170 先生に質問
菊家さんが購入した単品ボイスにもある通り、限定された状況でもそれなりに需要があるという。
「おはよう」とか「おやすみ」のような汎用性の高いものだけでなく、「誕生日おめでとう」など、年に一回しか需要がないにもかかわらず、販売するボイスの中に入れた方がいいというのだ。
なぜだ?
そして「おはよう」もあとに続けるものが結構大事らしく「おはよう、今日もいい天気だね」というオーソドックスなものから「おはよう、昨晩はキミが出てくる夢を見たんだ」など、少々歯の浮くセリフのものまでバリエーションが必要だという。
バリエーションって。
録音も一度だけすればいいわけではなく、ノイズや声の質などにこだわる人も多く、同じセリフで複数録音し、あとで最高のものをピックアップするのだとか。
聞いているだけで、面倒くさくなった。
とにもかくにも、初めてのボイス録音は終わった。
なぜか菊家さんたちがヒソヒソやっている。
何事かと思っていると、自分たちの名前入りのものがほしいらしい。
言いたくても言い出せず、どうしようかと話していたようだ。
毎日顔を合わせてるじゃんと思ったが、それとは違うようだ。
というわけで、彼女たちの名前を入れるバージョンを一通り録音した。
ちなみに、クラスメイトに囁いたのは初めての経験だ。
みんなが財布を出して「いまのおいくら?」と聞いてきたので、全部で1万円と言ったら、普通に出そうとしたので、慌てて冗談だと説明するはめになった。
普段から協力してもらっているのに、お金なんか貰えないよ。マジで。
家に帰って、姉にボイス販売すると伝えてみた。
姉は「うえっ!?」と変な声をあげたので、「知ってる?」と聞いたら、あからさまに目が泳いでいた。
「もしかして、受験勉強のときにエンドレスで流してる?」
そう聞いたら、吐血しそうなほど咳き込んでいたので、この話はここまでにしておいた。
どうやら俺が思っている以上に、ボイス販売は浸透しているようだ。
まあ、この世界だと男性の声を生で聞く機会がない人がほとんどだろうし、需要があるのかもしれない。
「それでタケくん……い、いつ売り出すの?」
「全部任せてるからなあ……でもすぐだと思う」
待っている人多いみたいだし、そう時間はかからないだろう。
「ソウナンダー」
棒読みになっているけど、買うのか? 一緒に暮らしてるんだし、それはないか。
きっと友達に自慢するのだろう。自分で買う……はずがない……よな?
「じゃあ売り出したら、姉さんに知らせるね」
そう言って俺は、自室に引っ込んだ。
俺が通う伊月高校。
1年1組の担任である一瀬早苗先生。
最近、俺はこう思う。
彼女は恋愛ラノベの主人公並みに、よく聞き返す少々残念な人ではないかと。
「先生、聞きたいことがあるんですけど」
「いいけど、宗谷くん……普通の質問よね?」
「もちろんですよ」
「……よかった。それで質問って何かしら」
「精子提供ってあるじゃないですか。あれって、調べたけど詳しい情報がどこにも載ってないんですよね」
「――ブフォッ!!」
「それで先生に聞こうと思いまして……あれ? 先生、どうしました?」
「ごめんなさい……ちょっとよく聞こえなかったみたい。いま……なんていったのかな?」
「精子提供について詳しい話を聞かせてください」
「…………」
ひどい偏頭痛持ちだろうか。
眉間に縦じわが三本、深々と刻まれている。
「ごめんなさい。もう一度……」
「精子提供につ「もういいわ。分かったから、それ以上言わないでっ!」」
担任はキョロキョロと周囲を見回したあと、「相談室で話を聞きます」と真顔で席を立った。
場所を変えて相談室。
「私の教員人生が終わりかけたわ」
「もしかして寿退社? 結婚の予定でもあるんですか?」
「ないわよ! ……ふぅ。宗谷くんって、そういう子よね。奉活のときで分かっていたはずだったんだけど」
「俺のことより、精子提供ですよ。ネットで調べてもあまり載ってなくて」
「体験談を書く男性はいないでしょうし、女性がそんなことを書いたら特定されて、よくないことになるもの」
「なるほど、それはそうですね」
俺が知っている精子提供については多くない。
未婚の男性に、その義務があるというだけ。
どこでどのようにしてとか、それがどうなるのかなど、その一切が謎のままだった。
「女性の場合は、登録するときに説明を受けるし、女性同士でもそういう会話はあるけど……男性の場合はどうなのかしら? たしか書面が届くって聞いたわね」
「そうなんですか? 俺のところにはまだ来てないですけど」
「未婚の男性は二十代のうちに三度、提供の義務があるの。既婚の場合は免除されるけど、自主的に提供する場合もあるから、その辺はちょっと複雑な話になるわ」
二十代、三十代と、十年ごとに三度ずつ、精子提供の義務があるらしい。
提供された精子がどう使われるかは、先生でも知らないという。
「十年間で三度ですか。少ない気がしますけど」
「技術が発達したから、一度の採取で可能な限り、利用できるようにするみたいよ。技術的なエリートがそこに集まって研究しているわけだし」
「そうなんですね。じゃあ、足りてるのかな?」
「どうかしら? 登録して数年待ちだから、慢性的に不足しているかも……医師の数が足りてない可能性もある……?」
先生は、本気で悩んでいる。
人口は国力に直結する。ゆえに国も人口増加を推進している。産めよ増やせよらしい。
出産に補助金が出るものの、初期費用はかなりかかる。貯金がなければ産めないし、産んだあとでも養育費がかかる。
みながみな、子を育てられるとは限らない。
それでも需要は多く、登録してもすぐに順番が回ってくるわけでもないらしい。
「先生は登録しているんですか?」
「そういうプライベートなことは、聞かない方がいいわ」
「すみません」
「宗谷くんだから答えるけど、一年前に登録したの。まだ連絡が来ないわね」
順番が回ってくると、間隔をあけて五回、人工授精の措置を行うらしい。
成功率は累積換算で70%と意外に高い。
「なるほど、そんな感じなんですね」
「女性側が知る知識としてはまだまだあるけど、その辺は必要なさそうだし……ちなみにどうしてそんなことを知りたいの?」
「俺の子育てヘルパーをしてくれた女性がつい最近、男性と婚姻を結んだんです。その流れでいろいろ考えているうち、婚姻を結んでない女性はどうしているのかなって思うようになって」
「考えることはいいことだわ。……だけどね、職員室で何でも聞くのはやめてね。共学校の教師って、本当に厳しい制約があるの。男子生徒との会話内容とか、一番気をつけなくっちゃいけないものだし」
「分かりました。じゃあ、話があるときはこの部屋で二人っきりって言いたいんですね!」
「そうだけど、そういうことを言わないでって! お願いだからっ!! フリじゃないのよ? 先生、路頭に迷いたくないですからね?」
先生は涙目になっていた。




