勇者が来た日
勇者が来たのは、昼過ぎだった。
村の入口のほうがやけに騒がしくなり、人が集まり始めた。
子供が走り回り、大人が外に出てくる。
「勇者様だってよ!」
「魔王討伐の!」
「王都から来たらしい!」
そんな声があちこちから聞こえる。
ゲインは井戸の横で水桶を運びながら、その様子を遠くから見ていた。
「……勇者ねぇ」
正直、あまり興味はない。
自分とは関係のない話だ。
魔王がいようが、世界がどうなろうが、
自分の飯が増えるわけでも、仕事が減るわけでもない。
それでも人の流れに押されて、少しだけ近くまで行く。
ちょうど人垣の隙間から、中の様子が見えた。
四人いた。
一番前にいるのが勇者だろう。
年はゲインと同じくらいか、少し上。
軽装の鎧に、腰には剣。
顔は整っていて、いかにも“勇者”という感じだ。
その後ろに、鎧の女。
大きな盾を背負っている。
騎士か、護衛役だろう。
さらに、ローブを着た男。
魔術師っぽい。
そして。
最後に、白い服の女がいた。
聖女だと、誰かが言っていた。
白い髪に、青い目。
村の女とは、雰囲気がまるで違う。
「……すげぇな」
思わず呟く。
綺麗とかそういう話じゃない。
なんというか、別の生き物みたいな感じだ。
村長が前に出て、勇者と話している。
魔物の話だろう。
この辺りの森に出るやつの。
勇者たちはしばらく話をしてから、村の宿へ向かった。
人の流れも、ゆっくり散っていく。
ゲインはその場を離れようとして、ふと足を止めた。
勇者の腰。
小さな革袋がぶら下がっている。
「……」
少しだけ、考える。
やるつもりはない。
ただ。
試したい。
この距離でもいけるのか。
それだけだ。
視界に入れる。
袋を見る。
意識を向ける。
そして。
――盗む。
袋は、動かなかった。
「……あれ?」
もう一度。
――盗む。
やはり動かない。
消えない。
手元にも来ない。
「……なんでだ?」
昨日まで、全部できた。
距離も関係なかった。
重さも関係なかった。
それなのに。
勇者の袋だけ、盗めない。
少しだけ、背中に嫌な汗が流れる。
理由が分からない。
できるはずのことが、できない。
初めてのことだった。
もう一度試そうとして、やめる。
勇者がこちらを向いた気がしたからだ。
目が合ったわけじゃない。
ただ、なんとなく。
見られた気がした。
「……やめとくか」
ゲインは小さく呟く。
分からないものには、あまり触らないほうがいい。
面倒なことになる気がする。
その夜。
酒場で、勇者一行の話題でもちきりだった。
「明日、森の魔物を倒しに行くらしいぞ」
「やっぱり勇者様はすげぇな」
「聖女様も一緒だってよ」
みんな嬉しそうに話している。
村に勇者が来るなんて、滅多にないことだ。
ゲインは端の席で、酒を飲みながらぼんやりと考えていた。
「……なんで盗れなかったんだ?」
パンは盗れた。
ハンマーも盗れた。
木箱も盗れた。
村のものは、全部盗れた。
それなのに。
勇者の袋だけ、盗れなかった。
⸻
「……勇者だからか?」
自分で言って、自分で首を振る。
そんな理由があるのかは分からない。
だが。
何か条件がある。
そう考えるのが自然だった。
ゲインは酒を一口飲む。
そして、ふと奥の席を見る。
勇者一行が食事をしている。
勇者は仲間と話しながら笑っている。
騎士の女は黙って食べている。
魔術師は酒を飲んでいる。
聖女は、静かに座っていた。
首元に、小さな銀の護符が下がっている。
それが、なぜか気になった。
「……あれ、盗れるのか?」
小さく呟く。
自分でも、やめておけばいいと思う。
だが。
気になってしまった。
視界に入れる。
銀の護符。
意識を向ける。
そして。
――盗む。
護符は、動かなかった。
「……やっぱりか」
勇者と同じ。
盗れない。
やはり何かある。
だが。
そのときだった。
聖女が、ほんの少しだけこちらを見た。
目が合った気がした。
気のせいかもしれない。
だが。
なぜか、少しだけ笑ったように見えた。
「……気のせいだろ」
ゲインは酒を飲み干す。
今日はもうやめる。
分からないことは、分からないままでいい。
そのうち分かるだろう。
このとき、ゲインはまだ知らない。
盗れなかった理由も。
そして。
後に、この四人と何度も関わることになることも。




