安寧の鐘
釈迦如来像が手を合わせて念じると、御光がビームの様に降り注ぎ、容赦なく地面を突き刺す。その光の雨を軽やかに交わす3つの霊たち、目隠しの男とフランス人形とパピヨン犬は、3人がかりで相手しても尚、釈迦如来に苦戦していた。
激しい攻撃の手を交わしながら、目隠しが鎌を振りかぶり、人形が髪を飛ばし、パピヨンが炎を吐いても、やはり釈迦如来の硬い黄金の体が全てを弾く。まさに鉄壁の鎧。このまま無闇矢鱈に攻撃をしても、時間が無駄になるだけだろう。
「歴代のハゲ頭たちの霊力が宿った体じゃ。わらわたちには相性が悪すぎる」
「し、失礼な!師匠をハゲ頭と呼ぶな!」
「やかましいわ!誰のせいでこうなってると思っとるんじゃ!」
「うぐ…………」
この期に及んでもあの和尚を師匠だと慕う慈念にとって、人形の『ハゲ頭』呼びは特大の暴言だ。事態を忘れて思わず口を挟むが、逆に言葉を返されて何も言えなくなってしまっていた。
兎にも角にも、まずはあの硬い体にヒビを入れよう、ということで、一点を3人で集中して叩くという作戦を取ることにした。
まずはパピヨンが、釈迦如来の注意を惹きつけるように足元を走り回る。犬ならではの素早い動きと小回りで、釈迦如来を翻弄する。釈迦如来がパピヨンに夢中になり、そっちへ光線を発射しているうちに、目隠しと人形は同時に走り出した。狙うのは胸元。相変わらずパピヨンを追いかけるのに必死な釈迦如来は、近付いてくる2人に気付いていない。そしてガラ空きのそこに、目隠しの鎌と人形の髪を叩き込んだ。
「やった…………!」
一部始終を見守る和水が思わず腰を浮かす。先程までビクともしなかった体に、小さなヒビが入っている。効果があったようだ。
「まだじゃ、砕けるまで叩き込むぞ!」
「………………」
再び同じように走り出す目隠しと人形だったが、釈迦如来も同じ手を喰らうものかと言わんばかりに、今度は2人の方へ光の雨を降らし始めた。定めていた狙いが散り、目隠しと人形がそれぞれ交わすことに徹する。そして釈迦如来が親指と人差し指で輪を作った手を掲げると、突然空が明るく光り輝き、ゴーン、ゴーンと除夜の鐘のような音が響き始めた。
「なんだ、この鐘の音は…………」
「一体どこから…………」
謎の鐘の音に動揺が広がるも、それはすぐに鎮まっていった。何故なら、吉光たちは皆、表情が穏やかになっていき、その場から動かなくなってしまったのだ。不自然な程静まり返った皆に、目隠しも人形も何事かと動きを止めると、自分の頭の中にも鐘の音が鳴り響いて、段々体から力が抜けていくのを感じていた。心は妙に穏やかに鎮まっていき、心地よい微睡みに誘われていく。ダメだ、目を覚ませと必死に自分に言い聞かせ、抗おうとしても、鳴り続ける鐘の音がそれを許してはくれない。そうしてどんどんと、沼に引きずり込まれていき、やがて目隠しと人形もまた、皆と同様その場から動かなくなり、まるで安らかに眠っているように目を閉じてしまったのだった。
閉じた瞼の裏には、懐かしい人物の背中がある。一面の真っ赤な彼岸花畑の中で、その美しい長い紫の髪が揺れている。その人物は、こちらの気配に気づくとゆっくりと振り返り………。
「 」
もうすっかり忘れていた、彼の名を………、目隠しの男の名を呼んだ。柔らかい、鈴を転がしたような凛とした声。こちらに笑顔を向けて、手招きをするその女性に、目隠しの男は誘われるようにして、その彼岸花畑の中へと足を踏み入れた。
「師匠………」
何度も会いたい、もう一度声が聞きたいと願っていたその人物に会えた喜びを、目隠しの男は信じて疑わなかったのだった。
「う…………」
小さな呻き声をあげて目を覚ました時、恋白は周囲の光景にぎょっとした。全員、その場に項垂れたままだったり、地面に倒れ込んで眠っているのだ。気絶する前の記憶や、気絶している間に何が起こっていたのかは分からないが、全員眠り込んでいるのは明らかにおかしい。となれば、これは敵の術か。状況を確認しようと体を起こすと、ばり、ぼり、と何かを砕くような音。
