第13話 意外な来訪者
「ヴァンスさん、お客様よ」
午前の仕事が一段落しかけた頃、入り口から戻ってきたミラが、どこか落ち着かない様子でリディアの机までやってきた。
「お客様?」
「ええ。それが……とりあえず、行ってみたほうがいいと思う」
妙な言い方に首を傾げながら、リディアは確認途中の書類に目印を挟んで席を立った。
仕事中に訪ねてくる相手に心当たりはない。誰だろうと思いながら入り口へ向かい、受付の前に立つ女性を見た瞬間、思わず足を止めた。
「こんにちは、リディアさん」
「セシリア様?」
数日前の夜会で会ったばかりのセシリアが、従者を一人連れて立っていた。
あの夜の華やかな薔薇色のドレスとは違い、今日は淡い色合いの外出着をまとっている。それでも、文官服ばかりの記録局では十分に目を引くらしく、近くにいた職員たちが仕事をしながらちらちらと様子を窺っていた。
「突然ごめんなさい。驚かせてしまったかしら」
「それは、まあ……少し」
否定するのもおかしい気がして正直に答えると、セシリアは楽しそうに笑った。
「夜会で、またお話ししましょうって約束したでしょう? それに、記録局のお仕事にも興味があるって言ったはずよ」
「覚えています。でも、まさか本当にいらっしゃるとは思っていませんでした」
「あら。私、約束は守るほうなのよ」
どうやら社交辞令ではなかったらしい。
リディアは改めて周囲を見た。受付までは外部の人間も入れるが、この先には保管資料や業務中の書類がある。いくらセシリアでも、自由に案内するわけにはいかない。
「せっかく来ていただいたのですが、奥の資料室にはお通しできないんです。閲覧に許可が必要なものもありますので」
「もちろんよ。お仕事の邪魔をするつもりはないわ。見せても大丈夫なところだけで構わないの」
「それでしたら……」
リディアは少し考えてから、一般の来訪者も入れる閲覧室へ案内することにした。
記録局の中を進み始めると、セシリアは物珍しそうに辺りを見回した。
壁際には分類ごとに整理された記録簿が並び、文官たちはそれぞれの机で書類を確認している。奥では別の職員が返却された資料を仕分けし、棚へ戻しているところだった。
「思っていたより、ずっと人が多いのね」
「今日はまだ少ないほうですよ。申請が重なる日は、もっと慌ただしくなります」
「ここにあるものを、全部あなたたちが管理しているの?」
「ここにあるのは一部です。古い記録は別の保管庫にもありますし、種類によって保管場所も違います」
リディアが説明しながら歩いていると、セシリアは途中に置かれた返却待ちの記録簿に目を留めた。
「これも?」
「はい。ただ、それは閲覧が終わったものなので、これから内容を確認して元の場所へ戻します。返却場所を間違えると、次に必要になったとき探すのが大変なんです」
「一冊くらいなら、すぐに見つかりそうだけれど」
「そう思いますよね。でも、似たような記録が何百冊もあるので、一冊紛れるだけでもかなり厄介なんですよ」
リディアは近くの棚から一冊を取り、背表紙をセシリアに見せた。
「たとえば、ここに分類番号と年代が書いてあります。まずこれで大きく分けて、その中から地域や記録の種類を確認して――」
そこまで説明したところで、セシリアが笑っていることに気づいた。
「……何かおかしかったですか?」
「ごめんなさい。そうじゃないの。夜会で会ったときと全然違うから」
「私がですか?」
「ええ。あのときは、ずっとドレスの裾を気にしていたでしょう? 今は随分楽しそうに話すのね」
言われて初めて、リディアは手にした記録簿を見た。
聞かれたから説明していただけのつもりだったが、少し話しすぎていたらしい。
「毎日やっている仕事なので……」
「好きなのね」
「好き、というよりは……性に合っているんだと思います。細かい違いを見つけたり、ばらばらだった記録がきちんと整理されたりすると、落ち着くので」
「それなら、やっぱり好きなんじゃない?」
そう言われると、否定する理由も見つからなかった。
「そうかもしれません」
リディアが笑うと、セシリアも嬉しそうに笑った。
閲覧室へ着くと、ちょうど職員が利用者の求める記録を棚から探しているところだった。リディアは邪魔にならない場所から、申請を受けて閲覧可能な資料を渡すまでの流れを簡単に説明した。
セシリアは途中で退屈する様子もなく、ときどき棚に並ぶ記録へ目を向けながら話を聞いている。
「私、もっと静かな場所だと思っていたわ。皆さんが机に座って、一日中黙って書類を読んでいるような」
「そういう日もありますよ。でも、問い合わせもありますし、ほかの部署から資料を探してほしいと頼まれることもあります。意外と人の出入りは多いです」
