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路地裏の彷徨 ①

 酒場を出たヨハン達は、宿に戻るために歩いていた。

 今歩いているのは、少し入り組んだ路地裏である。

 こういった人気のない場所では、人攫いや強盗、争いの末に殺人という事もままある事である。

 別段この町の治安が悪いという事ではない。それが常識なのである。だから往来が少なくなる夜では、一人で外に出るという事は推奨されないのだ。

 

 ヨハン達が、そんなリスクを孕んだ路地裏を歩いているのには理由がある。

 皆一様に思い詰めたような暗い顔をし、下を向いて口を開く事もない。

 賑やかな大通りには似つかわしくないヨハン達の心情を察したコギルが、なるべく警戒しながらも、静かな道を選んだ結果であった。


 とぼとぼと歩く一同の中にあって、ヨハンは、気持ちを切り替えようとしていた。

 勿論彼は最も傷ついた者の一人だ。尊敬する肉親の事を馬鹿にされて、平気でいられる筈はない。

 しかし、心のどこかでは怒ってもしょうがないとも思っていた。

 酒場に居た人間達は、ペトロの事を知らないのだ。伝え聞く話だけで想像し、馬鹿にしているだけなのだ。

 いや、それを『だけ』と括るのは腸が煮えくり返るような気持ちになるが、それでも、本当のペトロの姿を見たなら、きっと違った感想を持つはずだ。


 そういえば、と今更ながらに気付く事がある。

 トーアーサは、活弁詩人にペトロの話を依頼するのを止めようとしていた。

 以前、町に住んでいた事のある彼女は、噂でペトロの事を知っているとも言っていた。

 そして、その二つ名が『最弱の騎士』だとも。


 トーアーサはその詳細については話してくれなかったし、ヨハンの中ではペトロという人物は偉大であるという事実が根本にあったため、最弱の騎士という言葉は何かの皮肉のようなものだと、例えば、強すぎるのに自分は強くないと自称する性格を指して言うのかもしれないと思っていた。

 この説は、ペトロという人物をよく知るヨハンとしては、あり得る話だと思えたのだ。

 けれど、その推測は外れていたようだ。

 ペトロの人物像については詳細に把握していたつもりだが、それとは別に、全く把握できていなかったものが浮き彫りになった。

 それは、人の愚かさ、幼稚さだ。

 推測が誤った大きな原因として、ヨハンはこう結論づけていた。


 かつてペトロの杖の材料を求めて森に向かった時に、魔物や魔族に対しては最悪のケースを含めて、現実的な予測で心理を読んで対峙する事ができたヨハンだったが、どこか、人間に対しては、まるで性善説を信じるかのように見ている節があった。


 これは何より、ヨハンは自分自身が悪の心を持っていると思えないと自覚しているから、他人もそうだろうと安易に考えている部分があった。

 また、彼の周りも善人が多かったという事も、人類に対する希望的な考えを助長した。


 しかし思い知る。自分がそうだからといって、他人もそうだという理屈が通じるのは、殴られたら痛いだとか、食料を抜いたら空腹になるだとか、そういった次元の話で、今回のような部分は別なのだと。


 そして、性善説も、性悪説も間違いだと気づいた。

 善と悪は人間が勝手に作った、自然にない独自の概念だ。

 だから、何が善で何が悪かは今を生きる人間達が作っていく。

 この変わりゆく概念を、国や土地によっても違う、そんな概念を、生まれながらに把握して従う事など出来ようはずもないのである。

 つまりは、生まれた時には善でも悪でもない。ただし、遺伝的な要因が現時点の価値観で悪に傾きやすい傾向にある場合もあるだろうし、その逆もあるだろう。

 また、生後間もなくの環境がその人間の性質を大きく左右するとすれば、その時の環境による影響も大きいかもしれない。


 なんにせよ、ヨハンは学んだのである。

 人間も、動物も、魔族も、魔物も、大した変わりは無いのだと。

 美しく、醜悪で、キラキラとしながらも血生臭い。見る部分によって綺麗とも、汚いとも見える。そんなものであるのだと。

 結局はどう見えるかではなく、どう見たいかでしかない。どうなろうとするのかではなく、どう受け止めるのかでしかないのだ。


 だから。


(抗うんじゃない。受け入れて前に進む。そうやって道を切り開いて行けば、きっと少しずつでも世界を良くしていける筈だ。まずは、自分の周りだけでも、ちゃんと守らなくちゃいけない)


