↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死んだ姉の婚約者に嫁いだら、姉から離婚届が届きました  作者: swingout777


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/8

第4章 姉は、私の結婚を十年前から知っていた

 姉は未来を知っていたのではなかった。


 未来が、決められていたのだ。


「これを見て」


 翌朝。


 私は王立身分登録院の閲覧室で、一冊の古い契約書をアルベルトの前に置いた。


 昨夜はほとんど眠れなかった。


 姉の手紙。


《あなたがこれを読んでいるなら、私は失敗した。》


《そしてあなたは、私の代わりにアルベルトと結婚した。》


 その言葉を何度読み返しても、同じ疑問に戻ってくる。


 なぜ姉は、十年前に私たちの結婚を予測できたのか。


 答えは意外なところにあった。


 レイン公爵家とフィーネス伯爵家。


 両家が四十七年前に結んだ婚姻協定。


「こんなものがあったのか」


 アルベルトがページをめくる。


「私も知りませんでした」


「君は登録院の職員だろう」


「職員だからといって、国内すべての契約を暗記しているわけではありません」


「そうなのか」


「当たり前です」


 私は該当箇所を指さした。


「ここです」


 古い言葉で書かれている。


《両家の嫡流を結ぶ婚姻につき、婚約指定を受けた女子が婚姻成立以前に死亡、失踪、その他婚姻不能となりし場合、同家に次順位の適格女子が存在するときは、その者を婚姻候補として優先的に指定することができる》