「知らなかったわ。王宮の中でも、私が知っている場所なんてほんの一部なのね」
その言い方が少し意外で、リディアはセシリアを見た。
夜会で見た彼女は、どこへ行っても迷うことなどなさそうに見えた。
けれど今は、初めて訪れた場所を楽しそうに眺めている。
「そろそろ戻らないと、私も仕事がありますので」
「あら、もうそんな時間?」
「思ったより長くご案内してしまいました」
「私が質問ばかりしたからよ。ごめんなさい」
「いえ。せっかくですから、少しくらいなら」
入り口へ戻ろうとしたところで、セシリアが何かを思い出したように従者を振り返った。
「そうだわ。せっかく持ってきたのに、忘れるところだった」
従者から受け取ったのは、小さな菓子箱だった。
「皆さんで召し上がって。突然お邪魔したお詫びも兼ねて」
「そんな、お気遣いいただかなくても……」
「私が持ってきたかったの。受け取ってもらえないと、持って帰ることになってしまうわ」
そう言われてしまえば断りにくい。リディアは礼を言って箱を受け取った。
「では、ありがたくいただきます」
「よかった」
そのまま帰るのかと思ったが、セシリアはすぐには動かなかった。
「ねえ、リディアさん。もう一つだけ聞いてもいい?」
「はい」
「夜会の日、レイフォード様があなたを案内していたでしょう。あの方、記録局にもよくいらっしゃるの?」
思いがけず名前が出て、リディアは少し考えてから答えた。
「今は調査がありますから、以前よりはよくいらっしゃいます。確認したい資料があるときや、進捗を聞きに来られることが多いですね」
「そうなの」
「何かありましたか?」
「いいえ。ただ、少し意外だっただけ」
セシリアはそう言って笑った。
「レイフォード様とは、昔からのお知り合いなんですよね?」
昨日から気になっていたことを、リディアも尋ねてみる。
「ええ。ロウ家とアシュグレイ家は昔から付き合いがあるから、子どもの頃から何度も顔を合わせているわ。今みたいにお互い忙しくなる前は、家同士で会う機会も多かったのよ」
「では、ずっと昔から隊長をご存じなんですね」
「そうね。もっとも、昔からあまり自分のことを話す人ではなかったけれど」
セシリアは懐かしそうに目を細めた。
「子どもの頃も今みたいな感じだったんですか?」
「今よりは、もう少しわかりやすかったかしら。黙っていることが多いのは同じだけれど、嫌なら嫌、楽しいなら楽しいって、顔を見ればわかったもの」
「想像できません」
思わずそう答えると、セシリアが声を立てて笑った。
「でしょう? でも本当よ。昔はもう少し――」
そこまで話したところで、セシリアはふと口を閉じた。
先ほどまで楽しそうだった表情が、ほんの少しだけ変わった気がした。
「セシリア様?」
「ごめんなさい。昔の話を始めると長くなってしまうわね。お仕事中なのに、これ以上引き止めたら申し訳ないもの」
いつもの明るい笑顔に戻り、セシリアは立ち上がった。
「今日はありがとう。思っていたよりずっと楽しかったわ」
「こちらこそ。私も、普段の仕事をこんなに誰かに説明することはないので、新鮮でした」
「それならよかった。またお話ししてもいい?」
「もちろんです。ただ、次は先に知らせていただけると助かります」
「どうして?」
「突然いらっしゃると、皆が驚きますから」
リディアが入り口のほうへ目を向けると、先ほどからこちらを気にしていた職員が慌てて視線を逸らした。
セシリアもそれに気づいたらしく、楽しそうに笑った。
「わかったわ。次はちゃんと知らせることにする」
従者を連れて帰っていくセシリアを見送り、リディアは菓子箱を抱えて自分の席へ戻った。
案の定、ミラがすぐに顔を上げる。
「ヴァンスさん、いつの間にセシリア・ロウ様とそんなに親しくなったの?」
「親しいというほどではありませんよ。先日の夜会で少しお話ししただけです」
「それで記録局まで訪ねてくるの?」
「お仕事に興味があったそうです。それより、これを皆さんでどうぞ、といただきました」
菓子箱を渡すと、ミラはまだ何か聞きたそうな顔をしながらも、近くの職員たちを呼び始めた。
リディアは途中になっていた仕事へ戻り、目印を挟んでおいた頁を開いた。
確認すべき記録は、まだいくつも残っている。
いつものように文字を追い始めたところで、先ほどのセシリアの言葉がふと頭をよぎった。
――子どもの頃から何度も顔を合わせているわ。
リディアが知っているのは、近衛騎士団の隊長になってからのレイフォードだけだ。
そのずっと前から彼を知っている人がいる。
手元の頁を一枚めくる。
けれど次の行へ目を移す前に、リディアはもう一度、同じ行の最初へ視線を戻した。