 そう心の中で呟いて、黙々と歩くメンバーたちの様子を見やる。


 コギルは、師と仰ぐ人物を悪し様に言われて、傷ついてもいるだろうし、怒ってもいるだろう。

 けれど、そんな様子は感じられない程に、こちらの様子を一々気にかけながら、更に周囲を警戒して慎重に道を選んで先頭を歩いている。


 ヨハンは、その姿に眩しささえ覚えた。

 このメンバーの中で、リーダーに相応しいのはコギルではないかと思う程だ。

 最年長という責任感か、はたまたペトロから「子供達を頼む」と信頼を込めた言葉を貰ったからか、或いはその両方が理由なのか。彼は、自分よりもメンバーを第一に考えて動いている様子だった。

 

 トーアーサは、自責の念に駆られている様子だった。気にすることはないと思うし、シモンもその部分は気にしていないと思うのだが、彼女は活弁詩人を止められなかった事を悔やんでいる様子だった。

 ちらちらとシモンに視線をやり、様子を伺っている。

 普段から寡黙で、口数の少ない彼女にしては珍しく、時折口元に力が入っているのがわかった。

 彼女なりに、会話のきっかけを探しているのだろう。

 

 ポルルは、最後尾で一同を心配そうに眺めている。

 特に目に涙さえ浮かべているシモンの事が心配なのだろう。

 彼は彼で、責任感のようなものを感じているのか、しきりに背後に怪しい人影がないかを気にしていた。

 怯えている様子にも見えるその行動は、却って目立つようにも思うが、それでも、誰もそれを指摘する事もないし、指摘する気にもならない。

 彼なりの最善の行動なのだから、それをありがたいと感じるのみだ。


 そしてベズィーは、一人だけ様子が違った。

 明るい表情ではないのは確かなのだが、その顔に浮かんでいるのは、悲しんでいるとも、怒っているとも違う何かだと感じるのだ。


(退屈を感じている?)


 その考察に至ったヨハンは、思わず驚いて心の中で呟いてしまう。

 彼女は普段から、空気を読まない態度や言動をする変わった人間ではあった。

 ただ、空気が読めないわけではない。敢えて読まないのだと理解していた。

 つまり、共感性が低い訳ではないのだろうと思っていたのだ。

 だから、みんなが傷ついたり憤ったりした時には、表面上の態度はどうあれ、彼女も同じ気持ちになっているものだと思っていた。

 けれど、何かが違う。そんな違和感にざわざわとした焦燥感のようなものがヨハンの内側から、むずむずと足の先までを蝕んでいる。


 彼女は今、間違いなく空気を読んでいる。だから一言も喋らず、とぼとぼと歩いている。

 では、一年間共に過ごしたペトロに対して、あんなにも悪意ある話をして笑われて。

 そして同じく一年間一緒に過ごした、いや、出身の村でも共に笑い合ったメンバー達が傷心したり憤ったりしているこの状況で。

 落ち込むでもなく、憤るでもなく、退屈そうにしているのだ。


 ヨハンの考察が間違っているのか、それとも、本当にベズィーは退屈を感じているのだろうか。

 ベズィーという人物を、いつの間にか思い込みというフィルターを通して見ていたのではないだろうか。


 そもそも、ヨハンは他人の事を考察する際に、どうしても自分だったらどうだという視点で考えてしまう癖がある。

 その癖がつまりは、人を見る目や、世界を見る目を歪ませてしまっていたのではないだろうか。

 

