膵臓の悪だくみ ③
「いや、その話はよくな──」
「なるほどお! 顔に似合わずそういう事ですか!」
慌てたようにシモンを止めようとするトーアーサだが、ビョークが嬉々とした声を被せた。
さらに。
「おい! こっちでペトロの話をやるらしいぞ!」「おい店主! あの活弁詩人に葡萄酒だ!」「よし! 俺も奢るぜ!」
と、周りの席の傭兵風の男たちも騒ぎ立てる始末である。
変な事になった、とヨハンは顔を顰めた。シモンもどういう事なのかと訝しんでおり、トーアーサは苦虫でも噛み潰したような顔をしていた。
見ず知らずの人間達が父の事を知っているという事実は、誇らしい事だと思えたが、大半がニヤニヤとした意地の悪い笑いをしているのがどうしても腑に落ちない。
しかし、そんなヨハン達の心情などはお構いなしに、ビョークはパンパンと手を叩いて、独特な語りで話を始めたのだった。
──勇者英雄譚外伝:ペトロと勇者──
これは結構前の話でごぜえます。
ある村が魔物の被害に遭って困っている、そんな噂を聞いて、かの勇者様はこれはいかん、民を助けなければとその困っている村に向かおうとしていた折のお話しなんですがね。
実は実は、その村の魔物被害というのは深刻でして、近くに魔王の側近の一人が砦を建てて軍拡をしているってな噂。
そこには労働力が必要だってんで、女子供も構わず人間を攫っていくってな具合。
じゃあ、もう村は滅んでるんじゃねえかって? ところが、ところがでやんす。
相手の魔王の側近は頭の切れる奴でして、村の全員を攫う事はしなかったんでさあ。
なんでって? 教会から救援に来た騎士団、国から救援に来た兵士、そいつらを誘い出して捕らえて労働力にしちまうって策だったんですなあ!
これにすっかりハマっちまった人類のなんと愚かな事! いや、舞台となった村人を想えば致仕方無い事でごぜえましょう!
そこで我こそはと名乗りを上げたのが勇者様だったんです!
(ここで酒場客の歓声があがる)
しかし、そこで邪魔だてする人間が一人。なんとなんと、外ではなく中に居たんですなあ!
そいつの名前はペトロ・マーダー! 最低最悪! 人の皮を被ったフンコロガシ!
奴にとっては、村の人間の事なんかどうだっていいんです! だから畏れ多くも勇者様にこう言ったんでさあ!
「勇者様、勇者様。相手は大軍です。いくら勇者様でも無茶はやめてくださいよ、村人なんて何年かすれば畑で取れますから」
「何を言う! 勇者は命に代えても民の命を守るんだ! 貴様も命を捨てる覚悟をせよ!」
「ひいいいいい!」
憐れペトロというチンケな男は、勇者様に言い返されておしっこを漏らして倒れてしまったそうでやんす!
(酒場では大きな笑い声が上がる)
それもその筈、このペトロ・マーダーという男、どうして勇者様のご一行について回っているのかわからない、愚図な男でやんしてね。
生まれは騎士、マーダー家。騎士ってのはご存じ、教会に仕える神の剣でごぜえます。
その中でもマーダー家は、神の子孫たる王家を支える一族、マリルボーン公爵家に代々仕える派遣騎士の一族なんでさあ。
その由緒正しいマーダー家の中で、何の才能もない、とんでもないごく潰しが生まれたってのをご存じの方はいらっしゃいますか? え? 知らない?
いいや、いいや。皆さまご存知の筈です。
そう! そのごく潰しこそペトロ・マーダーなんでさあ!
いやいや、それでも信じない人もいるでしょう! 彼は凄いんですぜ? 由緒ある騎士の一家ですから、剣や魔法、槍や斧、果ては武術まで、あらゆる教育を受けさせたのですがこれがまあからっきしでして!
それならこれはどうだ! と戦術やら魔法学、学問の教育をこれでもかと詰め込んでも、これがまあなんにも身につかない!
覚えた事と言えば読み書きくらいのもんでしょうなあ!
(酒場では笑い声が上がる)
そんな男でもマーダー家の一人息子! 憐れなマリルボーン公爵家は彼のような役立たずでも、騎士として迎えなくてはならないんですわな!
けれどこれが本当に役に立たない! なんとか追い出せないかとマリルボーン公爵は考えた!
