爵家?」
「ほら、先日の夜会ですよ。セシリア嬢と話していたでしょう。あれを見て、また噂になってるらしいですよ」
別の騎士も加わり、室内から笑い声が上がった。
セシリア。
昨日、記録局を訪ねてきたばかりの彼女の顔が浮かんだ。
『ロウ家とアシュグレイ家は昔から付き合いがあるから、子どもの頃から何度も顔を合わせているわ』
昨日は、そう聞いただけだった。
けれど今の話は、それとは少し違う。
「噂だろう」
レイフォードの声が返ってきた。
いつもと変わらない、淡々とした声だった。
「でも、家同士でもそういう話があるんでしょう? まったくの噂ってわけでもないんじゃないですか」
「俺が聞いているのは、親同士が話したことがあるという程度だ」
「十分じゃないですか。相手はロウ伯爵家のご令嬢ですし、昔から家同士の付き合いもある。周りが期待するのもわかりますよ」
「勝手に期待されても困る」
レイフォードは面倒そうに答えたが、騎士たちは気にした様子もなく、むしろ面白がっているらしい。
「それで、隊長自身はどうなんです?」
「何がだ」
「セシリア嬢ですよ。あれだけ綺麗な方に想われて、何とも思わないんですか?」
一瞬、部屋の中が静かになった。
リディアはそこで、自分が聞いてはいけないところまで聞いていることに気づいた。
もともと立ち聞きするつもりなどなかった。ただ、名前が耳に入って、ノックする機会を逃してしまっただけだ。
今なら一度離れたほうがいい。
そう思ったのに、足を動かすより先にレイフォードの声がした。
「……家同士の話と、俺がどう思うかは別だ」
「おお、それはつまり――」
「その話はもういい」
低い声で遮られ、今度こそ騎士たちも引き下がったらしい。
「はいはい。仕事に戻りますよ」
「隊長、相変わらずつれないなあ」
椅子を引く音がして、別の話題が始まる。
リディアは抱えていた書類へ目を落とした。
ロウ家とアシュグレイ家の間で、そんな話があったことを初めて知った。
けれど、レイフォードがどう考えているのかは結局わからない。
『家同士の話と、俺がどう思うかは別だ』
拒んだようにも、ただ話を避けただけのようにも聞こえた。
これ以上ここで考えていても仕方がない。
リディアは一度息を整えてから、扉を叩いた。
「失礼します。記録局から資料をお持ちしました」
返事を待って中へ入ると、先ほどまで笑っていたらしい騎士たちがそれぞれの席へ戻っていた。
そのうちの一人と目が合った途端、なぜか妙に姿勢を正される。
「ヴァンス文官」
奥にいたレイフォードがこちらを見た。
「こちら、昨日までに確認が終わった分です。追加で照合していただきたい箇所には目印をつけてあります」
「ああ、確認する」
リディアが差し出した書類を、レイフォードが受け取る。
いつもと同じやり取りだった。
先ほどまで自分の縁談について話していた人とは思えないほど、レイフォードの様子にも変わったところはない。
「それから、前回お預けした資料ですが、記録局へ戻すものがあれば明日まとめて引き取ります」
「わかった。こちらでも確認しておく」
「お願いします」
用件はそれだけだった。
いつもなら、そのまま一礼して帰る。
けれど今日は、なぜかすぐに足が動かなかった。
「……ヴァンス文官?」
「はい?」
「まだ何かあるのか?」
尋ねられて、リディアは我に返った。
「いえ。これで全部です」
「そうか」
「では、失礼します」
今度こそ頭を下げて踵を返した。
扉まで数歩進んだところで、後ろからレイフォードに呼び止められた。
「ヴァンス文官」
振り返る。
「何でしょう?」
「……いや」
レイフォードは何か言いかけたものの、結局首を振った。
「何でもない。ご苦労だった」
「はい」
リディアは軽く頭を下げ、部屋を出た。
扉が閉まると、騎士たちの声も遠ざかった。
廊下を歩きながら、リディアは手元に残った受領書へ目を落とす。
セシリアが幼い頃からレイフォードを知っていることも、家同士に長い付き合いがあることも、昨日聞いたばかりだった。
そこに縁談の話まであったらしい。
それなら、夜会で二人を見ていた人たちが何かを囁いていたのも、そのせいだったのかもしれない。
リディアは受領書を鞄へしまい、記録局へ戻るため歩き出した。
数歩進んだところで、なぜか昨日の夜会で見た薔薇色のドレスが浮かんだ。