 ベズィー、いや、この場にいる人間や、今まで出会った人間達が、ヨハンの思っていた様な人間ではなく、全く異なる内面を持っていたとしたら。

 それでも、自分は受け入れる事が出来るだろうか。


 今、ヨハンの胸中はぐるぐると渦を巻いて、黒いものや白いものが混ざり合っていくような様子だった。


 しかし、その心が混ざり合う前に、思考を止めさせる声が聞こえてきた。


「おかしいよ」


 シモンだった。

 彼女は、目から流れる涙もそのままに、しっかりとヨハンの方を向いて立ち止まった。

 他の面々も、それに合わせて足を止める。


「おかしいよ! お父様は世界の為に! みんなの為に頑張って旅してたのに! なんであんな酷い事言うの!?」


 抑えていたものが爆発したようなシモンの声に、誰もが顔を下に向けた。

 いや、その中にあって、ヨハンだけは、妹、シモンの視線を、言葉を、心を、全てを受け入れるように真っすぐに見つめて立っていた。


 そして、兄として、肉親として、シモンの方に歩み寄り、肩に手を置いて口を開く。


「うん。酷いと思う。けれど、僕たちがここで怒っていても、しょうがないんだよ」


 そのヨハンの声を聴いて、烈火の如く怒りの表情となったシモンは、ヨハンの胸ぐらを掴んだ。


「なにそれ! お兄様は平気なの!? 悔しくないの!?

なんでそんなに冷静でいられるの!?」


「平気じゃないよ。でも、冷静にならなきゃ」


「どうして!? どういう理由があって!?」


 そう言われると、ヨハンにもわからかった。

 ただ、怒ってもしょうがないし、怒りをどこかにぶつけるわけにもいかない。

 そんな自制心が、どういう理由で必要なのか説明できる自信がなかった。

 だから、黙ってしまう。


 そんなヨハンの態度が気に入らないのか、シモンが一層声を荒らげる。


「ねえ! 変えようよ! 間違ってる事は正そうよ! こんなのおかしいってお兄様も思ってるでしょ!? じゃあ! 変えようよ!」


「そんな簡単な話じゃないよ、シモン」


 言いながら、シモンだってそれはわかっているのだと気づいていた。

 シモンは頭がいい。今話しているのは、手段の話ではないのだろう。

 もし、こういった他人の悪い噂を流布している元凶を取り除き、そういった事が起こらないようにしようという方向に足を向けるとすれば、ヨハンの態度は後ろ向きに見えるだろう。


 現時点のヨハンの考えでは、もし世界から悪口雑言がなくなるとすれば、それは人間が絶滅するか、自由が失われた時だと考えているからだ。

 だから、残念だけれど、受け入れて見ないふりをするか、それとも自分たちから遠ざけるか。そう対処するのが良いと思ったのだ。


 けれど、きっとシモンは違う。

 解決したいのだろう。世の中を変えてでも、自分が正しいと思う世の中に、理想の世界に。


 けれど、それは今の世の中を、新しい世の中で駆逐するという考え方だった。

 手段の話ではない。結果の話だ。

 暴力で現状変更しようが、対話で現状変更しようが、本質は変わらない。

 平和的な手段を用いたとしても、結局は、現状変更を行うという事に変わりはないのだ。


 そして、平和的であれ暴力的であれ、今この世の中で、これでいいと思っている人たちの数を減らさなければそれは実現しない。


 いや、本来はそれが正義を貫くということなのかもしれない。

 貴族や政治に関わる人間なら、シモンのような考えを是とするだろう。

 今を生きる人間達に疎まれようとも、この先の未来の為に今を塗り替えていく。それは素晴らしい事なのかもしれなかった。

 けれど、それだけではいけないような気がしてしまって、どうしてもシモンの考えを飲み込む事ができなかった。



「お兄様がやらないなら、私がやるから」


 シモンの声は、静かに、しかし深く、重く、ヨハンの耳から入ってきた。

 そこに、新たな人物の声が耳に入る。


「お姉さんは、どうしてそっち側にいるの?」


 声のした方を見やると、いつの間に現れたのか、少年がにこやかな顔をして立っていた。

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