第12話 華やかな令嬢
ハーウッド伯爵への報告書は、無事に手渡すことができた。
「確かに受け取った。オーウェン局長にも、よろしく伝えてくれ」
「承知いたしました」
一礼して伯爵のもとを離れると、リディアはようやく肩の力を抜いた。
「終わった……」
「随分緊張していたな」
隣から声がして、リディアは顔を上げた。
「仕方ないじゃないですか。伯爵様に直接お会いするなんて、仕事でも滅多にありませんから」
「そういうものか」
「隊長にはわからないと思います」
「なぜだ?」
「さっきから誰に声をかけられても、いつも通りじゃないですか」
ここへ来る途中にも、何人かの貴族がレイフォードに声をかけていた。そのたびに彼は足を止め、必要な挨拶を交わしていたが、困った様子は一度もなかった。
「慣れているだけだ」
「やっぱり」
「好きで慣れたわけじゃない」
意外な返事に、リディアは目を瞬いた。
「こういう場所、苦手なんですか?」
「得意に見えるか?」
「少なくとも、私よりは」
「それなら大抵の人間が得意ということになる」
「そこまで酷くありません」
すぐに言い返すと、レイフォードの口元がわずかに緩んだ。
「今、笑いましたね」
「笑っていない」
「絶対に笑いました」
「気のせいだ」
先ほども同じようなことを言われた気がする。
リディアは少し不満を込めて見上げたが、レイフォードはすでに何事もなかったような顔をしている。
それでも、王宮へ着いたばかりの頃に比べれば、随分と気持ちは楽になっていた。
「案内してくださって、ありがとうございました。一人だったら、まだ伯爵を探していたと思います」
「無事に渡せたなら、それでいい」
「では、私はそろそろ――」
「レイフォード様、こちらにいらしたのね」
明るい声が二人の会話に重なった。
レイフォードが振り返るのにつられて、リディアも声のしたほうを見る。
人々の間から、ひとりの令嬢がこちらへ歩いてくるところだった。
鮮やかな薔薇色のドレスには金糸で細かな刺繍が施され、艶のある栗色の髪はきれいに結い上げられている。すれ違う人に声をかけられれば自然に微笑み、軽く挨拶を返しながらこちらへ来る姿は、華やかな夜会の中でもよく目立った。
「セシリア嬢」
レイフォードが短く応じる。
「ようやく見つけたわ。先ほどから何度かお姿を探していたのよ」
「何か用か?」
「ええ、少し聞きたいことがあって。父から確認してきてほしいと頼まれているの」
セシリアはそう答えてから、そこで初めてリディアに気づいたらしい。
「あら、ごめんなさい。お話し中だったのね」
「いえ、私はもう用事が済みましたので」
「そちらの方は?」
リディアが名乗ろうとするより先に、レイフォードが口を開いた。
「記録局のヴァンス文官だ。今の調査に協力してもらっている」
「まあ、記録局の」
セシリアの表情がぱっと明るくなった。
「初めまして。セシリアと申します」
「リディア・ヴァンスです」
リディアも軽く頭を下げる。
「今日はお仕事でいらしたの?」
「はい。ハーウッド伯爵へ報告書をお届けするよう言われまして。先ほど、無事にお渡しできたところです」
「そうだったのね。お疲れさま」
セシリアはそう言ってから、リディアの姿を見て微笑んだ。
「それにしても、そのドレス、とても素敵な色ね。よくお似合いだわ」
「あ、ありがとうございます。局で用意していただいたものなんです。こういう格好には慣れていなくて……」
「そうなの? 全然そうは見えないわ」
「ここへ来てから、裾を踏まないことばかり考えています」
正直に答えると、セシリアがくすりと笑った。
「私も昔はよく踏んだわ。慌てて歩いて、母に何度叱られたことか」
「セシリア様にも、そんなことがあるんですね」
「もちろん。今でも気を抜くと危ないもの」
見た目の華やかさから、こういう場所では何一つ困ることなどない人なのだろうと勝手に思っていた。けれど、話してみれば気取ったところもなく、思っていたよりずっと親しみやすい。
「記録局では、普段どんなお仕事をしているの?」
「古い記録を整理したり、魔紋を確認したりすることが多いです」
「魔紋を?」
「はい。今は特に――」
そこまで話して、リディアは口を閉じた。
今回の調査内容を、夜会の場で話していいはずがない。
セシリアもすぐに察したらしく、「ごめんなさい」と笑った。
「お仕事のことだものね。無理に聞いたりしないわ」
「すみません」
「謝らないで。今度また、話せる範囲で聞かせてちょうだい」
「私でよければ」
「約束ね」
屈託なく笑うセシリアに、リディアも自然と笑みを返した。
それからセシリアは、改めてレイフォードへ向き直った。
「それで、さっきの話なのだけれど。あとで少しお時間をいただける?」
「ああ。今で構わない」
「本当? 助かるわ」
セシリアは嬉しそうにそう言うと、すぐに父親から頼まれたという話を始めた。
レイフォードは相変わらず短く返事をしているだけだったが、セシリアはそれを気にする様子もない。何度もこうして話したことがあるのだろうと、リディアにもなんとなくわかった。
ふと周囲へ目を向けると、少し離れたところにいた令嬢たちがこちらを見ながら何かを話していた。
視線の先には、レイフォードとセシリアがいる。
二人とも華やかな夜会の中にいても、少しも浮いて見えない。
リディアは何気なく、自分のドレスの裾へ目を落とした。
今夜初めて袖を通した衣装。歩くたびに裾を気にして、誰かに声をかけられれば失礼がないかと考えてしまう。
先ほどまでは、レイフォードも自分と同じく仕事でここに来ているということしか考えていなかった。
けれど、こうして見ていると、彼にとってこの場所はそれほど珍しいものではないらしい。
「ヴァンス文官?」
名前を呼ばれて顔を上げると、レイフォードがこちらを見ていた。
「どうした?」
「いえ、何でもありません」
「そうか?」
「はい。私もそろそろ帰ろうと思っていたところです」
「もう帰るのか?」
「報告書もお渡しできましたし、明日も仕事がありますから」
そう答えると、レイフォードが何か言おうとした。
「あら、残念」
先に声を上げたのはセシリアだった。
「せっかくお会いできたのに。今度はもう少しゆっくりお話ししましょう?」
「ぜひ」
「よかった」
セシリアは嬉しそうに笑った。
「それでは、お先に失礼します」
リディアは二人に軽く頭を下げ、その場を離れた。
来たときには歩くだけでも気を遣っていた大広間にも、少しは慣れたらしい。今度は裾を踏むこともなく、人の間を抜けていくことができた。
出口が近づいたところで、後ろからセシリアの笑い声が聞こえた。
リディアは何気なく振り返る。
人々の向こうで、セシリアがレイフォードに何かを話していた。レイフォードはいつもの変わらない表情で、それを聞いている。
ほんの少しだけ足を止めてから、リディアは前を向き直った。
そのまま、もう振り返らずに大広間をあとにした。




