169 新たな試み
昨日、郁美さんにお祝いのプレゼントを渡した。
郁美さんは、柔らかな雰囲気そのままに歳を重ねていた。
お相手の男性も、そこに惹かれたのだろう。
この世界、男性のことを根掘り葉掘り聞けない雰囲気があるので大雑把にしか分からないが、旦那さんはかなりのエリートだと思う。
周囲にもエリート女性がひしめいているように感じた。
郁美さんが、唯一の癒やし的存在だったのかもしれない。
これも勝手な想像だが、郁美さんの配偶者は、最近ようやく周囲の女性を説得できたのではなかろうか。
一夫多妻制のこの世界では、本妻が他の妻たちの管理をしているらしいので、男性の意向だけで婚姻相手を増やすのは難しい。
なんにせよ、郁美さんはこの世界での勝ち組に属することができた。
本人の努力も大きいと思うが、幸運な女性だと思う。ぜひとも幸せになってもらいたい。
俺の場合は、どうなるのだろう。
将来、中学時代の班員と婚姻を結ぶことになると思う。
その辺の話はまだ詰めていないが、だれか一人、婚姻相手を管理する人を決めなければならないだろう。
だれを選ぶか。それが問題だ。
世話焼きな真琴か、さすゆうな裕子あたりが適任だと思うが、はてさて……なんてことを考えていたら、橋上さんに声をかけられた。
「宗谷様、考え事でしょうか」
「まあ……ね。それより、なに?」
「動画視聴者の方々の希望をまとめていたのですが……」
「また新しい企画?」
「いえ……ボイス販売はいつ頃なのかと……その……催促が……」
「うん? 催促? ボイス販売って? というか、催促?」
何の話だ?
催促されるようなことって、あったっけか。
「あのですね、わたくしどもは何も発表していなかったのですけど、どこかで誰かが言い出したらしく……宗谷様の『声』を販売することがまるで事実のように語られておりまして」
「うーん……くわしく?」
橋上さんに詳しく聞いてみると、どうやらオンライン上で自分の声を販売できるサイトがあるのだとか。
動画のファンの人たちが中心となり、俺の声はいつ発売されるのだと書き込まれたようだ。
そんな計画はなかったのだが、橋上さんたちの知らない所で話が大きくなり、既成事実となっているとか。
「予約はまだなのか」「そろそろか?」「もういっそ、聞いてみるか」と声が大きくなったことで、大勢の人が信じ込んでしまったようだ。
「ボイス販売するかしないかではなく、いつ販売するかって話?」
「はい。話が一足飛びになっていますが、予約開始はいつなのかという問い合わせが多数きております」
「…………」
俺の反応が予想できたのだろう。橋上さんは、そのボイス販売サイトを開いて見せてくれた。
そこでは、多種多様な『声』が販売されていた。
「メールを着信しました」のような実用的なものは少数で、ほとんどが、目の前の相手に語りかける内容だった。
――おはよう。昨日はよく眠れた?
サンプル音声をタップしたら、そんな声が流れてきた。
「えっとこれは?」
「だいたい20から30の声をセットにして売っています。平均で1500円くらいですね」
「そうなんだ……」
こんな短文のセットを買う人がいるのかと思ったが、それはまあいい。
実際いるのだろう。そしてこれが発売されるのを待っている人がいると。
「販売すると思ってらっしゃる方が大勢いますが、いかがいたしましょう?」
「いかがって……」
やるしかないんじゃないかな。
スクロールしていくと、ささやき音声入りとか、「愛してるよ」などの直接的な表現が入っているやつは、値段も高い。
「キザなセリフ集」や、「名シーン集」と題しているものもある。
言う方は恥ずかしいが、聞く方だって恥ずかしいんじゃなかろうか。
「どうなの?」と聞いてみたら、「もちろん、悶えると思いますわ」と、橋上さん。
それは恥ずかしさで悶えるのか、それとも……。
なんにせよ、みんながこれを待っているらしい。
「みんな待ってるっていうなら、今日早速録音しちゃおうか」
音声だけなら、そう時間もかからないだろう。
というわけで放課後、高校の班員と一緒に数寄屋造りの家の方に来た。
『声』の収録だ。
ちなみに菊家さんたちに話したところ「あー」という顔をされたので、ボイス販売のことは知っているらしい。
俺は知らなかった。
というか、『声』が売り物になるなんて、知らなかった。
「今回はVOL.1ということで、無難なものにしましょう」
「もしかして、2とか、3ってあるの?」
「望む方がいるかぎり、出し続けていくべきかと思います」
いや、そこまでがんばらなくても。
「ちなみに菊家さんは、そういうの持ってる?」
「私ですか? はい、一応……持ってます」
持ってた。購入者が近くにいたよ。
興味があったので、恥ずかしがる菊家さんを説得し、購入したというボイスを聞かせてもらった。
「私は単品を買ったのですけど……」
菊家さんが買った単品(380円)ボイスは、こんな感じだった。
――入学おめでとう。今日からまた、僕の後輩だね。これから毎日、キミと一緒に通えるなんて、僕は幸せだな。これからもよろしくね!
マジでこれだけ? お世辞にも380円の価値があるとは思えないのだが。
別に手を抜いているわけではない。ちゃんと演技しているし、背景に穏やかなBGMも流れている。
だがあえて言わせてほしい。
こんなんに金を出していいのか?
「じゅ、受験を頑張るために……エンドレスで流して勉強してました」
「そ……そう、なんだ」
モチベーションの維持は大事だよね、うん。
もしかすると、机の目立つところに、男性キャラのポスターでも貼ってあったのかもしれない。
需要と供給のバランスは、取れているのだろう。
「よし、じゃあ、録音しようか」
すでに橋上さんが読み上げる言葉の候補をピックアップしてくれているので、ちゃちゃっと終わらせてしまおう。