「え………」
音につられて顔を上げると、1人、また1人とその辺りに転がって寝ていた僧侶を口に運ぶ、大きな釈迦如来の像がいる。ばりぼりと響くのは、その釈迦如来像が人を嚙み砕く生々しい音であった。恋白の顔は一瞬にして蒼白になり、恐怖で全身鳥肌が立つ。一体どうして、なんでこんなことに、と傍にいた吉光や和水の体を揺する。しかしどれだけ呼びかけても反応はない。それだけ深い眠りに落ちている、というよりは、こちらの声が全く届いていないような感触だ。
「吉光!和水!!………目隠しさんまで………!!」
少し離れたところで、先程まで戦っていたであろう痕跡が残っている目隠しさんを見つけて、恋白は駆け寄った。傍で倒れている人形ちゃんの体も揺するが、当然反応はない。きっとこれらも、目の前で人間を貪り食っている釈迦如来像の仕業なのだろう。恐る恐る顔を上げて、再度そちらに目を向けてみれば、さっきまで夢中で僧侶を食べていた像が、静かに恋白を見下ろしていた。
「ひっ………!?」
「小娘………、我が術を逃れたのか。そうか、気絶していたから………」
なぜ術の中で動いているのだ、と言いたげな釈迦如来だったが、そう呟いて1人で納得している。やはり、みんなが眠ったまま動かないのは、コイツの仕業で間違いないようだ。
「みんなに何をしたの………!?この術を解いて!」
「我が安寧の鐘の音を聞いた者は、皆安らぎの夢の中へと誘われる。皆が心の中で望む光景、欲しいもの、抱く願望………夢の中ならば全てが叶う」
「夢………?」
「そうだ。この術は、本人の意思で解くことができる。全て思うが儘の幸せな夢の世界から、本人が出たいと願えばな」
つまり、この釈迦如来の鐘の音を聞いたみんなは今、何か幸せな夢を見ているということだろうか。例えば、こうなったらいいのにという未来を描いた夢、あの時こうしたかったという後悔を叶えた夢、好きな人と結ばれる夢、失った大切な人に再び会える夢………。夢の内容は、その人個人が抱く願望を忠実に再現した、幸せな夢ということだ。そしてその夢から、自ら覚めたいと願わない限り、この術は解けない。逆を言えば、自分で術を解けるということだが………。
「そんなの………」
自分の思い通りの世界から、自ら覚めたいと思う人なんてどれだけいるのだろうか。下手すれば、みんなそれが夢だとは気づかないままに、その世界を堪能しているかもしれない。どうりで眠るみんなの顔が安らかで幸せそうなわけである。そして、恋白のすぐ傍で項垂れる目隠しさんもまた………。
(目隠しさんも………、幸せな夢を見ているの………?)
そっとその肩に手を置いてみる。やはり反応はない。目隠しさんが望む世界って、今見ている夢って、どんなものなのだろう。あの目隠しさんですら自ら目覚めることができないなんて、目隠しさんにもよっぽど強い願望があって、それが叶った世界なのだろうか。
「その男も目覚めることはない」
「………どうしてそんなこと言い切れるの」
「昔の女の夢を見ているからだ」
「え………?」
どうやら釈迦如来には、それぞれがどんな夢を見ているのか分かるようだ。恋白の目隠しさんへの気持ちを知ってか知らずか、まるで揶揄うように、恋白の心を揺さぶるように、ニタニタと嘲笑う。
「その男が亡霊となった所以………、想い焦がれた女の夢を見ているのだよ」
「想い………焦がれた女………」
聞いたことのない話だ。そうだ、恋白はまだ何も知らない。いつも一緒にいる目隠しさんがどうして亡霊になったのか。生きている頃は、どこに住んでいて、どういう暮らしをしていて、誰と共に過ごしていたのか。
恋白はただじっと、項垂れたまま意識が戻らない目隠しさんの寝顔を見下ろしていた。




