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寂しさが生んだ悲劇

 師匠の様子がおかしい、と気づいたのは、数か月前のこと。慈念は和尚の異変に明確に気付いてはいたが、どこか変わったのか、どこかおかしいのかを言語化するのは難しかった。ただ何となく、『変わった』と漠然と感じていて、だからこそ、和尚を止めることができなかったのだ。


 和尚はちょうどその頃、奥さんを亡くしていた。奥さんは元々体が弱く、長い闘病生活を送っていることは知っていて、何度か見舞いにも行ったことがある。痩せ細った体でベッドに横たわり、「いつも主人がお世話になっています」とこちらに頭を下げる姿を、今でも覚えている。結局そのまま回復することなく、命を引き取った。


 葬式の時、和尚はただ淡々と、己の仕事を全うしていた。奥さんの亡骸を前にしても、決して涙を見せることはない。ただ、延々とお経を読む。仕事でどこかの家のお葬式を行う時と、何ら変わらない。しかし慈念は、その背中が深い悲しみに包まれていることに気付いていた。そんな師匠に気の利いた言葉1つかけてやれない自分を、とても不甲斐なく思ったものだ。


 それからだ。どことなく、和尚が変だと感じたのは。奥さんを亡くしてからしばらくは、どこか元気がないような気がしていた和尚だったが、ある時を境に、何だか急に元気になったような、生き生きとしているような、そんな気を感じていた。最初は奥さんとの死別に吹っ切れたのかとも思ったのが、何だかおかしい。気になって和尚の様子をよく観察していると、和尚は頻繁に本堂に入り浸り、ご本尊を取り憑かれたように見つめているのだ。


(ご本尊を磨いてらっしゃるのか………?)


 定期的に行われるご本尊の手入れは、今までは主に弟子である自分たちの担当だったのに、最近は和尚が自らなさっている。毛バタキで優しく埃を落とし、布で執念に磨いている姿は、まるで取り憑かれているようで………。少し恐怖心すら抱いたのを覚えている。見てはいけないようなものを見た感覚で、慈念は声をかけずにそっとその場を離れたのだ。


 それから連日、慈念は本堂に籠る和尚の姿を捉えていた。弟子たちの間でも少し不審がっていて、「一体どうしたのか」と噂になっていた。本人には直接聞く勇気が出ないものの、やはりその和尚の行動の真意が気になって、その晩、慈念はまたしても本堂に向かった。ここ最近の和尚の行動パターンからすると、この時間は本堂にいる筈だ。


 そうしてそっと覗き込むと、和尚は何かをぶつぶつと、ご本尊に向かって呟いているのが見えたのだった。像に向かって語り掛けているその異様な光景に息を飲む。一体誰に話しかけているのか。もしかしてここからだと角度的に見えないだけで、もう1人誰かがそこにいるのだろうか?そう必死に周囲に目を配っても、それらしい人影は見えない。やはり和尚は、あのご本尊に語りかけている。


「全くお前は、元気になってからわがままが過ぎるな」


 楽しそうな和尚の声に、何故か冷や汗が出た。自分たち弟子らには向けない、心安らかな声と雰囲気。それはまるで………、


(奥様と話している時のようだ………)


 人の気配を感じて、和尚はバッと勢いよく振り返った。そこには、うっすらと開いた本堂の扉から月の光が差し込んでいるだけで、人影はなかった。ここに来た時に閉め忘れてしまったのだろうか。そう首を捻りながら、和尚は改めて扉を固く閉ざす。誰かに見られたら厄介だ。


 そして和尚は、ご本尊と2人きりになったその空間で、改めてその金に輝く像を見上げる。愛おしい者を見るような目で、決して動かないその瞳を。


「分かった。そんなに腹が減ったというのなら、集めて来よう。彷徨う魂を」


 それからだ。慈念含む弟子たちに、夜な夜な霊の魂を集めてくるよう指示されたのは。突然の命令に戸惑う弟子たちには、こう説明された。「彷徨う魂をご本尊に献上することにより、魂は浄化され救われる。そしてこの地に安息がもたらされ、ご本尊は永遠の安らぎをくれるだろう」と。ここ最近の和尚の様子のおかしさも相まって、どこか信じられないように目を見合わせる弟子たちだったが、それが尊敬する師匠からの命令なのであれば従うしかない。そうして彼らは、毎晩色んなところを彷徨い歩き、霊たちを無理矢理捕まえては、本堂の中に鎮座する釈迦如来の像に献上していた。………それが、真実であった。