 アルベルトの目が止まった。


「次順位の適格女子」


「私です」


 声にすると、妙に現実味が増した。


「姉が死んだ時点で、フィーネス家の娘は私だけになった」


「だがこれは、強制婚姻ではない」


「ええ」


 私は頷く。


「正確には、次の婚約候補になるだけです。本人や両家が拒否すれば成立しない」


「ならエレノアの言葉と合わない」


「普通なら」


「普通なら?」


「もう一つあります」


 私は別の書類を出した。


 昨日からこの言い方ばかりしている気がする。


 一つ調べると、必ずもう一つ出てくる。


 姉の死は底のない箱だった。


「これは両家が二十年前に追加した付帯契約です」


 アルベルトが読む。


 そして表情を変えた。


《両家いずれかの当主が婚姻継続を必要と認める場合、次順位者への婚姻候補指定は原則として維持される》


「原則として維持」


「つまり」


 私は言った。


「姉さんが死ねば、私があなたの次の婚約候補になることは、十年前の時点ですでに決まっていたんです」


「候補だ」


「でも父もあなたのお父様も、この契約を維持していた」


「そうらしいな」


「そしてあなたは結婚しなかった」


「それが?」


「私が婚姻可能年齢になるまで」


 アルベルトの眉が動いた。


「待ったと言いたいのか」


「違うんですか」


「違う」


「ではなぜ十年間も独身だったんです」


「昨日も答えた」


「結婚したい相手がいなかった」


「ああ」


「便利な答えですね」


「事実だ」


 私は彼を睨んだ。


 彼は平然としている。


 私は最近、この人の無表情が少しだけ分かるようになってきた。


 本当に何も感じていないとき。


 隠しているとき。


 質問されたくないとき。


 わずかに違う。


 今は三つ目だ。


「この契約の存在を知っていましたか」


「知っていた」


 予想していたのに、胸がざらついた。


「いつから」


「子どもの頃から」


「では、姉さんが死んだとき」


「ああ」


「次に私が婚約候補になる可能性も?」


「知っていた」


「どうして黙っていたんです」


「君は十二歳だった」


「またそれですか」


 声が強くなった。


「十二歳だった。子どもだった。だから知らなくていい。みんなそればかり」


「事実だろう」


「なら二十二歳になった今は?」


 アルベルトが黙る。


「どうして今まで教えてくれなかったんです」


「必要がないと思った」


「必要がない?」


 思わず笑った。


「私は昨日、その契約どおりあなたと結婚したんですよ」


「契約で結婚したわけじゃない」


「結果は同じです」


「違う」


 アルベルトの声が少しだけ強くなった。


 私は一瞬、言葉を止めた。


「何が違うんです」


「……今はいい」


「よくありません」


「その話はあとだ」


「またですか」


 また一行抜ける。


 私は大きく息を吐いた。


「分かりました。では姉さんのことだけ調べます」


 私は契約書を閉じた。


「姉さんはこの契約を知っていた」


「おそらくな」


「だから自分が死ねば、私が次に選ばれると分かっていた」


「ああ」


「でも、まだ説明できないことがあります」


「離婚届か」


「そうです」


 十年前に自分が死んだあと、妹が婚姻候補になる。


 そこまでは分かる。


 しかし。


「姉さんは、私とあなたが実際に結婚する日まで知ることはできません」


「そうだな」


「なのに離婚届は昨日発効した」


 私は例の書類を机に置く。


 エレノア・フィーネス。


 アルベルト・レイン。


 提出日、昨日。


「誰かが十年間保管して、昨日提出した?」


「可能性はある」


「最初は私もそう思いました」


「違うのか」


「違います」


 私は書類の左下にある小さな符号を指した。


「昨日は気づかなかった」


 登録院の職員でも、ほとんど使うことのない記号だった。


 三重円の中に、小さな砂時計。


「これは?」


「条件付き将来発効文書の印です」


 アルベルトが眉を寄せた。


「聞いたことがない」


「私も名前しか知りませんでした」


 登録院の地下。


 最奥の書庫。


 そこには通常の出生や婚姻とは別に、特殊身分文書が保管されている。


 王位継承。


 未成年当主。


 戦争時の身分代行。


 そして、


 未来に一定の条件が満たされた場合のみ効力を持つ文書。


「たとえば王が戦場へ向かう前、自分が死亡した場合にだけ発効する命令書を登録しておくことがあります」


「遺言と何が違う」


「死亡以外の条件も指定できます」


「例えば?」


「王太子が二十歳になった場合。特定の領地が他国に占領された場合。王家の血統が途絶えた場合」


「なるほど」


「条件が満たされるまでは、存在そのものが非公開になります」


 私は離婚届を見る。


「姉さんは、これを使った」


「条件は?」


「おそらく」


 口にするのが少し怖かった。


「私とあなたの婚姻成立」


 アルベルトが黙った。


「昨日、私たちの婚姻届が受理された」


 登録番号。


 七七四一―三一七。


「直後に、姉さんの離婚届が発効した」


 七七四一―三一八。


 一番最初に気づいた番号の連続。


 偶然ではなかった。


「私たちの結婚が、姉さんの離婚届を呼び出したんです」


 十年前に仕掛けられた文書が。


 昨日。


 妹の婚姻を確認して、目を覚ました。


 死者が窓口に来たわけではない。


 昨日誰かが姉を名乗ったわけでもない。


 姉は十年前に、


 未来の私へ離婚届を送っていた。


「だから本人提出になっていたのか」


 アルベルトが言う。


「ええ。制度上、条件付き文書は登録時点で本人提出扱いになる」


「なら昨日の受付担当者が空欄なのも説明できる」


「そうです」


 一つの謎が解けた。


 なのに、安心できなかった。


 むしろ問題は大きくなった。


「でも、この制度には制限があります」


「何だ」


「誰でも利用できるわけではありません」


 私は規則書を開く。


《条件付き将来発効文書の登録資格は、王族、公爵位保持者、王国枢密院の承認を受けた者、その他国王が特に認めた者に限る》


「エレノアは伯爵令嬢だ」


「はい」


「資格がない」


「ありません」


「なら登録できない」


「普通は」


 私は次の条文を指さした。


《ただし登録資格者が保証人となり、その者の責任において申請内容の真正を保証した場合はこの限りではない》


 アルベルトの目が細くなる。


「保証人」


「誰かが姉さんを助けたんです」


 十年前。


 十七歳の伯爵令嬢だった姉には使えない制度。


 それを使わせることのできる人物がいた。


「王族か、公爵」


「あるいは枢密院の特別承認を受けた者です」


「保証記録は残っているのか」


「当然です」


 私は立ち上がった。


「調べます」


          ◇


 特殊文書保管庫へ入るには、三級書記官の私では権限が足りなかった。


 上司の許可が必要だった。