「そうだ。勇者一行に推薦しよう。そうすれば追い出す事もできるし、あんな男ならすぐに死ぬだろう」
そう考えたんでさあ。
しかし! それが世界の不運だった! かの男はしぶとく、ずる賢く、周りを犠牲にして生き残っていたんですな!
(酒場ではブーイングが上がる)
ともあれ、嫌々ながらもそんな男を連れた勇者様の一行は村に着きます。
村長は勇者様に跪いて言いました。
「どうか。どうか勇者様、我々をお救いください」
切実な願いってなもんです。
これには勇者様も地に膝をついて言いました。
「わかりました。命に代えても魔王の側近を討ちましょう」
これに村の人々は大歓喜! 盛大に勇者様方をお迎えし、宴すら開いたんでさあ!
ペトロの奴も調子づいて、「酒を寄越せ! 女を寄越せ!」と好き勝手する始末!
勇者様は呆れてしまうんですが、まあまあ目くじら立ててもしょうがないと抑えていたってな具合。勇者様、大人ですなあ。
そうしてとうとう魔族の砦に攻め込むぞってな時に、あいつです! あの男! ペトロが言ったんです!
「勇者様! 砦も大事ですが、別の場所に魔物が現れたらしいんですぅ! 砦はやめて、そっちに行きましょう!」
これには勇者様も額に角して言い返しやした!
「馬鹿を言うな! この村は砦の魔物に家族を攫われ、今も苦しんでいるんだぞ! それを置いて別の所に行くなど考えられない!」
その勇者様の剣幕や凄かった! それにびっくりしたペトロはおしっこどころか脱糞して転げまわって、それでも「別の場所の魔物にしましょうよう!」と喚く始末。
これに呆れた勇者様は、もう勝手にしろと言ってさっさと出発してしまったんですわ。
しかし、これはペトロのずる賢い計略。
勇者様が先に出立した事を良い事に、一行の主力の面々を嘘で騙して連れ出してしまったんですなあ!
その面子たるや! 今や知らない人のいない魔道の極み! 数百の魔物を一撃で吹き飛ばす! その名も爆炎のイシス! いやしかし荒くれ者にとってはこっちの方が馴染みは深いですかねえ、二本の剣の前に立つ者なし! その大剣は大地も切り裂く! 暴風のゼノビア! それだけでもビッグネームですが、その他にも主力級の人間を10人以上も騙くらかして小さな魔物の集団を討伐するのに連れ去ってしまったんです!
これに気付いていなかった勇者様! 善戦むなしく、砦攻略に失敗してしまうのです!
何故って? 戦力が大幅に減らされていたのだからしょうがない! ペトロめ! なんて事をしやがるんだ! 皆さまそうお思いでしょう! 勇者様はさぞ怒っているぞと、そうお思いでしょう!
しかし、寛大な勇者様は怒らなかった。
次は一緒に戦おうと、ペトロの手を握ったんです! ああ! 勇者様はなんて出来た人間なのでしょう! ワタクシには無理です!
そうして二回目の砦攻略の日。
待てど暮らせど、ペトロはやってきません! どうしたんだろう、何かあったのか。人の良い勇者様は心配しました。
そこで、ペトロの宿泊しているところまで遣いをやったところ。
「どうだった、ペトロの様子は」
「いやあ、下痢で今日は休むと言ってます」
そんな事を言うもんですから、勇者様もあっけにとられます!
「おい! 今日は大事な戦いだぞ!」
「なんでも、こっちもいろんな意味で大事な戦いなのだ、と言ってます」
ってなもんで、卑怯にも戦いを避けたんですな!
しかししかし、勇者様は怒らず、ペトロ以外の面々で砦を攻略したところ。
どうなったと思いやす?
あっと言う間に攻め落とせたんでさあ!
つまり、ペトロの野郎が邪魔していなければ、最初から簡単に攻略できたんです!