「けど実際は、釈迦如来の皮を被った悪霊に餌を与えていただけ、ということですか」

「………師匠の言葉を信じ、自分たちの行動を疑わなかった我らの責任です。あの悪霊は、無数の魂を食らいかなり上位の存在と変化してしまっている」


 吉光の結界の中で全ての顛末を語った慈念は項垂れていた。心のどこかでは感じていた、おかしいという違和感と、自分たちがしていることに対しての、「本当にこれでいいのか?」という疑問。でも、彼らはその自分の中の違和感よりも、師匠への信頼を優先してしまったのだ。そしてその信頼する師匠は釈迦如来に食われた。この虚しさと言ったらどうしようもない。


「………嫁を亡くした和尚の心の隙に付け入ったのだろう。恐らく和尚には、この釈迦如来像の中の霊が、嫁に見えていた」

「そんな…………」


 目隠しの男の推測に、慈念は声を震わせた。そして最期に呆気なく釈迦如来に食われてしまった和尚の気持ちも、想像でしかないが、なんとなく理解できた。最後に妻と一緒になりたいという、寂しさ。恋白という少女の中の巫女の亡霊に殺されかけて、寸前のところで救われた時に、「過ちを犯してしまった」と我に返ったその、罪悪感。きっと色々な想いを抱えて、抵抗せずにそれを受け入れたのではないのだろうか。


「そんな所でメソメソと後悔している暇があるなら、あの化け物を止めてくれんかの!」


 今も目の前で暴れる釈迦如来像に向けて、人形が髪を伸ばした。足元で逃げ惑う弟子たちを捕まえて食おうとするその手に巻き付け、必死に動きを封じようとする。しかし如何せん、相手は何メートルもある大きな像だ。いくら体を成長させたとはいえ、女子高生程度の大きさしかない人形の体は力負けして、逆にずるずると引っ張られていく。


「人形ちゃん!」


 和水の心配そうな声が木霊する。すると今度は目隠しの男が、伸ばされた人形の髪の上を伝って、釈迦如来像目掛けて走り出した。焔を纏う鎌を振り上げ、一気に斬りかかる。しかし、金色の釈迦如来の体が霊力のベールのようなものを纏っていて、簡単に目隠しの男の攻撃を撥ね返したのだった。流石は寺の本堂に祀られていた像というべきか。悪霊でありながら、並外れた霊力も持ち合わせている。


「早く結界の中へ!!走って!!」


 吉光が必死に声を張り上げて、逃げる僧侶たちを自分の結界の中へと誘導する。しかし中には逃げ遅れたり、脚がもつれて転んだせいで釈迦如来に捕まり、和尚と同じく何も抵抗できぬまま、バリバリと食われて犠牲になるものもいた。パピヨンも数名を背に乗せたり、服を咥えたりして必死に僧侶たちを運んでいる。その場は一気に大混乱となっていた。


 どれだけ目隠しの男が鎌で斬ろうとも、人形が髪で縛りつけようとも、パピヨンが炎を吐いて体を溶かそうとも、その金色の巨体は傷1つ付かなかった。何百年と代々この釈迦如来像を守り受け継いできた和尚たちの念が、強力な結界を作り出している結果だった。霊の攻撃など全てを無効化してしまうほどの絶大な霊力だ。


 しかし、目隠しの男には、そんな釈迦如来像の中で小さく1人、苦しむ女の魂を見つけていた。


『た………すけて………』

「……………」


 その女は、釈迦如来像の中の無数の蠢く魂の中で1人、苦しそうに必死に手を伸ばしていた。その魂こそが、和尚の亡くした、妻の魂であった。

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