第11話 夜会と、慣れないドレス
「――というわけで、今夜の夜会で、この報告書をハーウッド伯爵に直接渡してほしい」
突然告げられた仕事に、リディアは思わず局長の顔を見返した。
「私がですか?」
「ああ。今回の調査に関わる報告書だから、使いの者に預けるより、内容を把握している君が直接渡したほうが確実だ。伯爵から何か聞かれた場合も、その場で答えられるだろう」
そう言われれば、担当者である自分が行く理由はわかる。けれど、問題はその場所だった。
「でも、夜会ですよね。私、そういった場にはほとんど出たことがないんですが……」
「報告書を渡すのが仕事だ。社交まで求めてはいないよ。それに、衣装はこちらで用意してある」
「衣装まで?」
「仕事で行かせるのに、自分で用意しろとは言わないさ。夕方には届くから、着替えてから向かってくれ」
そこまで準備されているのなら、断る理由も残っていない。リディアは報告書を受け取り、今夜の予定を頭の中で組み直した。
◆
夕刻、リディアは用意された薄水色のドレスに着替え、王宮の大広間を訪れた。
淡い色合いの生地には控えめな刺繍が施され、袖や裾も普段の文官服とは比べものにならないほど華やかだった。鏡の前で見たときから落ち着かなかったが、大広間へ入ると、その感覚はいっそう強くなった。
高い天井から吊るされた灯りの下には、色鮮やかな衣装をまとった貴族たちが集まり、あちこちで談笑している。楽団の演奏に混じってグラスの触れ合う音が聞こえ、給仕たちが人の間を縫うように行き交っていた。
リディアは報告書の入った鞄を確かめながら、人混みの向こうへ目を凝らした。
(ハーウッド伯爵……どの方かしら)
名前と爵位は知っていても、顔を合わせたことはない。事前に特徴を聞いてはいたものの、これだけ人が多いと簡単には見つけられそうになかった。
「――ヴァンス文官?」
聞き慣れた声がして、リディアは振り返った。
「アシュグレイ隊長」
そこにいたレイフォードも、いつもの騎士団の制服とは違っていた。夜会に合わせた黒の正装に銀の飾緒をつけ、腰には儀礼用らしい剣を佩いている。
見慣れない姿に、リディアは一瞬、言葉を忘れた。
「隊長も夜会に出席されるんですね」
「警備だ。こういう場では騎士団から何人か出ることになっている」
「そうだったんですか。いつもの制服と違うので、少し驚きました」
「ああ。お前も――」
そこでレイフォードの言葉が止まった。
リディアが続きを待っていると、彼は一度視線を逸らしたあと、改めてこちらを見る。
「……似合っている」
「え?」
「そのドレスだ」
思いがけない言葉に、今度はリディアが返事に詰まった。
「あ……ありがとうございます」
慌ててそう答えると、レイフォードもそれ以上は何も言わなかった。
大広間には相変わらず音楽と人々の話し声が満ちているのに、二人の間だけ妙に会話が途切れてしまった。
リディアは手持ち無沙汰になり、ドレスの裾へ目を落とした。
「この衣装、局長が用意してくださったんです。自分ではこういうものを選んだことがないので、着替えてからずっと落ち着かなくて」
「そうなのか?」
「はい。歩くたびに裾を踏みそうですし、さっきから人にぶつからないことばかり考えています」
そう話すと、レイフォードの表情がわずかに緩んだ。
「なら、あまり端を歩かないほうがいい。給仕が通る」
「あ……本当ですね」
言われて横を見ると、ちょうど盆を持った給仕が後ろを通り過ぎていった。リディアは慌てて一歩前へ出る。
「ありがとうございます。危うく最初の仕事を終える前に、何か倒すところでした」
「それは困るな」
「隊長、今少し笑いました?」
「気のせいだ」
レイフォードはすぐにいつもの表情へ戻ったが、リディアにはそうは見えなかった。
「ところで、ヴァンス文官はなぜここに?」
「仕事です。ハーウッド伯爵に、この報告書を直接お渡しするよう局長から言われました」
「ハーウッド伯爵なら、さっき向こうで見かけた」
レイフォードが示した先には、数人の貴族に囲まれた初老の男性がいた。特徴も事前に聞いていたものと一致している。
「あの方ですか。ありがとうございます」
目的の人物が見つかり、リディアはそちらへ向かおうとした。しかし、人の間を抜けようとしたところで、長い裾が足元に絡み、思うように進めない。
その様子を見ていたレイフォードが、自然に隣へ並んだ。
「行くぞ」
「え? でも、隊長は警備中では?」
「伯爵のいる場所までだ。巡回の範囲からも外れない」
レイフォードはそう言って歩き出した。人の流れを見ながら進むため、正面から来る客や給仕とぶつかることもなく、その後ろについていけば慣れないドレスでも歩きやすい。
途中で人の波が狭くなると、レイフォードは歩調を緩め、リディアが追いつくのを待ってから再び進んだ。
リディアは手元の報告書を抱え直し、その隣に並んだ。




