釈迦如来
結論から言うと、和尚は恋白を前に全くと言って良いほど手も足も出なかった。和尚は確かにこの何十年、自分の人生をこの寺の和尚として捧げ、厳しい鍛錬も積んできた。今や沢山の弟子を抱え、尊敬される立場だ。しかし、そんな和尚でも歯が立たない人物が目の前に存在している。杖を手にこちらに歩み寄ってくる恋白は、普通の女子高生ではない。まるで彼女こそ、神様のような絶大な力を持っている。膝を付く和尚の目には、確かに恋白という少女の体を乗っ取る、謎の巫女の様な姿が映されていた。その風貌は………、自分が捕らえた目隠しの男と同じ様に、目元を仮面で隠した巫女であった。
やがて、和尚の前に辿り着いた恋白は、手にしている杖をその額に押し当てた。相変わらず一言も発しないその巫女の圧に、和尚も何も言えなくなる。最早ここまでか、と覚悟して目を閉じる傍らで、パピヨンちゃんにやられて伸びていた弟子の慈念が目を覚まし、一気に青ざめていた。
「師匠!!!!」
その悲痛な叫びに、一瞬だけ巫女の手が止まる。しかし再び杖を構え直すと、容赦なくトドメを刺そうと力を込めた。
(駄目!!!!)
そんな巫女を食い止めたのは、巫女自身の脳内に響く、もう1つの声だった。言わずもがな、この体の本来の持ち主である恋白の声だった。巫女に体を乗っ取られた後、しばらく気を失っていた彼女だったが、人間である和尚を殺そうとしたところで意識を取り戻し、己の体を必死に食い止めていたのだ。
「にげ…………て…………」
この状態になってから初めて口を開いた恋白の言葉は、恋白自身の気持ちだった。目の前で驚く和尚に、何とか必死に逃げる様に告げたのだ。自身に憑いていた霊を無理矢理攫い、更には彼女自身も危ない目に遭ったというのに、こちらの身を案じているのか。子供らしい、甘い考え方だと、和尚は呆れていた。
やがて恋白の体は、突き付けていた杖をダランと下に落とすと、そのまま倒れ込んだ。目の前にいた和尚が、その体をキャッチする。どうやら、恋白の意思が呪いに打ち勝ち、自分の体を取り戻したようだ。反動で意識は失っているが、恐らく恋白に戻っているだろう。
そしてその光景を見ていた吉光と和水が、慌てて恋白に駆け寄った。和尚の手から恋白の体を受け取ると、吉光も和水も心配そうにその顔を覗き込む。恋白は安らかな寝息を立てて眠っているだけのようで、特に外傷もなく、呪いの症状で苦しんでいる様子も見られない。無事なことにホッと胸を撫で下ろした。傍らで和尚は、諦めた様に術を解き、目隠しの男とフランス人形を解放した。突然自由になった身を見下ろし困惑する2人に、和尚は背を向ける。
「小娘がいなければ、きっと私も今頃あの石像のように、粉々に消え去っていたのだろうな」
「情けをかけられて改心したのか?言っておくが、お主がした事をチャラにするつもりはないぞ」
「殺したければ殺せばいい。しかし、私を殺したところでもう既に遅い」
殺気立つ人形の横では、未だに動揺を隠し切れない目隠しの男の姿があった。先程の恋白に見た、懐かしき師匠の面影。見間違える筈がない。あの技、あの雰囲気………全てがその人そのままであったのだ。一体どういうことだ、何故異形の呪いがかつての師匠となって現れたのか。
だが、それをじっくりと考えている暇はないようだ。和尚の『もう遅い』という言葉に反応する様に、突然本堂の方が大きく揺れ始め、ガタガタと崩れ始めた。派手に崩壊するその歴史ある立派な建物を見上げていると、そこから大きな影が現れる。
「ご本尊だ……………」
呆然と呟く吉光。そこにいる全員の視線が一斉に注がれる。本堂を壊しながらそこに現れたのは、ご本尊として本堂に大事に大事に祀られていた、釈迦如来像。巨大なその像が、ありがたい御光を纏いながらそこに君臨したのだ。これには慈念ら弟子たちも驚いているようで、皆目を見開いたまま固まっている。
やがてそのご本尊は、ギョロリと和尚を見下ろすとその体を持ち上げ、何の躊躇いもなく口の中に放り込んだ。一瞬の出来事過ぎて、誰も、和尚自身も碌に反応できない。そしてそのまま、ゴリッ、ジャリッ、と音を立てて咀嚼し、ゴクンと飲み込んだ。
「し…………、ししょう………?」
青ざめていく弟子たちの顔。目の前で起こった恐ろしい光景に、慈念も言葉を失い、ただ呆然とその場に立ち尽くしている。中にはウッと口を押さえて、吐き気を催している者もいた。そしてそれは、吉光や和水も同じだった。そこに生きていた人が、生きたまま食べられた。呆気なく死んだのだ。血の気が引いて、何も言葉が出ない。
「………あれはご本尊なんかじゃない」
目隠しの男が鎌を取り出し、人形は固まったままの和水の生命力を使って体を成長させた。
「ご本尊の皮を被った、悪霊だ」
今度は、先程の百鬼夜行で大量に霊の魂を喰らった巨大な釈迦如来像が、敵としてそこに君臨していたのだった。