 そして私の上司は、最悪なことにセシルだった。


「新婚旅行は登録院の地下ですか」


 セシル・アーヴェンは許可証へ署名しながら言った。


「素敵ですね」


「からかわないでください」


「羨ましいだけです」


「なら代わります?」


「公爵夫人は荷が重いです」


 セシルはアルベルトを見る。


「特に夫のほうが」


「聞こえているぞ」


「聞こえるように言いました」


 この二人は相性が悪そうだ。


「セシル」


「はいはい」


 彼は私へ鍵を渡した。


「第三特殊書庫。十二番棚です」


 私は鍵を受け取る。


 そこで手を止めた。


「どうして場所を知っているんです」


「調べたから」


「いつ」


「今朝」


「なぜ?」


 セシルが笑う。


「死者の離婚届なんて面白いものを見せられて、何も調べない上司に見えます?」


「見えます」


「傷つきました」


「本当は?」


 彼の笑顔が少し薄くなる。


「リディア」


「何です」


「この先を見るなら、一つだけ覚えておいたほうがいい」


「何を?」


「書類は嘘をつきません」


「知っています」


「最後まで聞いて」


 セシルは鍵を指さした。


「書類を書く人間は、いくらでも嘘をつきます」


 私は黙る。


「記録に残っているから真実だ、とは思わないことです」


「姉の死亡届みたいに?」


「そういうこと」


「何か知っているんですか」


「今は何も」


「今は?」


「あなた、最近揚げ足を取るのが上手くなりましたね」


「誰かさんのせいです」


 私はアルベルトを見る。


「なぜ俺を見る」


「別に」


 鍵を持って地下へ向かった。


          ◇


 第三特殊書庫は、登録院の最下層にあった。


 通常の書庫とは違い、文書は一件ごとに黒い箱へ入れられている。


 十二番棚。


 十年前。


 フィーネス。


 指で番号を追う。


 あった。


《申請者 エレノア・フィーネス》


 心臓が速くなる。


 箱を取り出した。


 重い。


 机へ置く。


 鍵を差し込む。


 開ける。


 中には三種類の書類があった。


 一枚目。


 婚姻関係解消申請書。


 今まで何度も見たもの。


 二枚目。


 条件指定書。


《発効条件》


《リディア・フィーネスとアルベルト・レインの婚姻が王立身分登録院において正式受理された場合》


 私は目を閉じた。


 本当に書いてある。


 十年前。


 姉は私の名前を書いた。


 アルベルトの名前と並べて。


 私たちが結婚したら、この文書を発効させる、と。


「姉さんは全部分かっていた」


「契約を知っていたからだ」


「それだけでしょうか」


 私は次の文章を読む。


《本申請発効後、婚姻当事者リディア・フィーネスに対し、申請追記事項を必ず開示すること》


《妹を、私の代わりにしないでください》


 私への言葉。


 十年越しの。


「これは離婚届ではないのかもしれない」


 私は呟いた。


「何?」


「姉さん自身が離婚したいわけじゃない」


「では?」


「私に何かを伝えるために、この形式を選んだ」


「なぜ離婚届なんだ」


「まだ分かりません」


 でも。


 姉が私を守ろうとしていたことだけは分かる。


 私は三枚目を取った。


「保証書」


 これだ。


 資格のない姉が、条件付き将来発効文書を登録するために必要だったもの。


 十年前の日付。


 保証内容。


《申請者本人の意思に相違なく、本書類の将来発効につき保証人が全責任を負う》


 その下。


 保証人署名。


 私は最初、読み間違えたと思った。


 目をこする。


 もう一度見る。


 変わらない。


「……どういうこと」


 アルベルトが隣へ来る。


 私は反射的に書類を伏せた。


「リディア?」


「あなた」


 喉が乾く。


「何だ」


「十年前、姉さんのこの手続きを知っていましたか」


 アルベルトの表情が変わった。


「なぜ聞く」


「答えて」


「何を見た」


「先に答えてください」


 私は書類を胸元へ引き寄せた。


「姉さんが、私とあなたの結婚を条件に離婚届を発効させることを知っていましたか」


「……いや」


「本当に?」


「ああ」


「一度も?」


「ない」


 その返事を聞いて。


 私はゆっくり書類を机へ置いた。


 表を向ける。


「なら説明してください」


 アルベルトの視線が保証書へ落ちる。


 そして止まった。


 私は指で署名を示した。


 そこに書かれている名前。


 十年前。


 姉の特殊申請を保証した人物。


 アルベルト・レイン。


「あなたです」


 アルベルトが何も言わない。


「姉さんは一人では、この書類を登録できなかった」


 私は自分の声が震えないようにした。


「公爵家の資格を持つ人間の保証が必要だった」


「リディア」


「そして保証人は、あなた」


「待て」


「何を待つんです」


 胸の奥で、昨日から積み上がっていた何かが崩れた。


 姉の遺体を見ていない。


 姉から事故後に手紙を受け取っている。


 姉の死を十年間疑っていた。


 婚姻契約を知っていた。


 それでも何も知らないような顔をして、私と結婚した。


「あなたは昨日、初めてこの離婚届を見たような顔をした」


「見たのは初めてだ」


「でも十年前に保証している!」


「聞け」


「嫌です」


 私は書類を掴んだ。


「私には何も知らないと言った」


「それは――」


「姉さんの秘密の恋人も知らない。死の真相も知らない。離婚届も知らない」


 声が大きくなる。


「でも何か一つ調べるたびに、必ずあなたの名前が出てくる」


 アルベルトは何も言わない。


「あなたは姉さんと一緒に、何をしたんです」


「……」


「答えて」


「話す」


「今度こそ全部?」


「ああ」


「一行も抜かずに?」


 アルベルトは私を見た。


 初めてだった。


 彼の顔にはっきりとした迷いが浮かんでいた。


「全部話せば」


 低い声。


「君はエレノアを恨むかもしれない」


 私は保証書を握りしめた。


「それを決めるのは私です」


「ああ」


「あなたではない」


 長い沈黙。


 やがてアルベルトは目を閉じた。


「分かった」


 そして。


 十年間閉じられていた秘密の最初の扉を開くように言った。


「エレノアは事故の一週間前、俺に頼みに来た」


 私は黙って聞く。


「もし自分が死んだあと」


 アルベルトが続ける。


「君と俺が結婚することになったら、この書類を発効させてほしい、と」


 姉の日記。


 未来発効文書。


 アルベルトの保証。


 すべてが一本につながった。


 けれど私は、まだ知らなかった。


 姉がなぜそこまでして、


 私とアルベルトの結婚を一度終わらせようとしたのか。


 そして。


 アルベルトが十年間、


 その約束を私に隠し続けた理由を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。