第53話:絶対零度の防壁、あるいは白銀の墜落
王都から続く荒野の街道を、地鳴りのような足音が揺らしていた。
白銀の甲冑に身を包んだ五百の精鋭、王都直属・第一魔導騎士団。その先頭を歩く団長ガレス・ヴァン・オースティンは、眼下に広がるバルツァー特別自治区の城壁を見下ろし、酷薄な笑みを浮かべた。
「まったく、貴族院の老いぼれ共も大袈裟なものだ。辺境のネズミ一匹を駆除するために、この俺を呼び出すとはな」
「団長。噂では、あのバルツァーの小僧は視力を失い、盲目になったとか」
「だろうな。士官学校の頃から、机上の計算しかできない軟弱者だった。いつもあの出来損ないのメイド……リリアだったか? あの女の後ろに隠れているだけの臆病者だ」
ガレスは巨大な戦斧を肩に担ぎ直し、唾を吐き捨てた。
「圧倒的な暴力の前に、理屈など無力。結界ごとあの小賢しい街を消し飛ばし、王都の威信というものを教えてやる」
騎士団が自治区の境界線――防衛インフラの有効範囲に踏み込んだ、その瞬間だった。
『――心拍数平均130。筋繊維の緊張率、通常戦闘時の1.5倍。大口を叩いている割には、随分と怯えているじゃないか、ガレス』
「なっ……!?」
鼓膜ではなく、脳に直接響くような冷徹な声。
ガレスたちが顔を上げると、自治区の城壁の遥か上空、薄雲を切り裂くようにして展開された巨大な『黄金の魔法陣』の中心に、アレンとクロエが宙に浮遊して見下ろしていた。
純白の包帯で両目を覆い、黒い外套を翻すアレンの姿は、かつてのひ弱な少年の面影など微塵もなく、絶対的な死神の如き威圧感を放っていた。
「アレン・バルツァー! 目が見えぬ分際で、見下ろす位置に立つとは舐めた真似を!」
ガレスが激昂し、戦斧に莫大な炎の魔力を込める。五百の騎士たちも一斉に詠唱を開始し、空を焼き尽くすほどの魔力弾が形成されていく。
「消し飛べ、理屈屋のドブネズミィッ!!」
数百の絶死の魔法が一斉に放たれた。
しかし、アレンは盲目の顔を僅かに傾けただけで、指一本動かさなかった。
「……クロエ。敵の魔力組成、術式の展開速度、そして放たれる熱量。俺のソナーにすべて入力されているな?」
「ええ、アレン様。すでに全弾の軌道計算は完了していますわ。……本当に、欠伸が出るほど遅くて単調な暴力ですこと」
アレンが杖の先で虚空を軽く叩く。
『――要求。相殺係数に基づき、局所的な絶対零度を展開』
ピィィィンッ!!
ガレスたちが放った数百の魔法が、アレンたちに届く数メートル手前で、まるで目に見えない壁にぶつかったかのように『完全に静止』した。
炎も、雷も、氷も、すべてが物理法則を無視して空中で凍りつき、次の瞬間、パリンッとガラスのように砕け散って霧散した。
「ば、馬鹿な……!? 第一騎士団の総攻撃だぞ! それを、防御結界もなしに相殺しただと!?」
ガレスの顔から血の気が引く。
「暴力の前に理屈は無力、と言ったな。だが、お前たちの暴力はあまりにも非効率でノイズが多い」
アレンの冷たい声が、虚空から重圧となって降り注ぐ。
「詠唱時の呼吸の乱れ、魔力を練る際の0.3秒の遅延、踏み込む足の筋肉の収縮音。……視界を捨てた俺のソナーには、お前たちが魔法を放つ数秒前から、そのすべての過程が痛いほど『視え』ている。軌道が完全に予測できる攻撃など、ただの止まった案山子だ」
「ふざ、ふざけるなァァッ!!」
恐怖を振り払うように、ガレスが単騎で跳躍し、直接アレンへ戦斧を振り下ろそうと肉薄する。
だが、彼が斧を振り上げるよりも早く。
「遅い」
ドゴォォォォォォンッ!!
アレンの黄金の魔力が、上空から巨大な杭のようにガレスの背中を貫き、彼を大地へと真っ逆さまに叩き落とした。
クレーターのように陥没した大地の中で、ガレスが全身の骨を軋ませながら血を吐く。
「がはっ……ぁ……ば、ばかな……俺は、王都最強の……」
「お前のデータは更新されていないようだな、ガレス。リリアの影に隠れていた俺はもう死んだ」
ゆっくりと地上に降り立ったアレンは、地に這いつくばるガレスの顔を、杖の先で冷酷に踏みつけた。
「ここから先は、俺のシステム(絶対領域)だ。許可のないゴミ(エラー)の侵入は、物理的にデリートする」
アレンの背後で、クロエが冷たい微笑を浮かべながらコンソールを展開する。
たった二人。盲目の領主と氷の補佐官を前に、王都最強を誇った五百の騎士たちは、誰一人として一歩も動くことができなかった。