えー、この話の教訓としましては、本当の敵は身内に居る。使えない仲間程厄介な敵はいない、ってな事で、皆さんも、周りに臭い奴がいたら気を付けてくださいな。
この話はここまででやんす。
────
話が終わると、酒場は歓声に包まれていた。
今までより大きな笑い声。笑い過ぎて腹が痛いと呻く者もいる。
しかし、明らかに様子の違う場所がそこには存在した。
ヨハン達である。
ビョークは話に夢中で気付かなかったのだろうか、ヨハン達はずっと下を向き、何かに耐えるように拳を握りしめ、肩を震わせていた。
シモンは、目に涙さえ浮かべていたのだから。
ヨハン達にとってそれは、あまりにも醜い光景だった。
まだ世界の事をよく知らず、キラキラとした期待と羨望の眼差しで世界を眺めていた彼らにとって、失望という言葉では足りない程に醜い光景を見せられたのだ。
大人たちに尊敬と畏敬の念を抱いていたヨハン達の人生観が、音を立てて崩れていくようだった。
ペトロは、ヨハンとシモンにとっては家族である。世界で唯一の父親である。
いや、ヨハンとシモンだけではない、ベズィー、コギル、トーアーサ、ポルル。ヨハン達のメンバーは皆、ペトロの事を慕い、尊敬の念すら抱いている。
それを、どうしてここまで悪く言う事ができるのだろう。
火のない所に煙は立たぬという言葉があるくらいだから、もしかするとペトロにも情けない一面や、弱い部分もあるかもしれない。
この話にもきっかけとなるような事を、ペトロがしてしまっているのかもしれない。
しかし、それにしても嫌な部分だけ切り取って、悪し様に罵って、それで腹を抱えて笑っている。
そんな醜い大人たちのあり様が、耐えられる筈がない。
ヨハンも、別に失敗を茶化して笑うなという狭量な事を言うつもりはなかったし、関係性によってはそうやって笑い合うのもいいと思っている。
けれど、そこに居ない人間、そもそも会った事すらないであろう人間達が、悪し様に貶して笑うなど、あって良い訳がなかった。
それに、第一ペトロの普段の姿、言動を知っていれば、この話のような事をする筈がないという事も、心のヒビを大きくする。
ヨハン達の知るペトロは、自分の体が引き裂かれようと、誰かの為に全力になるような、そんな人物だからだ。
それなのに、どうしてこんな話が当然のように伝わり、それを当然のように受け入れ、当然のように笑うのか。
まるでガラスのように固くなった心臓を手で握り、ヒビが入って今にも己の心臓を割ってしまいそうな心地である。
許せない。そんな思いが心で渦を巻いて、今にも口から飛び出していきそうだった。
今まではただの雑音でしかなかった客たちの笑い声が、明確な悪意のある騒音に聞こえて仕方がなかった。
けれど、問題を起こすわけにはいかない。その思いだけが、ヨハン達のブレーキとなっていた。
いや、それでも、止まれない者も居る。
「ふざけんな!」
シモンだ。
彼女は立ち上がって、ビョークだけではなく、全員を睨むようにしていた。
その表情はどす黒い何かを孕んでおり、近づけば切れる鋭利な刃物のような剣呑さを纏っている。
そして、感情が高ぶっているのだろう、彼女の体内で発生している魔力がオーバーフローを起こし、体外に作用を発生させている。
シモンの周りは、まるでそこだけ高温になっているかのようにゆらゆらと景色が揺れるように歪んでいるのだ。
いや、まるで、ではない。実際に高温になってしまっているのだろう。
彼女の目から流れる涙が、じゅっという音を立てて蒸発していた。
荒くれ者達も、シモンのこの異常な魔力量を見て迂闊に動けないように見えた。
魔法を使った訳でもないにも関わらず、魔力が視認できる現象として発生するなど、普通の事ではない。
それこそ、勇者一行に加わる程の才能ある人間でもそんな事ができるかどうか。
いや、それでも彼らは理性的にその異常に気付いた訳ではない。本能に近い何か、言うならば直観で異常を感じた彼らは、じっと様子を見て動かなかった。
そしてヨハンはというと、本当はシモンのように怒りたかった。怒って暴れたい気持ちもあった。
だから、このまま妹を放っておいて、全てが無茶苦茶になるのを見ているのも悪くないとまで思った。
けれど、最後の一線で、彼は踏みとどまる事にした。
「シモン。もういいよ、行こう」
そして、静まり返った酒場から、会計を済ませてヨハン達はその場を去って行った。
これがヨハン達の、初めての酒場。初めてのペトロの軌跡を辿った一歩だった。
そして、双子で似ているヨハンとシモンが、それぞれ同じに見える考えをしているにも関わらず、大きく異なる思想である事を痛感する、その第一歩でもあった。




