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愛しき人?

「師匠………」


 ぽつり、とそう呼ぶと、確かに目の前の女は笑った。目元は仮面で隠されていて見えないが、綺麗な口元が弧を描いている。懐かしいその笑顔、その雰囲気に、目隠しの男はぐっと唇が震えるのを感じて、それを隠すように嚙み締めた。会いたかった、もう二度と会えないと思っていた存在が、今目の前にいるのだ。


「大きくなったね」


 近付いてきた目隠しの男の頬を優しく撫でて、師匠と呼ばれた女は言う。まるで、彼女を襲った地獄が無かったかのように、確かに女はそこに存在していた。目隠しの男は堪らず、自分の頬を撫でる彼女の手に己の手をそっと重ねる。


「師匠………、貴女にずっと会いたかった」

「ふふ、私はここにいるじゃない。いつでも会えるでしょう?」


 大袈裟ね、と笑わられる。その声、その表情、全てが愛おしく感じるように、目隠しの男は堪らず彼女の小さな体を抱き寄せた。抱きしめる手からは確かにちゃんと彼女の温もりを感じていて、背中に回った彼女の手が、ぽんぽんと、まるで子供をあやすように一定のリズムで撫でてくる。その心地よさに身を委ねながら、目隠しの男はそのまま女の肩に顔を埋めたのだった。


 そうしてしばらくそのままでいた後、2人はゆっくりと体を離した。お互いを見つめあう、静かな時間。あるのは、風に揺れる彼岸花だけ。2人を邪魔するものは、ここには存在しない。


「これからはずっと貴方の傍にいるから」

「師匠………」

「もう、離れないって約束するから」

「………俺も、もう貴女から離れない」

「…………」

「俺の全てを賭けて、貴女を守ります」


 今度こそ、守り抜く。そんな固い決意を、目隠しの男から感じる。二度とあのような事は起こさない。もう、大切な人を失う苦しさを味わいたくない。そんな誓いを、彼女自身に立てる。すると女は嬉しそうに笑って、再び目隠しの男の頬に手を添えた。そっと背伸びをして、顔を近づけていく。目隠しの男も、女がしようとしていることに気付いて、それを受け入れるようにゆっくり顔を傾けた。2人の距離がもうすぐゼロになる、唇が重なる寸前までいった時だった。


「………目隠しさん」


 突然聞こえたもう1人の声に、はっと目隠しの男が我に返った。振り向くと、少し離れたところでこちらを見つめる恋白の姿があった。揺らぐ彼岸花の中でぽつんと立ち尽くし、こちらをじっと見つめている恋白の表情はどこか切なげで、多くを語らない。ただ黙って、全てを悟ったような表情でこちらを見ている。


「………こ、はく………」


 その名を呟いた瞬間、目隠しの男の頭の中に、恋白と出会ったあの日からの出来事が、走馬灯の様に一気に駆け巡った。亡霊となった自分に、屈託のない笑顔を見せる恋白。苦しむ幽霊の心に寄り添える、優しい心を持った恋白。例え自分が危ない目に遭おうとも、こちらのことを心配し助けようとしてくれる、無謀な恋白。そして………、初めて出会った時の、恋白。


 実は、2人の初めての出会いは、あの廃墟ではない。恋白は覚えていないだろうが、目隠しの男の中では今でも鮮明に覚えている。


 亡霊になったばかりで、人の形もしていない、ボロボロに這いつくばった化け物のような見た目をしていた自分に、幼い頃の恋白が現れて。


『ゆうれいさん、ないてる。どこかいたいの?』

『………………』

『いたいのいたいの、とんでけー』


 恐ろしい見た目をしている筈なのに、その幼い少女は怖がることなく優しく頭を撫でて、可愛らしい呪文を唱えて去っていった。その時に恋白の生命力を吸ったおかげで、目隠しの男は消えることなく、亡霊として今の姿になったのだった。


「恋白………!」


 突然現れた恋白の姿に、目隠しの男は咄嗟に師匠と呼んだ女の体を引き離した。しかし恋白は、何も言わないままこちらに背を向けて、そのままどこかへ去ろうとしている。それを慌てて追おうとすると、今度は女が手を掴んで引き留めてきた。


「あの女を選ぶの?」

「………師匠………」


 その表情は、先程までの優し気なものとは打って変わり、悍ましい恨みのような、怒りのようなものを感じた。そっちに行くのか、とこちらの後ろ髪を引くようなことを言って、邪魔をしようとしてくる。しかしその間にも、恋白の背中はどんどん遠ざかっていく。このままでは恋白が手の届かないところへ行ってしまいそうな、そんな焦りを目隠しの男は感じていた。


「私のことが大事なんでしょう?ならずっと傍にいて」

「師匠、俺は………」

「さっき約束したじゃない」


 呪いの言葉のように低く、何度も何度も、約束した、傍にいて、行かないで、と繰り返す女の姿が、どんどん黒く、影のように変化していく。目隠しの男はそこでやっと、その女が幻であることに気付き始めた。女の背後には絵にかいた地獄のような景色が広がっており、そっちの方へ「行こう」「早く行こう」と誘ってくる女の手を振り払う。


「恋白!待て!」


 どこかへ消えてしまいそうな恋白の背中を必死に追いかけ、彼岸花畑を走る目隠しの男が、やっと恋白に追い付いてその手を握った。その瞬間、体は眩い光に包まれていく。


「……………っ!」

「よかった、目が覚めたんだね、目隠しさん」


 目の前には、ほっとしたように笑う恋白の姿。目隠しの男は、そんな恋白の手を強く握りしめていた。周囲を見渡すと、眠りに耽る人形や吉光たちの姿がある。そこでようやく目隠しの男は、自分も釈迦如来の術によって眠りに落ち、あの夢を見ていたことを悟った。恋白が諦めずに目隠しの男に生命力を注ぎ続けたことによって、意識を取り戻したようだった。


「………恋白が助けてくれたのか」

「うん。生命力注げば目が覚めるんじゃないかって思って、イチかバチかでやってみたけど、効果あってよかった………」


 あの夢の中で現れた恋白は、目隠しの男を目覚めさせようと注いだ彼女の生命力だったのか。もし恋白が助けてくれなかったら、今頃………。そう考えて、脳裏にふと、女の姿が浮かび上がった。こちらに笑いかけ、名を呼んでくれたあの女性の………、師匠の温もり。夢だったのに、妙にリアルに感触が残っているようで、目隠しの男が動揺するように自分の手を見下ろす。そして恋白もまた、そんな目隠しの姿をじっと見つめていた。


「せっかく愛しい女に会わせてやったというのに。目覚めの気分はどうだ?」


 頭上から降ってくる釈迦如来の声に、目隠しの男は立ち上がりながら大鎌を構えた。


「………最悪だ」

「そうか。ならばもう1度会わせてやろう。今度は地獄でな」


 背中に恋白を隠しながら、目隠しの男はただ静かに釈迦如来の像を睨みつけていた。

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